劇団チリ「即興穴の穴」を終えて。
2025年10月19日に劇団チリ「即興穴の穴」の公演がありまして、無事に終演しました。観に来て下さった方々、気にかけて下さった方々、ありがとうございました。
今回で3回目(というか今年のうちに3回目!)となる劇団チリの出演。即興にも大分慣れてきて、アンさんには劇団チリの頭脳派だとか褒めてもらったり、劇団チリの即興のやり方をNoteにまとめたり、稽古の序盤の時期はノリノリで稽古していた。だけど本番が近づくにつれて、何をやっても上手くいかない・何も思い浮かばないようなイップス状態になっていって、今までの中で本番を迎えるのが一番怖かった。
イップスの原因は色々考えられる。
前回はあまり即興の稽古に参加できないまま本番を迎えてしまったので、今回はなるべく多く参加してみた。その結果、やり過ぎて何が面白いのかわからなくなってしまったから、とか。もしくは以前やったことをやりたくない心理が働いて、次々と新しいことをやってみるけど、如何せん新し過ぎて成功のパターンを掴めないままに本番を迎えてしまったから、とか。
まあでも、稽古なんて失敗するためにやるようなもんだし、闇雲に回数だけを重ねていたわけでもなく、稽古で毎回チャレンジはしていたので、稽古を沢山したのは決して悪いことではなかった。
そう感じるので、原因はもっと他にあったように思う。
劇団チリの即興には上手くやれる方法がありそうに見える。
実際、各自が持ち寄ったアイデアが奇跡的に組み合わさって、即興なのによくぞここまで噛み合ったな!という作品が仕上がる時がある。その即興を後から分析してみると、メインの2人が分かりやすい関係性と抱える問題を提示したのに対して、後から入ってきた人たちがそれを補強する丁度良い情報を投げ入れて、それによって2人の関係性が一気にドラマチックに補強されて、とちゃんと理由があるように見えてくる。それで、その上手いこといくパターンをまた作りたくて、やり方を踏襲しようとする。
だけど、そんなもんは狙ってやれるようなことではないのである。勿論、毎回それを目指してやる意気込みではあるけれども、そうならなかったら失敗という訳ではないし、それぞれが面白いと思ったことを全力でやって、その結果、たまにめちゃくちゃ上質な名作が生まれるというだけのこと。それが5本に1本も生まれれば上出来だ。上質という言い方も語弊があるかも知れない。あくまで物語の構成上よく出来ているという面白みであって、それがしかも即興で作られているという凄さが加わることによって、上質に感じるだけである。
そうでなくても、何とか着地させたというスリリングな面白さや、着地はメチャクチャでも全体的にファニーで面白かった、など面白さにも色んな種類があるものだ。
だから、自分が面白いと思うことを、その場その場で全力でやり切りさえすれば、それで良いのである。そのはずなのだが、今回は稽古を重ねていく中で自分が面白いと思うことが何かを見失っていってしまった。正確には自分でアイデアを発信させるのに二の足を踏む状態になってしまっていた。
どうやら受けが上手いとか理論派とか色々言われた結果、場が荒れた場合に何とかするのが自分の役目であると無意識の内に背負い込んでしまったようだった。冷静に考えれば即興では何をやっても良いと分かっているのだけど、自分だけはちゃんとしなければならないという枷が、稽古の中盤あたりから勝手に発動していた。そのため思いついたアイデアをそのままポンと出せば良いところを、丁度良い形で提示しなければと考えてしまって、キレの悪い中途半端なものしか出せないということがよくあった。そのことが、“ちゃんとやらないといけないのに出来てない”という経験になってしまって、“もっとちゃんとやらないといけない”と余計に枷を強化していた。
一方で“もっと自由に即興をやりたい”という意識もあるから、自分の意識と無意識の枷がぶつかって脳がショートし、稽古の終盤には脳があまり働いていなかった。感覚的に以前ならもっと気の利いたことが言えた状況でも、なーんにも出てこねえ状態にまでいってしまった。真っ白だった。比喩でもなんでもなく、頭の中も意識も真っ白。
そんな状態で最終稽古を終えて、本番を迎えるにあたっては意気消沈だった。どうしたら良いのか分からないぐらいだったけど、自分でまとめたNoteを見返したら、そうか、こうすれば良いのかと少しだけ回復した。理屈で考えるからこそ、このような症状に陥ったのだと思うけど、理屈でまとめておいたからこそ、自分を救えることも出来た。何が正解なのか全然わからん。
