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見返り鬼譚《耳あり芳一外伝》【第一夜】お兼と金の声(連作短編)

清閑寺の女が語る、夜ごとの鬼譚。
語られるのは、祇園に生きた誰かの結末――
けれどその結末は、ひとつではない。
同じ怪異、異なる結末。
読み手の耳に委ねられた真実。
『耳あり芳一』外伝 “見返り鬼譚”、ここに開帳。


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あらすじ
平家滅亡より幾星霜――
鎌倉の世に渦巻くは、報われぬ想い、拭えぬ怨み。
人の心に巣くうそれらは、やがて“鬼”の貌をとる。

舞台は祇園、にぎわいの裏で囁かれる怪談奇譚。
その名も『見返り鬼譚』。
ひとつの怪にふたつの運命。
噺の結びは、福か禍か、聴く者の耳に委ねられる。

振り返れば鬼となり、振り返らねば人のまま。
――けれど本当は、誰もが一度は振り返ってしまう。

町の灯が落ちるころ、女がひとり琵琶を奏でる。
声はあらず、音にて語るは、闇に沈んだ者たちの記憶。

さて今宵も、ひとつ語りましょう。
見返ることから始まる、静かなる祟りの話を。


第一夜 お兼と金の声

――ポロン……ポロン……

琵琶の調べに、闇が撓(たわ)む。
一夜のあいだに咲き、そして散った、ひとひらの女の運命。

祇園・蓮屋に名を残すは、女将・お兼。

今宵、その名を語りましょう。

◇◇◇◇◇

お兼は、五十に手が届く年。
されど、皺ひとつ無い白い肌。艶の残る黒髪に、しゃんと伸びた背筋。
祇園の町に知らぬ者はない――蓮屋の女将でございます。

その宿、安からぬが、通う客は後を絶たぬ。
なぜかと申せば――
お兼に惚れ込んで通うのでございます。

声は低く、言葉は少なめ。笑顔など、まず見せぬ。
しかしそれが、ようございますのや。
無表情の奥にちらつく色気、見えぬ笑みに滲む艶……
男というものは、そういうものに、弱いのでございます。



