お相手よりもnoteが好き? | 今ここを綴る 017
再会してからの数年、この時期にお相手に季節のご挨拶文を送っています。
送りたくて送ってもいたでしょうし、連絡する口実も欲しかったのかもしれません。
ですが、それ以上に
「しっかりした人でありたい」
「しっかりした人だと思われたい」
の欲求が強く出ていたように感じています。
加えて、
「あなたがどういう状況であれ、あなたのこと、ちゃんと忘れていないですよと示したい」
という名目もあったかもしれません。
この「お相手にかわいそうな思いをさせたくない」と考える発想に関しては、昨夜の記事でも少し触れています。
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そのためか、ご挨拶した翌年の夏からは、すでに
「…この不自然な流れの中で、私はご挨拶するの?」
「ただの形式的な、挨拶のための挨拶になっているのでは?」
「この行動で本当に気持ちを証明できるのかな?」
と自分が蒔いた種(自己顕示欲)にしっかり苦しめられております。
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そして、先月、その「しっかり者・あなたを見捨てないよアピール」の呪縛を少し解き、ここ数年送っていた別のメッセージを送らずに過ごしました。
そこに加え、今回のメッセージもお送りしないとなると、行動面でいえば、昨年とは違う見え方になるでしょう。
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とはいえ、お相手のことを信じていればいいのです。
私からの連絡がなくたって、変な勘繰りをするお方ではない。
私からの連絡がなくたって、必要があれば、またいつか何事もなく自然にお会いできる。
季節のご挨拶文を送る送らないで、ここまで文章を膨らましている私こそが、この関係性に不安を持ち込んでいるのでしょう。
そもそも、お相手は何にも思っていないかもしれません。
お相手のことを好きなはずなのに、まだ信じ切れていなかったようです。
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何よりお相手に送る文面を考えようともせず、誰かに頼まれたわけでもなく、今もこうして note の画面に楽しく文字を打ち込んでいます。
このこと自体が大きな証で、お相手にメッセージを送るより、こうして note を書いている方が遥かに心が喜んでいるのでしょう。
これほどに満ちた気持ちになれるのは、書くという大好きな行為にきちんと時間を割けているだけでなく、
内容選びにも満足しており、文体も自分が楽に書けるものを採用しているからだと思われます。
自分の「好き」がより深まるように、「好き」を作り込めているようです。
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昨夜も書いたように、自分の気持ちに1mmも妥協しないで行動を選んでみる。
こちらの記事にも「初めから思いっきり理想を望んでいい」と書いておりました。
きっと、お相手も今は note を書かせてくれているのでしょう。
「楽しいのでしょうから、そうしていてください。外も暑いですし」と。
やがて、この note欲も少しずつ姿や形を変え、良い意味で背景化されていくはずです。
その頃に、ふと画面から顔を上げ、見えた景色に心を奪われた時、きっと私はその美しさをお相手と共有したくなり、連絡するのだろうと思います。
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この note では下記記事にあるように、ツインレイ・ツインレイプロセスという概念を崇めず無碍にせず、括弧で包むように取り扱っています。
自己理解を深めたい、現実逃避扱いを受けやすい精神世界の概念を利用する感覚を追体験したい。
そういうご関心を持っている方に少しでも何かお届けできれば幸いです。
