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ブラッディ・クリスマス 血戦は日曜日

クリスマスイブに親知らずを抜いた。
何でそんな羽目になったのかと言われれば、医者にその日に手術すると言われたからである。最初は近所の歯医者で抜こうとしたけど、歯の生え方が横向きに生えていて複雑だからうちでは抜けない、大学病院を紹介するからそっちで抜いてくれと言われて、近所の歯医者と違って予約が取りづらく、予約できたのが2週間後、病院での待ち時間も長く、2時間以上待たされて診察を受けて、さあ抜く段取りを決めようという時に向こうから提示された第1候補が12月24日だったのである。この時点で8月。そんなに間が空くの?ってことと、よりによってクリスマスイブ?ってことが重なりふえっとなったのと同時に、これを断ったら年を跨いでしまうのかも それは絶対に嫌な気持ちと、クリスマスイブの予定を今から抜歯で埋めるのは嫌な気持ちも重なってふあっとなったのだけど、悲しいかなクリスマスに何か予定が入ることはないだろうという予測と、入れる気もない自分も想像できてしまって、ふえっとふあっとはしていたが、そのままクリスマスイブに親知らずを抜く予定を8月の段階で入れてしまったのである。

そして案の定、他の予定が入ることもなく無事に手術を迎えることが出来たのだけど、歯を抜くのって何であんなに痛いのかね。
幸い自分は歯は丈夫で、虫歯になったことがなかったので、抜歯の手術は大人になってからである。親知らずを抜くのはこれで2本目だが、今回は死ぬほど痛かった。自分は痛みには強い方で、小学生の頃に手にイボが出来た時にドライアイスで冷やして潰すという処置を受けたことがあり、それは大人でも泣くような方法だったそうだが、泣かずに耐え切ったので医者に驚かれた記憶がある。
でも今回は普通に泣いてた。
今回の病院では口元だけ開いた薄いブルーシートのようなものを身体にかけられて手術をしていたため、泣いてる姿は見られてないのかも知れないけど、あの布はそういう意味のためにかけたのですか?痛くて辛かったら泣いても良いんだよってこと?でも布の下でひとり泣いてる時に、あなたたちは平然と会話しながら手術を進めていくから私の孤独感は増すだけなんですけど?
歯の手術の最中に医者とコミュニケーションを取るのすごく難しくないですか。痛かったら言ってくださいね、っていうけど口を開けてるから何も言えないです。あと痛いとしても一瞬痛みが走っただけの時と、完全に痛い時とどっちか判断つかない時があって、迷っているうちにチュイイイインが強くなって、余計に声が届かなくなってしまうんです。でチュイイイインが鳴ってるってことは、口の中にドリルだかカッターだかが作動しているから余計に動いちゃダメなんだって思うんだけど、一方で我慢できなくなるぐらい痛くなってきて、声も出せないし動いてもいけないし、でも痛いし声にならない声とめちゃくちゃ踏ん張る身体の強張りでぐったりしてしまうんです。
あと口の中に出てきた血を流すためか、ずっと水を小出しで流し続けるのもどうすれば良いんですか?ずっと溺れてるんですけど。溺れてむせてチュイイイインで口の中がギャアアアアってなるのも嫌だから我慢するけど痛いし溺れて苦しいし。痛いって思うとむせそうになるし。水入ってくるし。痛いし。泣くしかないじゃないですか。でもそれにも布かけてるから気付いてくれないじゃないですか。孤独!

