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だからもう、泣かなくていい——構造的バグに気づくための比喩と倫理の話


「社会は法の下の平等があるから、これは公平な競争のはず」ですが、どう思われますか? なお、データなどは文末に過去の論考をリンクしておきますね。

序: 個人の苦しみと社会の構造

現代社会において「生きにくさ」を感じたことはないですか? Googleで検索したら膨大な数でした。それは単に「自分が繊細だから」というアピールではなく、懸命に努力しているにもかかわらず、様々な場面で傷つくのは、自分が悪いのだろうかという切実な問いです。そして、「どうして皆と同じようにできないのだろう」という問いはは、自己肯定感を低下させる悪循環を生み出します。
これは以前書いたように、個人の「努力不足」という単純な問題ではありません。

私が考えるのは、現代社会そのものに構造的な問題があり(ゲームならバグ、仕組みとして変だということ)、それを認識し対処する余裕が社会に不足しているという点です。社会が「ここに落とし穴があるから気をつけて」と警告する機能が弱まっているのです。本来は落とし穴を埋めるべき立場なのに。

火災の比喩と問題解決のアプローチ

社会問題を理解するために、火災の比喩で考えてみましょう。江戸時代なら、消火能力の限界から延焼を防ぐために建物を壊す判断が必要でした。現代では消防士が安全を確保しながら消火活動を行います。

この状況で重要なのは、まず「誰が悪いか」を追及することではありません。責任の所在は明確にすべきですが、最優先すべきは「火を消すこと」、つまり問題そのものの解決です。でなければ、命と財産が失われます。僕らはこれ以上痛みを背負わなくていい。火元の特定と再発防止は次のステップです。私のエッセイでは、この「火を消す」ことに焦点を当てています。

女性の権利や社会構造の問題について書くとき、私の目的は自分の「正しさ」を主張することではなく、社会の問題点を可視化することです。読者がこれを吟味し「トラガラの言うことも、まあ、一理ある」と思うか「ピンと来ない」と思うかは自由です。重要なのは、それぞれが自分の「地獄」を生き抜いているという事実への敬意です。

知性や仕事を尊敬するように、私は「地獄」と格闘してくれる方々を尊敬しています。生き延びていることも、倒れて起き上がれない時も、どれも敬意に値します。

個人の歴史と倫理的視点

私の経験——父の鬱と自死、3回徴兵された父方の祖父、病気で倒れた伯父(父の10歳上の長男)、母の仕事と家庭と看護や看取りの苦労——これらは本来あってはならないことだと思います。病気や複雑な戦争自体は避けられないことだとして、1950年代に戦争から帰還した兵士がPTSDで苦しんでも、当時はその概念もなく、適切な支援の法的根拠もありませんでした。

これらは「仕方がない」と片付けられがちですが、「何が可能で、何をすべきでないか」という倫理的観点から考えると、別の結論に達します。戦争を起こすことは「可能」かもしれませんが、「すべきか」という問いは常に立てるべきです。家庭内暴力も同様です。これが私にとっての「倫理」であり、単に「正しい・正しくない」という二項対立ではなく、間違った選択を回避するための重要な指針です。

それにしても、なぜ、こんなにも生きづらいのでしょう? バグはどこにあるのでしょう。

鉄下駄の競争とダブルスタンダード

女性の権利におけるダブルスタンダードについては、2025年を生きる私たちは気づくべき時期に来ています。中世の魔女狩りの時代でも私が少年だった1980年代でもない現在、なぜ同じ人間同士でこのような不平等が続いているのでしょうか。

例えば、100メートル走を例に挙げます。スタジアムの美しいトラックを想像してください。よく晴れた日の光でアスリートが並びます。10秒・11秒を切るという目標があっても、実際にそれができる人はごく一部です。そもそも男性と女性では筋肉量や体の構造が異なるため、同じ条件での競争は公平とは言えません。その上で、現実はもっと不公平で、男性はスニーカーを履けるのに対し、女性は「鉄の下駄」を履かされているようなものなのです。こんな状態で走れば、体を壊すのは自明です。

この不平等は、LGBTQ+含め性別を問わず多くの人に影響します。もし誰かが「毎日ロシアンルーレットをしている」と言えば、多くの人は「危ないよ!」と考えるでしょう。しかし社会には同様に危険な構造的問題があるけれど、慣らされてしまい、それを当然のものとして受け入れているのです。

雇用と社会構造の硬直性

現在の正規・非正規という二極化した雇用体系には問題があります。理想的には、子育てや介護のために一時的に非正規になったり、また仕事に専念しやすい時に正規になったりと、柔軟に行き来できるべきです。しかし現実には、非正規から正規への移行は極めて困難です。

非正規雇用者は体を壊すことがあり、正規雇用者も「あんな風になりたくないだろう」という圧力の下で、責任だけが増え続けています。

これはnoteの世界にも通じます。人口は減少し読み手も減少しても書き手は増加し、競争は激化。出版社や読者の要求は高まる一方で、報酬は下がっていく構造です。仮にプロを超える才能を持っていても、相応の報酬を得られるとは限りません。

正規雇用の苦しみもこれに似ています。「これくらいやってくれないと困る」「嫌なら非正規でいい」という圧力の中、看護師のような資格があれば転職しやすい職種もありますが、現実の転職は給料が下がる傾向もあります。だから、請負やフリーランスに取り組む方や、起業する方もいますね。

看護師の能力の個人差

私は訪問看護を受けている経験から、2018年から合計14人の方と深い話をする機会に恵まれました。専属の担当が一人いるのではなく、彼らはチームで行動します。だから、主治医の他に、看護師の視点から客観視のサポートを受けています。週3回を7年だから、膨大な時間です。

