【S5|自然と文化】手入れするデザイン #2
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第2回|庭は、完成しない
庭、といっても、
大きな庭園だけを思い浮かべているわけではない。
家の小さな庭でもいい。
軒先に置かれた鉢植えでもいい。
人の手と、自然の動きが混ざる場所。
そこに、庭らしさがあるのだと思う。
庭は、完成しない。
一度きれいに整えても、その日から少しずつ変わりはじめる。
枝は伸びるし、
草は出てくる。
土の乾き方も、
光の入り方も、
季節によって変わっていく。
はじめに描いた形は、少しずつ自然の方へ戻っていく。
だから庭には、手入れがいる。
ただ、それは最初の形へ戻すこととは少し違う。
伸びた枝を切るとき、ただ短くすればいいわけではない。
そこに残したい影がある。
通したい光がある。
放っておいてもよい乱れと、
少し手を入れた方がよい乱れがある。
庭を完全に管理しようとすると、自然の動きは消えてしまう。
何もしなければ、庭は庭ではなくなっていく。
そのあいだで、少しずつ手を入れる。
この感じが、とてもデザインに近いと思う。
デザインは、完成した形だけを扱うものではない。
むしろ、完成したあとに、
どう変わっていくのか。
どう使われ、
どう乱れ、
どう馴染んでいくのか。
そこまで含めて見ないと、本当の形は見えてこない。
たとえば日本庭園では、
その感覚がかなり研ぎ澄まされている。
自然に見えるために、人の手が入っている。
けれど、その手は前に出すぎない。
自然をそのまま置いているわけではない。
人の意図だけで固めているわけでもない。
そこにあるのは、見えすぎない関わり方だ。
これは、庭園に限った話ではない。
小さな庭でも、暮らしの中の植物でも、
同じことが起きている。
少し元気がないことに気づく。
伸びすぎたところを整える。
置き場所を少し変える。
それだけで、その場所の空気が変わることがある。
庭は、自然と文化のあいだにある。
自然の力だけでは、庭にはならない。
でも、人の意図だけで固めすぎると、
庭は息をしなくなる。
そのあいだで、形が続いていく。
手入れとは、完成しないものを、
完成させないまま保つことなのかもしれない。
庭を見ると、そのことを思う。
きれいに整っているのに、どこか動いている。
人の手が入っているのに、
支配されてはいない。
その静かな緊張の中に、
手入れするデザインの原型がある。
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D4G Worksについて
私が運営する「D4G Works」では、デザインを通じて社会や生命の営みをより良くする実践を進めています。
詳しくはこちら → D4G Works公式サイト
※完成しないものには、手入れがいります。
自然のままでもなく、
人の意図だけでもなく、
そのあいだで形が続いていくもの。
D4G Worksでは、そうした自然と文化のあいだにあるふるまいを、構造として捉え直し、かたちにしていく伴走を行っています。
▼ 手を入れすぎても、息が止まる
▼ あいだに、形は続いていく
▼ 完成させないまま、保ってみる