状態も原因もわかってるけど、どうしたらそれが解けるのかわからないまま、本番に臨んだ。
それなりに上手くやれたところもあったけど、稽古と同じく真っ白になる瞬間があった。特にロングフォームの方。今回はいつもの短めの即興に加えて、長めの即興もあったのだ。
今回本番を迎えるにあたって、自分の中で決めていたことが2つあった。①真っ白になっても止まらないこと。②役から降りて素笑いをしないこと。
①について。アイデアが思いつかないことは仕方ないことではあるけど、後悔が残るのは何もしなかった場合だ。頭が働いていなくても、何か喋る。行動に出る。周りが何とかしてくれるかも知れないし、動いたら何か思いつくかも知れない。何にも出なくても困ってるところを見てお客さんは楽しんでくれるかも知れない。何にも出てこなくても、必要な時は何かやる。
②について。役から降りて素笑いをする。基本的にお芝居においては禁じ手だけど、即興だと使える場合がある。場がどうにもなってない場合、お客さんから共感の笑いを得られる可能性がある。でもこれをやった者は、その状況を丸ごと引き受けてブン回していく必要がある。調子が良ければ出来る時もあるが、今のコンディションでそれは無理。よって封じることにした。
ロングフォームの、3グループでそれぞれ即興をやって、出来上がったものを更にガッチャンコして1つの物語にする「スリーエピソード」は本当に難しかった。正直、稽古でも上手くいった試しが無かったので、出演者の誰もが手探りでやっていたのは間違いなかったと思うが、その中での私も当然、何にも正解は見えておらず、もう真っ白のまま何とか舞台上に立っているのがやっとという有様だった。
何かもう本番中の記憶はほとんど無いのだが、熊野善啓さんが特攻隊長のように颯爽と飛び出していった。しかし、ノーアイデアであることは誰の目からも明らかだった。熊野さんは空気感が凄いから何となく場を保たせることが出来るのだが、自分からアイデアを出すことはあまり得意でなく、でもその何も生まれない時間があっても本人はあまり動じないという恐ろしい能力(?)の持ち主なので、あ、コレはやばい!と直感的に思って気づいたら自分も飛び出していた。勿論、私もアイデアなんて無いのである。やっぱり熊野さんも何も無い。周りにだってアイデアは無い。私も真っ白だが、周りも真っ白。会場全体が真っ白なことも相まって、空間全体が真っ白に埋め尽くされたようで、あの瞬間、本当に、脳みそや心臓が止まって、死ぬかと思った。
この時より少し前。別の即興をやっている時、近藤美月さんと会話をする場面。近藤さんは基本的に発想が常人の域にはない、見たこともない球ばかり投げてくる女優さんだ。通常のコンディションでも上手く捌けた試しがなかったが、この日は真っ白だったので、余計に対応するのが困難だった。
稽古の様子を見ていて、近藤さんと何とか渡り合っていけるのはMCRの櫻井智也さんだった。しかし、櫻井さんのやり方はメタ的な視点からツッコんで返すという、脚本家・演出家でありブン回すのが得意な櫻井さんだからこそ出来るやり方であって到底真似できるものではなかった。特に今回の②の決め事に反する方法でもあったため、何にしてもこの方法は取れない。
そのため、近藤さんの投げてくる球に対して、私はもう真っ白だし、完全なる丸腰だったのだが、とりあえず引かずに一個一個打ち返すことにした。それはもう、とりあえず役から降りてないというだけで、上手いことなんて全然言えてないし、口を動かすことで何かを発してはいるがそれでアイデアが生まれてもいないし、物語が転がっている手応えも何も無い、上質な即興からは程遠いものであった。だけど、自分の中では、全くの無酸素で停止しそうになるところを、無理やり進むことでその度に一つ呼吸ができるように、前に進むことで真っ白なままでも何とか動けるようになる感触があった。
その感触があったので、熊野さんと一緒に舞台上で死にそうになった時も、何かしら叫んで前には進めようと思えた。もう誰が何をどうやって即興をまとめられたのかも覚えていないが、ヘイ ジュードをみんなで歌って終えられた時は心底ホッとした。何とか生き延びることが出来た。
今回の経験で気づいたことがある。今回の真っ白症状は無意識の背負い込みにあるのだろうけど、それ以前に向いてないことをやろうとしていたところもあったのだ。
