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春樹君と由紀夫君56 『歯車』を語る


三島さんも野菜くずのごみ袋を捨てる男の正体を明かしませんでしたよね。


んーそうだったかな。


黒いベレー帽の男の正体も謎のままですよね。


そうかなあ?


やっぱり三島さんも「明確に何かを隠しながら書く」ということをしてきた人だと思うんですね。そして案外そこに気が付いている人は少ない。「明確に何かを隠しながら書く」作家が少ないとは思いませんが。


目を閉じればいいって言っているのに、とか花ちゃんは処女じゃないかとか、そういうことに気が付く読者は殆どいません。


作家は永遠に孤独だよ。


なかでも芥川は淋しがり屋でしたね。


そうだそうだなあ。『孤独地獄』なんて本当だろうな。


今回は芥川の『歯車』をやりたいんです。


意外だな。みんな『歯車』に注目しすぎるからやりたくないと思っていたが。


三島さんが松枝清顕のモデルに芥川を想定していたと知って少し気が変わったんです。
しかし『歯車』といえば俗説は「間もなく自殺する精神異常者の告白」として読まれてきていて、小林十之助の解釈は「アポフェニアという認知バイアスに陥った主人公を巡って言葉が意味を持つとはどういうことかという問題が突き詰められる知的小説」だという対立構造ができているだろ。


そうです。小林十之助はこの期に及んでますます知的な芥川の態度に感心しています。「クルシイクルシイ」では『歯車』は書けませんね。それに主人公の希望は「他殺」ですから捻っています。


まさに「知的なひねり」がある訳だ。そこは気が付かなかったな。認めよう。


三島さんは明治三十七年から大正三年くらいの時空に清顕を置くじゃないですか。清顕は一首も歌を詠みませんね。あれのどこが芥川なんですか?


そんなことは無料では教えられん。
きっと誰かがチップくれますよ。


先払いでお願いします。


弱ったなア……。


なんでも無料で教えてもらえると思うな。


みなさん、そういうわけなんで、どうかよろしく。


で、なんで『歯車』なんだ。


僕は『歯車』は芥川の自殺の理由を読み解く材料ではないと思っているんですよ。


なるほど。


自殺の理由なんて考えてもつまらないでしょう。それは飯沼勲にしても同じです。


よく気が付いたな。


だって松枝清顕の病死だってとってつけたようなもんですよね。


そこが解れば大したもんだ。


僕は芥川も大正三年に風邪でも拗らせて死んでいたら幸せだったかなと思います。


それはつまり漱石に会う前に、ということかね。

 僕はやっとその横町を見つけ、ぬかるみの多い道を曲って行った。するといつか道を間違え、青山斎場の前へ出てしまった。それはかれこれ十年前にあった夏目先生の告別式以来、一度も僕は門の前さえ通ったことのない建物だった。十年前の僕も幸福ではなかった。しかし少くとも平和だった。僕は砂利を敷いた門の中を眺め、「漱石山房」の芭蕉を思い出しながら、何か僕の一生も一段落ついたことを感じない訣には行かなかった。のみならずこの墓地の前へ十年目に僕をつれて来た何ものかを感じない訣にも行かなかった。

(芥川龍之介『歯車』)


「セピア色のインクはどのインクよりも僕を不快にするのを常としていた」なんていかにも漱石をディスるじゃないですか。セピア色のインクは漱石のお好みの色です。


有名な話だね。確かに『歯車』では「漱石の圧迫」というものを指摘しているな。


三島さんの死後、川端さんが三島さんの幽霊に悩まされてガス自殺したことはご存じですよね?


いや、知らん。


何か芥川は漱石に認められなけばよかったかな、三島さんは川端さんに認められなければよかったかなと思ったりすることもあります。そうすれば自殺なんかしなくて済んだのかと。


大蔵官僚が自衛隊に突入してはいかんという法はなかろう。


ありますよ。そもそも駄目なんですよあんなこと。


ダハハハハハ


ロジカルな話をしますとね、三島さんが「歌を詠まない清顕」のモデルに作家になる前の芥川を重ねていたとしたら、それは『歯車』の「十年前の僕も幸福ではなかった。しかし少くとも平和だった」という感覚とどこか似ているような気もしているんです。後悔とか反省ではなく、別の生き方もあったかもしれないという感じ、そういうものが共通しているのかなと。


小林十之助の云う通り『歯車』は精神病者の告白ではないな。そして芥川にも清顕にも死すべき明確な理由もなかったし、死は運命でもなんでもなかった。ただ死んだだけだ。君は「豹に似た海綿」の意味が解るか?


ええーっと。

「あの西洋髪に結った女か?」
「うん、風呂敷包みを抱えている女さ。あいつはこの夏は軽井沢にいたよ。ちょっと洒落た洋装などをしてね」
 しかし彼女は誰の目にも見すぼらしいなりをしているのに違いなかった。僕はT君と話しながら、そっと彼女を眺めていた。彼女はどこか眉の間に気違いらしい感じのする顔をしていた。しかもその又風呂敷包みの中から豹に似た海綿をはみ出させていた。
「軽井沢にいた時には若い亜米利加人と踊ったりしていたっけ。モダアン……何と云うやつかね」

(芥川龍之介『歯車』)




解りません。これは小林十之助も解らないと書いています。


AIはそういう記述そのものの存在を否定してきたか。ポンコツだな。


これが海綿ならところどころ眉墨か何かで黒く斑点になっていたんじゃないか。


あ、なるほど。


モダンガール、ステッキガールのがさつさの表現だろう。これは小林十之助は書いとらんだろう。
書いていませんね。解らないところで終わっていました。


私にはすぐに解った。私が一番偉い。


でもこれ自体小林十之助が書いているんですよね。


違いますー。私が喋ってますー。


小林十之助なんてどこにもいないんですー。架空の存在なんですー。


私が「豹に似た海綿」の意味に宇宙で初めて気が付いたんですー。


それ、いくらなんでも無理がありますって。こっちが架空の存在でしょ。


でもnoteに実在するのは私たちよ。


まちがいなくそうですね。


で、「ただ死んだだけだ」からなんで海綿の話になったんでしたっけ?


君は豹に似た海綿がなんなのかと考えもしなかっただろう。ならば何故死の意味を問う?


別に……。


そう。ニヒリズムというのはね、あらゆるものから意味を消失させるのだよ。


それは言葉を生業にするものにとって地獄では?


だろうね。だからありったけの仮構で太虚を埋めようとする。その一番の大嘘が阿頼耶識だ。


え? 三島さんそっち側の考え方ですか。


いや、今、小林十之助に言わされた。


酷い話です。阿頼耶識なんて。


そっち?


僕も小林十之助に言わされました。


つまりここにあるのは全部錯覚だろう。ニヒリズムは意味を消失させるが『歯車』は錯覚にも意味が賦与される過剰な意味の世界だ。それは対等でどちらが正しいとも言えない。


つまり『歯車』のアポフェニアを本多が引き取って消滅させると。
なんでも無料で教えてもらえると思うな。


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