さて、ある日のこと――
朝市帰りの川魚売り、藤兵衛が、蓮屋の前で大声を張り上げた。

「お兼さんよぉ! きのうの代金、まだもろうとらんぞ!」

がなり立てる藤兵衛に、町の者が足を止める。

帳場から顔を覗かせた女将。
指先に煙管をつまみ、静かに告げた。

「お渡ししましたよ、昨日の朝。あんたが急いどると言って、袋を受け取ったでしょう」

「なにを! わしはそんなもん、もろうとらん!」

声が響く。噂が走る。
“蓮屋の女将が金をごまかした”
“あの女は、かつて京の金貸しの妾だった”
“金に取り憑かれたんやろう”――



その夕刻――
旅籠の中庭に、金子がひとつ、落ちていた。

女将はそれを拾い、懐にすっと納めた。
誰の物かは知らぬ。ただの一文、されど、どこか重い。



──そして、その夜から。
奇妙なことが、起こりはじめた。



蓮屋の中で、金子が鳴いたのだ。

かすかに、耳元で――

「かねぇ……かねぇ……」

女将は首を振り、気のせいだと笑った。
だが、翌晩も、そのまた晩も、金子は鳴いた。

「もっと……かねぇ……」

その声、女のようで、幼きようで、どこか冷たい。



女将は、捨てようとした。
しかし、できなかった。

金は、重い。

欲に濡れた手には、離せぬほどに――



それからというもの、蓮屋に泊まった客が、
一人、また一人と、姿を消した。

誰も見ておらぬ。
夜の帳が下りた後、布団は空になっていた。

女将は言った。

「知らぬ。あたしは、なにも見とらんよ」



その目には、光が灯っていた。
金子のような、ぎらついた光でございました。



祇園の町では、蓮屋を避ける者が増えてゆく。
客足が遠のいても、お兼は平然としていた。

夜な夜な金子を磨き、耳を澄ます。



「もっと……もっと……」

あの声が、喜んでいるような気がした。



そして、ある夜のこと――

女将の姿が、蓮屋から消えた。

誰にも見送られず、誰にも気づかれず、
まるで最初から、存在しなかったかのように。



残された帳場には、磨き上げられた金子が、ひとつ。

……その金子が、
ほんのすこしだけ、笑ったように――見えた。

◇◇◇◇◇

――ポロン……ポロン……
一つの町に、一つの宿。
一人の女将に、一つの選び道。
道が分かれりゃ、結末も二つ。
さて、今宵は“もう一方”の話をば――

◇◇◇◇◇

あの日の朝――

蓮屋の帳場に、怒声がひとつ。
川魚売りの藤兵衛が、声を張り上げて叫んだ。

「女将さんよぉ! きのうの代金、まだもろうとらんぞ!」

すると帳場から、お兼がすっと立つ。
五十に手が届く齢ながら、背筋は凛。
その白い指先に煙管を挟んだまま、ゆるりと頭を下げる。



「……確かに、渡してはおりませんでした。こちらの思い違いでございました。すみません」

「え……ええ、いや……」

藤兵衛は、たじろいだ。
強気で知られた祇園の女将が、あっさりと詫びたのだから。

町には、ざわりと風が吹いた。
だが――それで、終わったのでございます。



その夜。
お兼は帳場に、ひとり腰掛けておりました。

戸の隙間より、秋風がひゅうと吹き込む。

ちゃり……

金子が一つ、ころりと床を転がる。

それは誰のものでもなし。
――いや、もしかすれば、あの朝の代金だったやもしれぬ。



女将は、それを拾い、掌にのせた。
そのとき――耳元に、ふいに響く。


「……すてて……」

金の声では、ございません。
子のような、娘のような、幼く、やさしい声。

「わたしを、すてて……」


お兼の手が、ふるえた。
金子を、ぎゅっと握りしめ――そして見つめ直す。


「……そうか」


女将は、静かに立ち上がり、蓮屋の裏へと向かった。

そこには、ひっそりとした石の祠。
かつて、この町に流れ着いた日の夜、女将が身を寄せた古い祠。

その前に、そっと金子を置く。


「いらぬものだったのでしょうね。……ありがとう」


その夜――
蓮屋には、不思議な静けさが満ちた。

寝つけぬ客が庭へ出てみれば、月は高く、白き彼岸花が咲いていた。
誰が植えたとも知れぬ、幽(かす)かな花でございました。


翌朝。
蓮屋には、再び客の声が戻ってくる。

川魚売りの藤兵衛も、魚を抱えてやって来た。

「女将さん、あんたはやっぱり筋が通っとる」と、笑って言う。


お兼は――
それでも、あまり笑わぬ女将でございます。

けれど、ふとした折に、目尻がやわらいだ。
その姿に、町の誰かがぽつりとつぶやいた。


「蓮屋の女将さん……なんだか、若返ったように見えるなぁ」



それからというもの――
蓮屋に、金の怪も、ささやきも、現れることはなかった。

ただ――秋の夜長。
月が澄みきった晩にかぎって、帳場の奥より、かすかな声がするという。


「……ありがとう……すててくれて……」


その声は、懐かしく。
金のように光りはせず、
ただただ、やさしい音だったということでございます。

◇◇◇◇◇

――ポロン……ポロン……

夜が深まり、琵琶の音がひときわ静かに流れる。

語り手の女は、ふう、と細く息を吐く。

「……金とは、重たいものねえ、ふふ」

片や、金に取り憑かれ、声に惑わされ、
ついには己の骨さえ焼かれても気づかぬ女将の話。

片や、金の囁きに耳を澄ませ、手放し、
やがて町に微かな白花を咲かせた女将の話。

どちらが“真”か。
それは、この琵琶の調べのように――

ゆらり
揺れて
定まらぬ。

「人の噂というものも、真実とは限りません。
あの蓮屋の女将が、金を呑んで焼かれたとも、
あるいは、祠に供えて救われたとも、
夜ごと話す者の口で、かたちを変えていくのです」

女は、月のほうを振り返る。

「ただ――どちらの女将にも、耳がありました。
そして、その耳は……いずれの声を選んだのかしらね」

闇が深まる。
風が、琵琶の音にまじって通り過ぎる。

「さて、今夜の語りはここまで。
また次の夜、あなたの耳が求めるならば……
“もうひとつの怪”を、ひとつ、開帳いたしましょう」

――ポロン……
――ポロロ……


その音は遠く、けれど耳に残る。
蓮屋の女将・お兼の話、果たしてどちらが真実だったのか。

それとも――
あなたの耳が、真実をつくるのかもしれない。



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第十一夜 https://note.com/kitaminamiya/n/nb2e002a2bbdb
最終夜 https://note.com/kitaminamiya/n/n7d73ba11a8d3



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