今回、本番ではご一緒していないが、今林久弥さんも参加していた。今林さんは僕が出ない夜の回に出演していた。今林さんも櫻井さんと同じくメタ的な視点でツッコむことが出来る人だ。このメタツッコミを自分も出来るようにならないといけないと思っている節があったことに今回気づいた。
このメタツッコミというのは、端的に言ったら場を回す力だ。ただの一役者として活動していく分にはそこまで必須な能力でもない。しかし現場の空気を盛り上げて皆がやりやすいようにしたり、あるに越したことはない能力ではある。これがやれる人がいると、分かりやすくガッとその場が盛り上がる。それが出来るようにならないといけないと自分はここ数年ずっと考えていた。
自分が去年まで所属していたPeachboysでメタツッコミの役割を一手に担っていたのはGOさんであった。PeachboysではGOさんがリアクションし、怒り悲しみ、ツッコむことで物語が展開していた。メインのメンバーは僕を含めて3人だったが、明らかに劇中の役割の比重はGOさんにかかっていたし、事実上の主人公だった。しかし、比重が傾き過ぎて、正直なところ、バランスが悪かったように思う。本当は自分もそうした役割をやれるようにならないといけないと思いながら、どうすればやれるようになるのかわからない部分もあった。
そんなことを考えながらPeachboysも活動休止となり、完全にフリーの役者となった。以前よりも尚更、自分を売り込むことが重要となった。そうなるとますます、どんな現場でもブン回すことが出来る力が必要なんじゃないかと思えてきた。
周りを活かさなければ、なおかつ自分のことも引き立たせなければ。そんな意識をずっと持ちながら活動していた気がする。その意識を持つことはきっと間違いでは無い。ただ、根本的には自分の本分に合ってない意識なのかも知れない。
自分は学童で働いてる時、多くの子供達がわーっとメインの遊びに群がっている時に、それに乗っかれないでポツンとしてる子の面倒を見ることが多い。そういう子は大抵、独特のセンスを持っているので、ひたすらその子のセンスにこちらが乗って一緒に遊ぶことになる。自分としてもそういう子の方が気が合うし、接していて楽だ。
学童でバイトする人には、常に子供たちを集めて輪の中心となって皆を盛り上げながら面倒を見る人もいる。このやり方は、面白いことをこちらから提示して子供たちにツッコんで回して大人のペースに巻き込んでいく。メタツッコミのやり方だ。
自分はひたすらに子供たちの世界観に乗っていく。大人からしたらどういうこと?となる設定でもとりあえず乗っかる。乗っかってる内に子供の方がドンドン乗っていく。たまにこっちから仕掛けてみるけど、気にそぐわなければ全然スルーされる。その感じも全然別に良い。
これはどちらが良い悪いでもなくて、どちらも必要で、むしろ少人数で大勢の子供たちを見なければいけない時は、積極的に前者のようなまとめ方をする必要があるし、自分がそれをやらないといけない時は得意でないなりにそっちのやり方もやる。
何というか、派手に物事を大きく動かせるのは前者の回し方だと思うが、後者の回し方は静かなやりとりながら確かな手応えのようなものを感じながら進められる。どちらも必要なのだ。そしてその出し引きのバランスを考えながらやれたら最強なのだ。
そんなことを、今回の劇団チリで即興をやりながら考えた。
自分を売り込みつつ、周りを盛り上げるような、メタツッコミ能力は確かに必要だ。そうやって回せる人がいるだけで、即興はかなり上手く進む。自分もそういうことは出来るようになりたい。
一方で、自分はそれがめちゃくちゃ得意な訳でもないし、本来は好きなことでは無い気もしている。ツッコむよりも乗っかって、混迷した世界を広げていく方が好きだったりもする。それで面白くなる即興もあるし、そうした自分の売り込み方もアリだと思う。
どっちも必要だし、必要以上にこだわる必要もない。そうした境地に達することは出来た。本番で手応えは正直あまり無かったけど、少なくともイップスは脱することが出来たんじゃないかしら、たぶん。
11月の劇団チリ オープン稽古会のお知らせ。
みんな即興やろうぜ!
アン山田オープン即興お稽古会のお知らせです。11月のオープン稽古はこちらのみとなります。
— ブラジリィー・アン・山田 (@annyamada) October 27, 2025
皆様のご参加お待ちしております!https://t.co/kTkDKsIMNy
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