見出し画像

見返り鬼譚《耳あり芳一外伝》【最終夜】忠義の剣(連作短編)

清閑寺の女が語る、夜ごとの鬼譚。
語られるのは、祇園に生きた誰かの結末――
けれどその結末は、ひとつではない。
同じ怪異、異なる結末。
読み手の耳に委ねられた真実。
『耳あり芳一』外伝 “見返り鬼譚”、ここに開帳。


本編はコチラ

前回はコチラ


最終夜 角一と彦七の忠義 其の七
    忠義の剣

 夜明け。
 蓮屋の格子戸の向こう、祇園の町に朝の光が差し込んでいた。

 角一は、まだ汗の滲む寝間着のまま、静かに障子を開ける。

 そこには、絢爛たる桜の景が広がっていた。

 夜のうちに花は一気に開き、祇園の町はまさに桃源郷。
 八分咲きだった木々は、今や満開となり、白と薄紅の花が空にまで届くほどである。

 「……満開、か」

 角一の声に、隣で支度をしていた彦七が振り返る。

 「華やかなもんだな。まるで俺たちを見送ってくれているようだ」

 ふたりは朝の支度を整えると、帳場へと向かった。

 女将のお兼が、湯気の立つ味噌汁と、ふっくら炊きたての白飯を用意していた。

 「よう眠れましたか?」

 「……夢見は悪かったが、体は休まった」

 「今日も泊まりに参ります。八社目のあと、また戻る予定でな」

 「ええ、お待ちしておりますよ。今朝も安兵衛が腕を振るってますのでな」

 笑顔を返して、ふたりは蓮屋を後にした。

 桜舞う祇園の町を抜けて、五つ目の社へ。

 その神社の鳥居をくぐった瞬間、ふたりは強烈な重みに襲われた。

 足が、前に出ない。
 肩に何かが乗っている。
 背中に、見えない何かが這い上がってくるような感覚。

 それでも角一は、神主に事情を話し、護符を受け取った。
 礼を述べて、社を後にする。

 「……重いな、角一」

 「おう……昨夜の悪夢のせいかとも思ったが、これは……」

 「護符のせいか」

 「そうであろうな。しかし、後戻りはできぬ。行くぞ、六社目へ」

 ふたりは気合いを入れ直し、次の社へと向かう。

 道中、すれ違う町人たちが、ふたりの足取りに目を見張る。
 役人二人が、まるで老人のような歩みで進んでいるのだ。

 六社目、七社目──
 護符を受け取るたび、ふたりの体はさらに重くなっていく。

 七社目を終えた頃には、まるで背中に石の地蔵を背負っているかのようであった。

 「角一……正直、これはもう……立っていられねえ……」

 「それでも、八坂神社が最後だ……もう一息だ、彦七」

 ふたりは互いに肩を支え合いながら、祇園の中心──八坂神社へと向かった。

 満開の桜が、頭上から降るように散っていた。
 舞い落ちる花びらの中、ふたりの姿は、まるで神のもとへ歩む者のように見えた。

 「行こう、最後の護符を……!」

 八坂神社の鳥居をくぐった、その瞬間──空気が変わった。
 桜の香りはすっと消え、代わりに鉄のような匂いが鼻腔を刺す。
 咲き誇る花々の奥に、夕陽を受けて鈍く輝く御本殿の屋根が浮かび上がる。
 音のない静寂の中、得体の知れぬ緊張だけが濃く、漂っていた。

