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パンサー向井に感じる業(ごう)の笑い

有吉クイズのメモドライブの旅が面白い。
この企画は数人のメンバーで遊びに出かけ普通に楽しんでいる最中にふと思ったことを逐一メモするという内容だ。表向きは楽しそうに過ごしていてもちょっとしたことが気になっていたり、静かに過ごしていてつまんないのかと思いきや内心とても楽しんでいたり、この人はこの時こんなことを考えていたのかというのを楽しむ構造になっている。言うほどではないけど気になるところは多々あるという人はメモが多くなるし、周りに色々思われてるけれど本人は全然気づかずにメモの内容がノーテンキな人もいる。また先輩後輩が入り混じって出かけるため、お互いが気持ちよく過ごすためにどう立ち回るか、その振る舞いも見えてくる。大人数で遊びに出かけた時の性格の違いがよく分かるのも面白い。自分はこの人に性格が似てるなというのも出てきて面白い。行動(実際に動いてる様子)と思考(メモ)が示されることで面白さが複層的になっている。後輩の食事の買い出しに対して一言も口を挟まないのに滅茶苦茶ケチをつけていたかと思いきや、後輩ムーブに慣れていない宮下草薙の草薙の働きっぷりに他のメンバーは文句を書いているのに有吉だけ褒めていたり、有吉の毒の塩梅がやはり絶妙だ。

先日、この企画の3回目にして、ゴールデンの1時間スペシャルがあった。それも当然いつものごとく面白かったのだが、中でもパンサー向井から感じる哀愁に独特なものを感じた。
過去2回は先輩後輩のバランスは似たような構成で組まれていた。有吉が一番上の先輩で、その次に安心感もあるし回せる兄貴肌の先輩(アインシュタインゆずる、ガクテンソク奥田)、更に次点の気難しそうな先輩(三四郎の小宮、元和牛の水田)、気が使える後輩(空気階段かたまり、マユリカ中谷)、イジられ役の後輩(ロコディ兎、草薙)といった配置で座組は構成されていた。
しかし今回はスペシャルということもあってか、有吉の同期である劇団ひとりと、その更に先輩である出川哲郎が参加し、後輩はAマッソ加納とニッ社ケツと向井。大まかに先輩が3人と後輩が3人という配置の座組であった。
本来は向井に期待される役目は兄貴肌ポジで、加納は気難し+気が使える後輩ポジ、ケツはイジられ後輩ポジといったところだろう。そこにいつもの有吉に加え劇団ひとりと先輩2人が二台巨頭として存在し、その更に上の先輩である出川は出川として自由に過ごしてもらうというのが今回の座組の狙いだったはず。
だが、結果だけ見ると向井だけがイジリの集中砲火を浴びて物凄く可哀想なことになっていた。後輩3人の中では向井が一番上のはずなのに、何故こんなことになったのか。

車で移動中の時に、誰かがアカペラで歌を歌わされるというくだりが毎回ある。大概はイジられ役の後輩が歌うハメになるのだが、この企画の際はみんな何だかんだ旅を楽しみたいという気持ちがあるために、歌ったあとは悪くないねという空気になることが多い。これは、テレビ番組における素人の熱唱はきついけど、ドライブ中に誰かが車の中で歌うのは旅のあるあるとして盛り上がる、という2つの可能性がこの企画だと後者に転がりやすいということだろう。
それで今回もケツが最初に歌って、悪くないねという空気になった。その後、向井も歌う流れになり歌ったらなんか違うという空気になってしまった。1回歌った後にもう一度別の歌を歌わされていたが、2回目の時はサビ直前で自らツッコんでしまい、それも違うという空気になってしまった。別に間違ったことをした訳ではなかったはずだが、2つの可能性がどっちに転がるかまだ分からない段階で自分で勝手に判断してツッコんだ、という感じになってしまったのか、その辺は微妙だ。とにかくここから向井の兄貴肌ポジとしての役割は崩壊していった。
その後、買い出しの際に有吉からコスプレグッズ買っといてと無茶振りをされ、パーティー会場で各々担当した買い出し商品を広げているタイミングで江戸の町娘カツラと白鳥付きブリーフを披露するもスルーされる。飲み物担当だった加納が下戸のために全く酒類を買っていないことが発覚し、何故か向井が代わりにまた買い出しに行かされる。ようやく帰ってきたと思ったらまだコスプレあるんだよねと振られて、あり合わせのものをかき集めてようやく出てきたところを劇団ひとりがもっと面白い扮装をしていて返り討ちに遭う。最後は地獄のビンゴゲームの司会を延々とやらされて1日通して散々な目に遭っていた。
向井にイジリの一極集中が起きたのは、元々の役割分担が崩壊したからだろう。意外とポンコツだった加納と割と動じないケツの仕事を有吉とひとりが吸収、宙ぶらりんになったイジられ役の後輩ポジを向井が一手に引き受けることになったのだ。この可哀想なほどの向井のイジられ方がとても面白かった。