で、多分、ちょっとずつ割りながら掘り進めてブッこ抜く、みたいなやり方でやられてたと思うんだけど、ある程度のサイズに削って割ったら、てこの原理でブッこ抜くっていう段階が何回かあってこれが本当に嫌で。まず脳内にミシミシという音が響く。本当ならミシミシという音は抜かれてる歯のところで起きている音だから、脳内には存在しないはずなんだけど、骨伝導でダイレクトに届いてくる。大長編ドラえもんの原作漫画で宇宙船が宇宙を飛んでいる時にゴゴゴゴゴ…って音が出てるのに対して宇宙だから実際は音は出てないのだけど、これは宇宙船の中でのび太たちが聞いてる音です、って注釈が入るのに似ている。こういうどうでもいいことを考えて逃したくなるぐらいの嫌さで、しかも大抵はサッと抜けずに猛烈に痛いのである。あんまり一気にブチ込んで口がだらんだらんになっても、という配慮なのか麻酔をちょっとずつ打ってそれが効いているであろう範囲を見極めて作業を進めていく、というやり方らしく、削るとか割るとかの時の痛みは走っても一瞬なので我慢できるのだが、このミシミシの時は麻酔が効いている範囲の神経まで障ってしまうようで、毎回めっちゃ痛いのである。孤独状態で声も上げられないので「〜〜〜〜〜〜!!!!!!」と悶える他ないのだが、ようやくそこで気づいてくれて麻酔を足す、というのを繰り返すも、その麻酔もまたちょびっとなので、全然痛みが減らない、でも麻酔を足してくれたのであれば、こちらが我慢するターンなのか、と思って頑張るけど、頑張ってもどうしようもないぐらい痛くて泣く、悶える、孤独に気づいてもらう、麻酔を足して貰う、を何回も繰り返して、無いはずのミシミシが常に脳内に鳴り響き、暴れたいぐらい痛いが暴れるわけにもいかないので、身体は限界以上に反り返り、セルフ鯖折り状態。どこも縛られてないのに、三角木馬に背中で乗せられてる気分。もしくは、大木が口の中から生えていて、その根が自分の身体を通して大地にまで張っているような感覚。そして、その大木を引っ張られると根が抜けるより前に、そのまま自分の口が持ってかれちゃうんじゃないかという恐怖。より強張って踏ん張る身体。反り返るボディ。汗だく。でも布がかかってるから誰にも見えない。孤独!

そんなことを繰り返して、手術は1時間ぐらいで終了。最終的には4つぐらいに割って採掘された模様。思った以上に横向きに生えていて、それで他のところの神経に触れちゃってたんですね、でも骨に直接生えてる方よりはまだマシでしたから、という慰め?の言葉を貰い、知らんわぃと弱々しく心につぶやき、そうすか…と口に出すのが精一杯で、そのまま帰宅したのだった。

母親がクリスマスっぽい食事を用意してくれていたけど、口の中は血まみれで何の味もせず。というか痛すぎてほぼ何も食えず。
痛み止めを飲んで寝た。

もう疲れちゃったから翌日のクリスマスは15時間ぐらい寝ていた。
前日に食べれなかったチキンなどを食べて名探偵津田を観ていたら今年のクリスマスは終わりました。

まあクリスマスなんてそんなものなので、別に良いのですが、個人的な感慨とは別に今年のクリスマス感の無さは凄くないですか?
私のバイト先も一応ケーキは売っているのですが、イブの午前中(歯を抜く前)なんて全然売れてなかったし。バイト先の隣の隣がケンタッキーで例年なら行列がうちの店の前を超えて伸びていくぐらいなのに、全然今年は並んでいる様子もなく。商店街のクリスマスの飾りもほぼ見当たりません。
不景気が目に見えすぎてます。
不景気と連動してなりを潜めてしまうクリスマス。全然文化として日本に根付いてねえじゃねえか!まあ元々キリスト教のだし、そりゃそうなんだけど、不景気だから何もやらないってのは行事としてどうなんでしょうか。