 角一と彦七は、もはや身体を引きずるようにして、ひと足ずつ踏み出していた。
 全身に鉛でも仕込まれたかのように、足は地に吸い付いて離れず、膝がわずかに震える。

 それでも、神主に頭を下げ、八つ目の護符を受け取った。

 そして、護符を受け取ったその刹那──

ズン──と、

 大地が鳴った。

 神殿の奥から、黒煙のような瘴気が溢れ出し、空を覆う。
 桜が散る音が止まり、すべての気配が凍りつく。

──ギギ……ギ、ギィ……
 何かが這い出すような音が、地の底から響いた。

 「こ、これは……!」

 角一が立ち上がろうとするも、膝が砕けそうになる。
 護符が熱を帯び、全身に異様な力が巡る。

 瘴気の中から現れたのは、紅の髪に金の眼、鬼の角をもつ巨大な影──

 「我が名は……酒呑童子……」

 その声は地鳴りのように重く、同時に妙に甘美な響きを持っていた。

「長き封印、ようやく解かれた……さて……」

 鬼の眼が、角一と彦七を捉える。

「貴様らの血で、宴の口開けとしようぞ……!」

 咆哮とともに大地を踏み鳴らすと、突風が吹き荒れ、祇園の街が揺れた。
 家々の壁が震え、瓦が空中に舞い上がる。
 角一は歯を食いしばり、よろめきながらも、なお立ち上がった。

 「……このようなところで倒れるわけにはいかぬ、なあ、彦七」

 「おうよ……お役目、果たすまではな……!」

 ふたりは護符を放り出し、武器を構える。
 角一は打刀を、彦七は短槍を──

 酒呑童子が吼えた。
 両の手に宿る妖気が、雷となって地を裂く。

 それをかいくぐるように、彦七が走り出す。

 「角一、右から回るぞ!」

 「承知!」

 ふたりは息を合わせ、鬼の懐へと斬り込んだ。

 ──斬撃。突き。
 ──回避。応戦。
 ──打撃、反撃、転倒──

 しかし、何度斬っても、鬼の体は立ち上がってくる。

 「くそっ……しぶとい奴め!」

 「まだだ……まだ終わらせん!」

 酒呑童子が拳を振り上げ、地面を砕く。
 その衝撃で彦七が吹き飛ばされる。

 角一が叫ぶ。

 「彦七!」

 「へへ……大丈夫だ、死んじゃいねぇ……!」

 角一は刀を握り直した。

 「ならば……これが、最後だ!」

 満身創痍のまま走り出す。
 足は鉛のように重い。
 呼吸は浅く、血が喉に上がってくる。

 それでも。

 「ここで倒れてなるものかッ……!」

 角一の刀が、酒呑童子の胸を深く貫いた。

──ズウゥゥ……ッッ!!

 鬼が呻き、崩れ落ちる。

 その体は黒い霧と化し、空に溶けて消えた。

 あとには、風の音と、散る桜の花びらだけが残されていた。

 彦七がよろけながら歩み寄る。

 「……やった、のか」

 角一は肩で息をしながら、静かにうなずいた。

 「……忠義、果たしたな」





 風に揺れる花びらが、夜空へと舞いのぼってゆく。

 満開の桜の下、月の光に照らされながら、
 誰かがひとり、静かに語っていた。

 ──清閑寺の女。
 朱の着物に身を包み、膝に琵琶を抱き、ほのかに微笑む。

 「この二人の旅路には、いくつもの分岐点がありました。
  けれどふたりは、迷わず忠義の道を選び抜いたのです。

  ──あなたはどうでしょう。
  自分が信じた一本道を、まっすぐに歩き続けることができますか?

  ふふ……ええ、みなさんの分岐点の先にも、鬼がひっそりと潜んでいるかもしれませんよ」

 そのとき──
 琵琶が、夜を裂くように、ひと音だけ鳴った。

ポロン……

 闇の中、花びらがまたひとひら、
 風に乗って、どこか遠くへ消えていった。


 ──おしまい。


見返り鬼譚(完)


※平日は一回、休日はたまに二回、投稿しています。ハートマーク(スキ)押していただけると、とても嬉しいです。また、シェア(拡散)して頂けると筆者が血の涙を流して喜びます。よろしくお願いします。

あとがきはコチラ

宜しければコチラもご覧下さい

いいなと思ったら応援しよう!

北南屋 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!