見出し画像

見返り鬼譚《耳あり芳一外伝》【第十一夜】八枚の護符(連作短編)

清閑寺の女が語る、夜ごとの鬼譚。
語られるのは、祇園に生きた誰かの結末――
けれどその結末は、ひとつではない。
同じ怪異、異なる結末。
読み手の耳に委ねられた真実。
『耳あり芳一』外伝 “見返り鬼譚”、ここに開帳。


本編はコチラ

前回はコチラ


第十一夜 角一と彦七の忠義 其の六
     八枚の護符


ポロン……

琵琶の音がひとつ、夜の空気をなでるように鳴りました。

「さあさ、お集まりの皆さま方──
 今宵お話しいたしますのは、役人ふたりの“旅の終わり”でございます。

 旅の名は“忠義”。
 その道中には鬼が出るやら、幻が囁くやら、星が降るやら──
 それはもう、耳を澄ませば背中がざわりとするような、そんな旅でございました。」

ポロン……

「さて、舞台は京・祇園。
 町は桜が咲き始め、夜でも明るく賑やか。
 そこでふたりは、最後の使命に挑むのです。

 “八つの社を巡り、護符を集めよ”──
 命じたのは、あの白き肌の陰陽師。
 道中どんな困難が待つか、それは神のみぞ知ることでございましょう。」

ポロン……ポロン……

「ですがご安心を。
 このふたり、強く、まっすぐ、何より誠実でございます。
 ですから今夜は、少しばかり安心してお聞きください。

 ……ただし最後に待つのは、あの“鬼の王”──
 みなさま、お心の準備はよろしゅうございますか?」

◇◇◇◇◇

 昼の陽が西へと傾いたころ、角一と彦七は、ようやく祇園の町へと入った。
 時に春。八分咲きの桜が風にゆれ、夕刻の光を浴びて宵を迎える町並みは、まるで夢の中にいるようであった。

 長き旅の疲れがじんわりと身体を包む。
 それでも、角一は町の空気を味わうように、肩をすくめて一息ついた。

「……京の町は、やはり華やかだな、彦七」

「まったくだ。鼻がくすぐられるような香の風、艶っぽい提灯の並び。これぞ祇園、ってやつだ」

 両人は、初めてその地を踏む。
 それでも、どこか馴染みのような空気を感じるのは、旅路の果てに辿り着いた安堵からか──あるいは、何かに呼ばれているのかもしれぬ。

 宿に選んだのは、「蓮屋(はすや)」という町はずれの旅籠であった。
 武士客も迎える風情ある建物で、板の間も清潔。若い料理人がいると聞いて、安兵衛と名乗るその男に興味を持った彦七が決めたのである。

 女将・お兼に案内され、二人は二階の部屋に通される。
 障子を開ければ、遠くに桜の梢が連なり、そこからはまだ行き交う人々の賑わいが聞こえていた。

「明日から八社を巡る。準備は今夜のうちに済ませておこう。とはいえ、少しは骨休めもせねばな」

 角一がそう言えば、彦七も「まったくだ」と応じ、腰を下ろす。

 夕餉(ゆうげ)の席には、安兵衛が腕をふるった肴が並んだ。
 香ばしく焼かれた鯛のかぶと、出汁のしみた煮しめ、つややかな白飯に、味噌の香り高い汁──そのすべてが、長旅の空腹に染みわたるようであった。

「こいつは見事なもんだな、角一」

「……うむ、旨い。これは祇園に来た甲斐がある」

 酒も進み、ふたりはゆるりとした心地に包まれる。
 障子の向こうで夜風が鳴る。どこかの店から三味の音が漏れ聞こえ、春の夜の浮かれた風情が、ふたりを眠気へと誘った。

 角一はふと、天井を見上げながらつぶやいた。

「……彦七。ここまで来たな」

「おうよ。だがここからが正念場だ」

「八つ、護符を集めねばならぬ。時間の猶予はあるが……すんなりいくとは思えぬな」

「だが、やるさ。俺たちゃ、下知役だ」

 ふたりは静かに杯を干し、布団に横になった。

 明日は、八つの社を巡る旅の始まり。
 そして、それが何を呼び寄せるのか、ふたりはまだ知らなかった──

 朝の祇園は、夜の喧騒とは打って変わり、どこかしっとりとした静けさに包まれていた。
 町並みのあちこちから、桶の水を打つ音、掃き清める音が響き、軒先には昨日よりも咲き広がった桜の花が、まるで空の色を引き寄せるように揺れていた。

 角一と彦七は、蓮屋の帳場で身支度を整えていた。
 昨夜の安らぎの余韻を残しながらも、顔にはやや緊張の色が浮かぶ。

 背に護符を入れるための小箱を結びつける。
 宿の女将・お兼が、湯気の立つ朝粥と香の物を手早く差し出すと、ふたりは感謝してそれを平らげた。

「今夜も、泊まらせてもらうことになろう」

 角一がそう言えば、お兼は微笑を浮かべてうなずいた。

「はいな。お待ちしております。……どうか、ご無事で」

 ふたりは軽く頭を下げ、蓮屋をあとにする。

 最初に向かうのは、祇園の北にある社──春日明神。
 陰陽師・晴々(はればれ)から預かっていた地図には、八つの社を巡る順序が丁寧に記されていた。八坂神社は最後、最も大きな力を封じた場所であるという。

