玄関の曇り窓が不思議だった。玄関のドアの横についている明かり取りの細い窓。それは曇りガラスに濾過された光だけが流れ込む。玄関はグレーから、黒に近いタールのように重たい雰囲気の時もある。昼間の強くまばゆい白、夕方の黄色やオレンジのスペクトラム、そして夜の玄関のランプの弱い光。それらが規則正しく春夏秋冬を奏でていた。さらに、それぞれの時間帯には、登下校の子どもたちの声や、新聞配達のバイク、隣の隣の犬の声、真夜中のずっととおくにある踏切を終電近くの電車が渡る音も、光と調和している。

これらのハーモニーの中でも、とくに夕方の黄金色の斜め45度の光線は、玄関の細かい埃を見つけ出して白く染め、玄関の木製の明るい色の下駄箱も、白い壁のざらざらした質感も、タイル張りの土間も、壁の中央に絵画を飾るかのように配置された窓も、何もかもこの時間だけはテクスチャーがくっきりとして、手で触れるまでもなく、目で見るだけで感じ取れそうなことが不思議だった。

幼稚園児や小学生時代はもちろん、大人になってもレンブラントライトを知らなかった。レンブラントライトは、光源を斜め45度ぐらいの角度でやや上方から当て、陰影を強調し、顔の立体感を高める技法だ。この斜め45度のコントラストの魅力はシンプルで奥が深い。だから今も、幼い日も、20代で都心に通った日々も、いつでも言葉を失ってゴールデンアワーの不思議にひたることができた。大空と街が一望できる丘の上で木のそよぐ中で感じることも、思い出の中にある玄関の曇りガラスでも、それぞれ味わいがある。これらは極めて似ており、違いを比較するのは困難だ。例えば、タイムラプスのように動画にしないと、我々は季節により光の角度が異なること、そして、「同じ光は二度と体験できないのだ」と体験しにくい。

そもそも月が地球の周りを周ったり、逆に地球が太陽の周りを周ることなら分かる。その太陽系が銀河の腕に沿って螺旋を描くこともわかる。しかし銀河団になると、目を閉じて視覚的にイメージすることは、私は困難だ。まして、宇宙の大規模構造は、自然と、いつの間にか、説明のための図やモデルが浮かんでしまう。これらが全て移動している。膨張している。シャボン玉が複雑に有機的に大きくなるように、膨らむとされている。

空間が膨張すると言われても、風船を膨らませるのとは意味が違うから、直感的にイメージしにくい。なぜなら、風船は中と外があるが、宇宙が膨張する意味での空間の「外」は、そもそも無いのだから。無いことをイメージしろと言われても、なかなか難しい。例えば炭鉱のように穴を掘ることを横から見ると、空間ができる点では似てはいる。しかし、結局風船と同じ構造になってしまう。つららが育つように、潮が浜に満ちるように、空間自体が膨張した分だけ、広がることは理解できるがイメージはしにくい。

幼い頃、シャボン玉で遊んだ。ツツジの花の色に似たヤクルトくらいの容器に溶液が入っており、それを膨らませて飛ばす。幼い私の手の中の小さなシャボン玉と、世界で理解できる中で一番大きなものに共通点があるのは不思議だ。さらに大陸が年に1cmくらい移動しているから、物理的な座標は複雑に変化している。けれど、当然だが住所は変わらず管理できる。そもそも、「今日は地球も調子よさそうだ」とか「今日は回転がぶれている」と感じることはない。起きたら天変地異になる。このように、我々の日常の不思議は、普遍性と同居している。

言葉を覚えると楽しい。例えばTCP/IPとISDNとHTTPSなどと言葉や概念を覚えると理解するための足場が増える。とはいえ、シャボン玉を見て、「ΔP = 2γ/r」「スルホン酸基」「ヒドロキシル基」「炭化水素鎖」と言えるほど、この方面に明るくない。このように、言葉や概念や仕組みを、「あれは何、これは何、なんでなんで」と質問攻めにする幼い子の気持ちも、今になればもっともなことだと感じる。けれど、ゴールデンアワーの光が、なぜ胸を刺すのか。どうして言葉を失うのか。これらを言葉にせずに、時々思い出して、ただ、雑に大雑把に、あるいは、あるがままに綺麗だなと体験出来ることを保ちたい。

それは、再読に耐える本に出会うことと似ているし、記憶の中の「玄関の曇りガラス」と共鳴するトリガーでもある。


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三澤直己 | カラストラガラ / Trgr | フォロバ100% ここまでお読み下さり感謝。各種SNSでのシェアも励みになります。非営利の取り組みが多いため、チップのご検討、助かります。