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【S7|日本のデザイン】神事としての大相撲---完成してしまったデザイン #4

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第4回|変えてきたもの、変えなかったもの


大相撲は、変わっていないように見える。
けれど、実際には、かなりの部分が変わってきた。

興行の形は変わった。
会場は屋内になり、照明が入り、映像が使われるようになった。
国技館には吊り屋根が設えられ、土俵は恒久的な構造物になった。

外国出身の力士が横綱になる時代も来た。
相撲は、もはや日本人だけのものではない。

それでも、
相撲が「別の何か」になった感じはしない。

この不思議さは、どこから来るのだろうか。

私はそこに、非常に明確な切り分けを見る。

相撲は、
変えていい場所と、変えてはいけない場所を、最初から分けている。

たとえば、吊り屋根。

もともと屋外で行われていた相撲は、
屋内に移すとき、ただ天井を付けたわけではなかった。

神社の屋根を模した、吊り屋根を設けた。

これは機能的な装置であると同時に、
「ここは神聖な場である」という宣言でもある。

照明が変わっても、
映像が入っても、
その意味は揺らがない。

土俵も同じだ。

形は変わっていない。
素材も、基本的には変わっていない。
上に立つという行為の重みも、変わっていない。

四股を踏み、塩を撒く。
この順番も、意味も、変えられていない。

一方で、
観客席や運営、放送の仕組みは、時代に合わせて柔軟に変えられてきた。

つまり相撲は、
触っていい場所だけを、きちんと開いてきた。

逆に言えば、
触ってはいけない場所には、誰も手を出していない。

これは、偶然ではないと思う。

多くの伝統は、
「どこを守ればいいのか」が曖昧なまま、
時代の波に晒されていく。

結果として、
すべてを守ろうとして、すべてを失うか、
すべてを変えて、別物になるか、
そのどちらかになりがちだ。

相撲は、その罠を避けた。

核を定め、
周辺を可変にした。

この構造は、
プロダクトデザインやサービスデザインにおいても、
理想に近い。

ロゴを変えるか、
体験を変えるか、
世界観を変えるか。

すべてを同時にいじらない。
変える理由がある場所だけを、変える。

大相撲は、
何百年も前から、それを実践している。

外国人力士の存在も、
この構造の中で理解できる。

身体の出自が変わっても、
所作や場の意味が共有されていれば、
相撲は相撲のままでいられる。

守っているのは、国籍ではない。
形式でもない。
場のデザインそのものだ。

次回はいよいよ最終回になる。

ここまで見てきたことを踏まえて、
なぜ大相撲が、
「心の拠り所」として機能し続けているのか。

そして、
そこから現代のデザインが、
何を学べるのか。

少しだけ、視線をこちら側に引き寄せて、
考えてみたい。


ここまで読んで、
もし何かが静かに残っているなら、
それはまだ言葉になっていないだけかもしれません。


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