編集後記(助手をして思うこと)
母の人生は1950年代の子だから、ボンネットバスで先生に会いに行く話とか、牧歌的なエピソードもあります。
先生が転任され
小学2年になった私達は
放課後に先生に会いたくなり
6人くらい(男女半々)が話し合って
ボンネットバスで20代前半の車掌さんから
切符を買ってバスに揺られて10kmくらい離れた
先生の転任先へ会いに行ったことがあります
出典: 会いたくて、会いに行った春|鈴木薫
URL: https://note.com/p_s_n/n/n256b49b68447
足に関しては、ぶつけて爪を剥ぐだけで十分痛いし歩けなくなるので、骨自体を蝕まれる痛みで「動けない」ことが3年続き、末期は寝たきりになることは、子どもの忍耐出来る痛みを越えるだろうと、僕は思う。
小学4年の手術近くの頃は
カカト近くが患部なので体重をかけられないし
振動も痛みを起こすので
膝から下を手で持って移動させる状態でした
そのため、届けてくれてもすぐ行けません
だから寝床から返事をして
友達に障子を開けてもらい
「ここに置いておくね」と声をかけてもらうこともありました
出典: 私の幼年期の終わり|鈴木薫
URL: https://note.com/p_s_n/n/nea86d3981958
農村で育ち、東京の下町で中学2年から結婚まで暮らし、神奈川で子育てをし今に至ることを考えると、診療所に通ったり隣町の医師に診てもらっても、原因を見つけてもらうのに3年かかったことが、自己形成に影響を与えているように思います。
僕は父のことで苦労したので、母方の祖父が一日農作業をして、19時頃に翌日の弁当の支度をしている様子を聞くと、嬉しく思います。一つは、自分の祖父の姿を知ることが出来るから。もう一つは、親子関係で苦労することは多いから、働き者で子煩悩の父で良かったと、無い無い尽くしの母に対して思うのです。
祖母が(祖父の妻)いない分、倍働く祖父です。ただし、だからこそ、結婚の挨拶あたりで誤作動していますが。
母の歩くことシリーズ
この記事を書いた人
部活動:note大学哲学部
現在のこのnoteのメインコンテンツ:みんなのための社会デザインラボ


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