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ゆっくりと穏やかに

1971年、ドルの裏付けが金(ゴールド)ではなく、実質的にドルそのものになりました。

これは非常に重要な出来事で、かなり簡単に説明しますが、というのも通貨の裏付けが金のような埋蔵量の限られた貴重な資源であれば、経済の規模もその埋蔵量分までが限界であるといえるのですが、ドルそのものが価値があるものとして人々が「認識」しほぼ無尽蔵に増やすことができるようになったとき、『社会』も無限に規模を大きくすることができるようになったのです。

埋蔵量の限られた資源を通貨の裏付けとしていたとき、どうしても農業や工業等、生命活動や実利に密接に関わってくる産業(ハード)に価値の裏付けとして紙幣が回ってきます。その上限が解放されることでサービス業(ソフト)にも価値が見出されることとなったということです。

けれどそこで問題になるのが労働力で、無限に増え続ける通貨が、無限にサービスを作り続ける中で、明らかに男性だけでは足りなくなるのは目に見えてるでしょう?

だから「女性の社会進出」なのです。

女性の社会進出、女性の自立、
悪いこととは全く思いませんが、少し片隅にでも上記のような考え方は持っていてほしいのです。

つまり、「それって誰かのマネーゲームの都合でしかないんじゃない?」、ということです。

だから下記の内容が大切なのです。

あなたが今そこにいるのは奇跡といっても過言ではなく、それほどにあなたは貴重で希少な存在なのです。
あなたは「あたりまえ」ではないのです。
その貴重さや希少さを『社会』の基準のみで判断してほしくないのです。

https://note.com/kinuzuka/n/n20b5061dd4d5?magazine_key=m9c10d6c3b991

もちろん、だからといって『社会』や「社会」を壊せ、などと言いたいのではないのです。

あなたが自分自身のことを奇跡的で、
貴重で、希少な存在だと、心の奥底から感じていられてること、

そしてその「穏やかさ」を判断や行動の基準にしていただきたいのです。

それができないから、大声で「女性の社会進出」だとか、老後貯金2000万円必要で投資が必要だとか、AIだとか、仮想通貨だとか騒がれると、その裏側を捉えることすらせず、われ先にと飛びついてしまうのです。

女性の社会進出を、投資を、AIを、仮想通貨を、頭から否定するつもりはありませんが、それらと向き合うのにはあまりにもみな、「穏やかさ」が足りないのです。

けれど「社会」に『社会』に対する自己存在の依存を抜け出そうとするとき、あなたの中に

本質的無価値(アーリマン)
自我崩壊(キュベレー)
根源から生じる悲しみ(ディオニソス)

その他諸々が湧き上がってきます。


故にあなたはあなたが社会で生きていくために纏ったいくつもの「洋服」を「鎧」を、「ウロコ」を「皮」を「ゆっくり」と剥がしていって、その本体と直面し、それを愛していただきたいのです。

あなたは人間の本体はなんだと思いますか?

目に見えるカタチに標準を合わせるのであれば、

脳、心臓、腸、巣、骨、血、肉、

それでは、目に見えないカゲに標準を合わせたときはどうでしょうか?

電気信号、神経伝達物質、心、魂、魄、運命、宿命、経験、知識、知恵、

思い出…

[レプリカント]真実への門、門とは傷、コンプレックスが開く???[テレプシコーラ]

昨今はこのような質問に対して「脳」と答える方が増えてきている印象はありますが、まだまだ早すぎるお話かもしれませんが、後々には「情報」という回答がちらほらと聞こえだすようになります。


たとえば彼は「正しい質問」になりました。


上皇陛下は「象徴」となりました。

このようなお話が以下の記事に繋がってくるのです。

変数の箱に「何も無い」状態をnullと呼びます。

「認識されることで存在する」、という設定のこの世界においては、全ての人間が魂の海に還ることは、全ての箱がnullになることと同義なのでしょう。

そこに魂を注ぎ込んだのは、もしかしたら…。


たとえばあなたが階段を昇り、扉を開けて、椅子に座ったとして、
「愛」という箱には誰を組み込みますか?
「恋」は?
「勇気」という箱には?

「強さ」、「弱さ」 
「美しさ」、「醜さ」、
「善」、「悪」
「大人」、「子ども」

「草原」や「海」、「山脈」、「森」、「町」
「曲がりくねったデコボコ道」

「朝」「夜」、「春」、「夏」、「秋」、「冬」

「信頼」「ルール」「裏切り」、
「暖かさ」 「冷たさ」

「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、「強欲」、「色欲」、「暴食」

「王」、「道化師」、「影」、「騎士」、「魔女」、「科学者」

「啓蒙」 「欲望」 「理性」

「おかあさん」

「おとうさん」

「傷」は? 「侘しさ」や「寂しさ」は?

あのときの「後悔」

あのときの「決意」

あのときの「ユメ」


もしくは、あなたは未来で何になるのでしょうか?

私は人間の本体とは「そこに至るまでのすべて」だと思います。

あなたの本体は、人生そのものが「過程」すなわち、dynamis(デュナミス)可能態 であるといえるのです。

無限にある選択肢の中で何かを選び、そうして生じる結果に対して、
喜び、悲しみ、笑って、泣いて、怒って、憎むこと

そのための肉体、内と外、ホンネとタテマエ
意識と無意識、

それら全部が「いのち」であり、例え目に見える現在が荒々しくとも、そのすべてが穏やな過程なのだとしたら、
今だけが全てではないのだと思えたのなら、
正確には空間的な「今」だけでなく、「時」が満ちることがあるのだと思えたのなら、

そんなに結論を急がなくてもいいと、そう思いませんか?

あなたの「認識」はいつかの誰かであり、
ゆっくりと進むことで「時」として舞い戻ってくるのです

その不思議さもあなたなのです。

穏やかに、ゆっくりと進んでいきましょう。



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