彼らは転職や異動で入れ替わりますが、私についての情報は引き継がれていきます。中にはより学びたいと進学を決意した方もおられました。

僕は2000年代前半にコールセンター業界で中間管理職をしました。たまたま、看護師業界と同じで女性の働きやすい世界です。実力主義だから、経営幹部も女性はいます。

看護師と話して思うのは、男性だから共感能力が低いことはないし、女性だから高度なリフレーミングを行えないこともなく、個性と努力と経験とスキルとハートの掛け算です。男女の二元論で語るより、現実に近いです。

死にかけた時に助けてくれたのは専門性だった

もっとも、過労で高熱が下がらず下痢も止まらず、調べたら心臓壊れててカテーテル手術を受ける時、鼠蹊部の大腿動脈からカテーテルを入れるから、導尿とか剃毛とか恥ずかしい気持ちはあるけど、死にかけてICU入る状態だから、それどころではなかった。性別ではなく、専門性が助けてくれたと感じています。(けれど、女性が女性の医師を希望する気持ちは察するから、頼りになる女性医師を増やすことに賛成だし、「女性医師が良かったけど、うちの主治医は性別関係なく信頼できる」と思えることも理想)

話を戻すと、公平なルールの下で競争すれば、それぞれの強みが発揮されるはずです。看護師たちの世界には、ジェンダーギャップ解決のヒントがあるように、私は思います。もちろん、看護師さんには看護師さんの「地獄」がある。人間関係とか責任の重さとか、頼られすぎることとか、バーンアウトとか。

命を懸けることの限界と遺伝的な懸念

過労死2回しかけた僕が言うのは恥ずかしいけど、仕事に全力を尽くすことは素晴らしいですが、文字通り命を懸けるべきではありません。私自身、家庭の事情や成長への願いから莫大な作業量をこなして、障害に至りました。

私の場合は精神疾患多発家系の可能性もあり、これは傲慢さというより、祖先から「見えない爆弾」を受け継いでいる可能性を示唆しています。私の家族を見れば、父の兄も、亡くした年下のきょうだいも、私自身も、「死ぬより苦しい」思いを経験してきました。確率がどんなに低くても、このリスクを次世代に渡すことへの躊躇いは人情です。

この健康問題は、35歳で「愛しているのなら、破談にすべきだ」という決断の一因です。あの頃の私は、元パートナーと子どもは望まない方向で話し合っていました。強引に婚姻届を出すのは可能ですが、元パートナーがご実家と私の板挟みになります。私は婚約を破棄しました。生涯を通じて親になる機会を失い、自分の親に孫の顔を見せられないことは無念でしたが、乗り越えました。

大事なことだから言うけど、これは私と元パートナーがあの頃出した答えです。今なら、答えが違うでしょう。理由は、仮に遺伝的に要因を持っているとして、どう幸福にするか、今の方が具体的な知恵が増えたから。だから、35歳の僕らの限界を、一般化しないで欲しいのです。重い病気の当事者でもお子さん授かってるご家庭もあります。

国家とブラウザの比喩

この問題に解決策はあると考えています。人間の権利は国家によって守られています。国家がなければ警察も裁判所も弁護士も機能しません。この関係をデジタル世界に例えると、国家はOSであり、私たち人間はブラウザのようなものです。ブラウザの種類は違っても、同じ規格のHTML/CSSなどで様々なサイトを表示できます。我々の興味関心で。

この(スマホでは限定的だけど)ブラウザに拡張機能やアドオンを追加できるように、私たちも教育や価値観を身につけます。台所で安全に火を使えることや、インターネットでフェイクニュースを拡散せず大切な人と交流できることは、ブラウザの「拡張機能」としての常識や良識によるものです。

AIはこの構造の中でどう位置づけられるでしょうか。国家というOSの上で動くブラウザ(人間)が使う道具であり、クラウド経由で動作するという点でもブラウザで使うアプリケーションに近いのです。ChatGPT+もClaude 3.7 SonnetもGemini 2.5 Pro Preview 03-25も。

結論:社会の強さと個人の回復

私が伝えたいことは3つです。一つは国家と人間の関係がOSとブラウザに似ているということ。もう一つは、ダブルスタンダードや不平等は鉄下駄を履かされることと同じで、公平な競争を不可能にするということです。そして現代社会では、意味のないロシアンルーレットを強いられているという現実があります。

社会の真の強さは、泣いている人——子どもであれ、マイノリティであれ、女性であれ、高齢者であれ——に手を差し伸べ、再び社会に戻れるようにすることにあります。故障者や病人を排除するのではなく、いかに社会に再統合するかが重要なのです。

具体的な解決策は一つではありませんが、サッカーで例えるなら、チームの一人が退場となった時に内部で責任を追及して更に人数を減らすのではなく、残った人数で最善を尽くすことと似ています。少子高齢化で現役世代が限られる日本では、故障者を出さないよう努めるとともに、故障した人が再び競争やチームに戻れる仕組みを作ることは不可欠です。5年、10年先には現役世代がさらに減少するため、準備を始めるのは、今です。

関連note




部活動

プロフィールと自著

無料キャンペーンは終了していますが、全てKindle Unlimitedで読めます
和書は現在下記二冊です。

Audibleでオススメ教えありますか? エッセイやビジネス書、講演録が好きです。


Photo by Ivan Samkov:

https://www.pexels.com/photo/a-person-wearing-black-sneakers-sitting-on-a-skateboard-6968673/


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三澤直己 | カラストラガラ / Trgr | フォロバ100% ここまでお読み下さり感謝。各種SNSでのシェアも励みになります。非営利の取り組みが多いため、チップのご検討、助かります。

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