この時期なので、年賀状の作業をしている真っ最中なんですが、まあこれも毎年ね、貰う枚数なんて全然減ってます。自分の送る枚数は大体150〜200枚前後ですが、半分も返ってはきてないと思います。
はっきり言って面倒臭さはMAXなんですが、やめるとその瞬間に関係が切れてしまう人が何人もいるので、どうしてもやめる気は起きないんですね。
年賀状を送る意味って、その年に世話になった人に対してのお礼ということもあって、実際、その年に始めて送る人にはそのような文言を書いて住所を聞き出しますが、かといってその年に会わなかった人には送らないかというと、全然そうではなく、むしろ会ってない人に送ることの方が多いんですね。
今でも年賀状のやりとりをする相手として、小学校の時の友人がいるのですが、彼は毎回 自作の絵しりとりを描いてきてくれて、それを解読するのを楽しみにしているのです。彼の絵のクオリティは小学校の時に完成していて、大人になっても全く変わらない子供の時のタッチで描いてくれるので本当に大好きなんです。でも年賀状のやりとりだけで、小学校を卒業してから会ってもないし、特に会おうという話にもならないのですね。
年賀状を書く時の良いことは、書く相手のことを考えることです。100枚以上書いてると、流石に私も聖人ではないので、1枚1枚心を込めてメッセージを…とまではならず、半分ぐらい機械的にならざるを得ないのですが、それでも書く時にはこの人とはこういう時に出会って今は多分こういうことをしているのだろうな、とぼんやり考えるのです。
あんなに仲が良くてしょっちゅう会っていた人でも今は全然会わなくなったとか、逆にちょっと前まで特に仲良くもなかったのに最近はこの人とよく会っているなとか、そういう人間関係の変遷は自然と起こるものです。でも会わなくなったからといって、その人との縁が消滅するものでもないし、消すものでもないと思うのです。たとえ、その後二度と会うことが無いとしても。
だから基本的に返事がなくても届くうちは出し続けます。住所的にこの人の実家にただ送られてるだけじゃないかなという時もそのまま。届かないのが戻ってきて、改めて住所を確認しようもない人は送るのをやめて、その年に知り合った人には新たに聞いて、というのを繰り返しているので、基本的に150〜200枚ぐらいになります。自分のキャパシティ的にもこれぐらいの人数が限界なのでちょうどいいかと思います。
爆売れして関わる人がメチャクチャ変化したら自分の中の年賀状システムも変わっていく可能性があるけど、爆売れしたい欲求よりこういう生活のリズムの方を大事にしたい気持ちの方が強い気がするので、どうなんだろう、こういう気持ちがあるうちは売れないんでしょうか、どうなんだろう。
みんなSNSで生存確認できるうちはそれでも良いと思っていたけど、SNSも今では“意味”がすっかり求められるようになってしまって、合法的な詐欺師の巣窟のような、そんなものになってしまって、それを見るのに疲れてしまった人が周りには多くて、みんな何にも更新しようとしないから、誰がどこで何をしてるのかわからなくてSNSの甲斐がないですよ。起きた とか 腹減った とかつぶやけば良いんですよ。で、そういう特に意味もないつぶやきも、意味のある投稿と同じように並べて欲しいんですよ。意味も無意味も混在しているカオスが好きだったのに、勝手にAIに判断させて整理とかしないで欲しいんですよ。そんなの求めてないから。
よく意味はわからないけど、何となく繋がりはあるという状態を保持するのが文化だと思うんですよ。年賀状だけでなく墓参りとか。亡くなった人のことを考えるのなんて墓参りの時ぐらいなんだから。お金という意味を失ったらクリスマスは全然盛り上がらないって、そんなのやっぱり文化じゃないですよ。まあ、子供やパートナーがいれば話はまた全然変わってくるんだろうとは思いますけど。

そんなことを今年のクリスマスは血に溺れながら考えました。
年賀状を書きながら年明けすぐのLIVEの準備もしています。
歌の練習をしていたら歯の傷跡を縫っていた糸が取れて飲んでしまいました。
抜いた跡が埋まるまではお酒も飲めないので忘年会も行けません。
というかLIVEの準備でいっぱいいっぱいだし。
明日はどっちだ。
血戦は日曜日。2026年1月4日(日)!

新年初めての日曜日、俺にくれ!!


KYOHEI YAMAKAWA 3RD SOLO LIVE
2026年1月4日(日)

14:30 オープン
15:00 スタート
Solo Performance & LIVE
16:00 Talk & LIVE ピアノ:伊藤靖浩
17:00 終了

チケット:2500円+1ドリンク
当日支払い

場所:Daydream Kichijoji
〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-1-4-6F
http://www.studiopenta.net/daydream/index.html


予約は

kyokyo.pe777ymkw@gmail.com

に件名:ソロライブ予約で
お名前と人数を明記してお送りください。
もしくは直接、僕に連絡いただければそのまま予約します。


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