イジられ役に徹している時の向井には独特の味わいがある。

兎・中谷・ケツはそれぞれイジられ役ではあるけれど、どこか男臭くて雑な部分があるから、ある程度まで追い詰められても開き直ってるように見える。この企画には出てないけど、ダイアン津田なんてイジられ役として今ピカイチの存在だが、同様に堂々とした男臭さがあるので、イジられていても悲壮感がない。負け顔も、誇張されたポーズというか、悪役レスラーの負け様にも見える。彼らにとってはイジられることは役割をこなしているのに過ぎないのではないか。
しかし、向井の場合は、本来はイジられ役ではないこともあってか、イジられてる時はポーズでなく本気でイジられているし、その分しっかり傷ついているように見える。パッと開き直れるような雑なタイプでもなく、逆にいつまでも引きずりそうな性格だから余計に傷は痛そうだ。その垣間見える傷ついた悲しみが、本当に可哀想ではあるのだが、それ故に面白い。

あちこちオードリーなどで語っていたが、向井はテレビやお笑いが本当に好きで、今その世界で働いて食えているのが幸せな一方、お笑い好きな視聴者として見た時にパンサー向井は別にいらないと思っている。自分の好きと自分の能力と俯瞰の視点が何も噛み合ってない葛藤を常に抱えている。
そのため、イジられてスポットを浴びている時、その葛藤は最大限に発動する。本来、向井が得意とすることではないからほぼ100%スベるし、その場にそぐわないぞと冷静な向井が言っているし、でも自分の好きなお笑いのど真ん中に立っているし、そこで100%スベることで逆に笑いが起こりうるし、でもそれは自分が起こした笑いではなくて構造的に笑いが起きているだけで、でもたまにウケることも勿論あるし、追い詰められてこそ芸人だ、といった逡巡で向井の身は引き裂けそうになっている。その生々しい傷の見せ方は、他のイジられ芸人のプロレス的エンタメではなくて、ドキュメンタリーに近い。

昨今、好きな芸人ランキングを作ればサンドイッチマンが上位にきて、誰も傷つかない笑いをやってくれるから、というのが理由として上がっているのをよく見る。傷つかない笑いというのは、イジったりイジられたり、誰かを揶揄するようなことをしない、という意味なのだろう。
だが、傷つかない笑いという言葉には物凄く欺瞞を感じる。
全く誰も傷つけない表現というのは存在し得ない。確かにサンドイッチマンは優しいイメージがあるだろうが、それでもサンドイッチマンの表現に傷ついた人はいるかも知れないし、その人に対してサンドイッチマンは傷つかない笑いだよね、と言うのは非常に残酷なことだ。そのことを無視して、傷つかない笑いという言葉を使うのは浅はかだ。
結局、安全圏で良識ある人ぶりたいのだろう。
世の中で笑って良いとされてるものであれば、笑っても良い人のままでいられると思っているのだ。
向井の今回の笑いを、傷つかない笑いではないから見たくない、と切り捨てることは向井にとってどれだけ残酷なことだろうか。

笑いはフリとオチだ。
大前提のフリが起こり、それに対して観客は予想と期待をする。それも込みでオチがあって、観客が笑うかどうかの反応が起こる。
イジるイジられるというのもそのフリとオチの一つの形態に過ぎなくて、それが型になってくるとイジり役イジられ役といった役割が出来てくる。こうなってくるとイジられるという行為もパフォーマンス化してくる。ただ、向井に関してはことイジるイジられるといったお笑いの一つの型においても、パフォーマンスを発揮できないという自覚があるため、どこまでも悲壮感が漂ってくる。お笑いが好きだからこそ、お笑いに自分を組み込みきれないという業(ごう)を向井は背負っている。その様子が酷く可哀想で、面白い。

バラエティ番組は芸人のネタだけでは感じられない、芸能界に生きる人間の業(ごう)のようなものがたまに感じられるので面白い。だから私はテレビが好きだ。

ちなみに自分は好きな芸人は誰か?と今問われたらダイアン津田がかなり上位に食い込んでくる。オシャレなコントや畳み掛けるような漫才、トリッキーなピン芸、基本的にお笑いは全部好きだし、感心するようなオシャレなお笑いも最近は多い。だが結局は理屈を抜きにして声に出して笑い転げたいので、そういう点では津田が面白い。インポッシブルとかもバカバカしくて大好きだ。
こういう話を考える時に向井は頭に出てこない。ただ向井のことは芸人として面白いと思う。そういうところにも業を感じる。


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