 祇園の町を歩けば、桜の花びらが足元に舞う。
 遠くで囃子(はやし)の稽古が聞こえ、祭りの近づく足音が感じられた。

 やがて社に到着すると、まだ朝早いためか、参拝客はほとんどいなかった。
 神主は白髪混じりの温厚な老人で、晴々の名を出すと、すぐに事情を理解してくれた。

「……これが、その護符じゃ。これより先、いかなることがあろうとも、決して手放してはならぬぞ」

「心得た」

 角一は護符を受け取り、小箱のなかに丁寧に収める。
 その瞬間、ふたりの身体にひたりと重みが走った。

「……妙だな」

 彦七が眉をひそめた。

「気のせいか、少し……身体が重くなったような……」

「長旅の疲れかもしれぬな。歩けば、すぐ戻ろう」

 そう言い合いながらも、ふたりの顔にはわずかな違和感が残った。
 だが、それを振り払うように、ふたりは次の社へと足を向ける。

 まだ陽は高く、春の空は青く澄みわたっていた──

 二社目は、町の西にある「松風稲荷」。
 参道には朱塗りの鳥居が並び、狐の像が見守るその社は、小ぶりながらも祇園町の者たちから篤く信仰されている場所だった。

 角一と彦七が鳥居をくぐるたびに、どこからともなく風が吹いた。
 それはまるで、ふたりの訪れを拒むかのような、冷たく湿った風であった。

 社の神職は若く、晴々からの預かりごとにもすぐに応じた。
 二社目の護符を受け取ると、角一の足がふと沈む。

「……また、だ」

 彦七も同様に肩を落とし、苦笑した。

「身体が……重いな。まるで、鎧を三枚重ね着したようだ」

「いや、これはただの疲労ではないな。何か……違う」

 しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
 角一は護符を箱に納めると、きっ、と前を向いた。

「まだ二つだ。行こう、次へ」

 三社目、四社目と巡るごとに、ふたりの歩は確かに鈍っていった。
 それでも足を止めずに進み続けたのは、護符を八枚揃えねばという使命が、ふたりを強く引っ張っていたからだった。

 だが、四社目を終えたとき、ついに彦七が膝をついた。

「……くそっ、立てるには立てるが……これはさすがに、ただの疲れじゃあねえな」

「同感だ。まるで背に丸太を背負って歩いているようだ」

 角一もまた、額ににじむ汗を袖で拭った。

 ふたりは相談のうえ、その夜は再び蓮屋に戻って体を休めることにした。
 八つの社を一気に回るつもりだったが、このままでは動けなくなる──そう判断せざるを得なかった。

 陽はすっかり傾き、祇園の街は再び提灯に灯をともしていた。
 祭りの近づく予兆に街はざわめきながらも、ふたりの顔は重く曇っていた。

 祇園の町に、やわらかな夜が訪れていた。

 桜が白く灯りに染まり、道の両脇では提灯の赤がゆらゆら揺れている。
 夕方、角一と彦七のふたりは、護符を四つ手にして、蓮屋へと戻ってきていた。

 脚は鉛のように重く、背には目に見えぬ何かが乗っているかのような疲労。
 それでも町の明るさと、旅籠のあたたかな明かりは、ふたりの目にやさしく映った。

 「よぉ戻られましたな」

 戸口に立っていた女将のお兼が、にこやかに迎える。
 角一は軽くうなずき、彦七はふうっと息を吐いた。

 「今宵も泊まらせていただく」

 「ええ、どうぞごゆるりとな。安兵衛が、腕によりをかけて肴を拵(こしら)えております」

 蓮屋の座敷には、程よく熱の入った湯が用意されていた。
 角一と彦七は、肩まで湯に沈めながら言葉少なに目を閉じた。

 「……肩が抜けそうだな」

 「おう……俺ァもう、祇園の石畳を引きずって歩いてる気分だ」

 ふたりは湯を上がり、浴衣に着替えて、膳を囲んだ。

 膳には、板前の安兵衛が作った見事な酒肴が並ぶ。
 焼いた鴨肉に、香ばしい味噌の香りが絡み、ほろ苦い菜の花の白和えが春の味を運ぶ。
 そして、焼きおにぎりの香りが部屋を包み、熱燗の徳利が静かに湯気を上げていた。

 「……やっぱり蓮屋は違うな。肴も、湯も……」

 「この味があるから、歩ける気もしてくるわ」

 ふたりは、ほんのひととき、安らぎの時間に身をゆだねた。

 だが、それも長くは続かなかった。

 夜も更け、ふたりはそれぞれの布団へと身を沈めた。
 祇園の町はまだどこかで笑い声と三味線の音がしていたが、部屋の中は静かだった。

 角一は、すぐに夢を見た。

 呻き声が、聞こえた。
 苦しい……
 うらめしい……
 おまえたちのせいだ……


 どこからともなく響く、数えきれぬ声が、角一を包む。

 気づけば身体は動かず、背には重たい何かがのしかかっていた。
 声は耳元で、何度も何度も繰り返す。

返せ……返せ……

 そして、次の瞬間には、目の前に黒い顔が現れた。
 目も、口も、ただ裂けるように開いていた。

 「ぬ……ぬぅうああッ!」

 角一は、汗だくで跳ね起きた。
 息が乱れ、心臓が喉元まで跳ねている。

 隣を見ると、彦七もまた、うなされている。

 「……うう……やめろ……」

 彦七もまた、同じ悪夢に取り憑かれていたのだ。

 ふたりは、言葉を交わすことなく、ただしばらく、夜の静けさの中で天井を見つめていた。

 月は、雲の切れ間から覗いていた。
 満開の桜は、まだ朝の光を待っていた。

(続きます。次回最終話)



※平日は一回、休日はたまに二回、投稿しています。ハートマーク(スキ)押していただけると、とても嬉しいです。また、シェア(拡散)して頂けると筆者が血の涙を流して喜びます。よろしくお願いします。

続きはコチラ


宜しければコチラもご覧下さい

いいなと思ったら応援しよう!

北南屋 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!