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ブルーバレンタインの友情ver. その2 ていうかブログ長すぎじゃない?

前回書いたブルーバレンタインの友情ver.の映画、書きこぼれがあったので追記。

もはや友情モノでも、最良の過去とドン底の今が行ったり来たり構造でもないけど。劇場で公開されてた時、好きすぎて自分にしては珍しく2回も劇場で観た作品。
『アフターサン』

女の子が若い青年にも見えるお父さんと、夏休みに休暇を一緒に過ごしている。どうやら女の子の両親は離婚していて、お父さんに会うのは久しぶりらしく。でも楽しげに、二人は夏を過ごす。映像は、少し掠れていて、ホームビデオのような質感。それが余計に、楽しい一夏の思い出っぽさを強調させる。
この映画は、多くを語らないのだけど、時折ほんの少しだけ不穏さを醸す。一瞬だけお父さんが車に轢かれそうになったり、歯磨きの泡を急に洗面台の鏡に吹き出してぶち撒けたり。
映画のあらすじでは“11歳のソフィが父親とふたりきりで過ごした夏休みを、その20年後、父と同じ年齢になった彼女の視点で綴る”となっているんだけど、20年後のソフィが映されるのも少ししかない。赤ん坊とパートナーらしき女性が同じ部屋にいるのは見える。それだけ。

この映画は基本的に、なかなか会えない父と娘が仲良く一夏を過ごしている幸せな映画だ。でも何故だか観客はその幸せが続かないことを知っていて、でも何で続かないのかは全然わからない。それは20年後の、今のソフィも同じで、20年後のソフィが一夏の様子を収めたホームビデオの映像を、今、見返している。今に至る原因を、その夏の映像の中に探すように。

『ブルーバレンタイン』が最良の過去とドン底の今が行ったり来たり構造だとすると、『アフターサン』は最良の過去の中にドン底の今を重ねる入れ子構造といえる。それも、最良の過去の中にドン底の今を見つけたと思ったら、さらにその中に最良の過去がまた出てきて…という無限マトリョーシカとなっている。その永遠にも思える明滅が、ラストシーンのストロボの中で踊る父親の姿なのではないか。それが美しく、哀しい。

思うに、自分の中で区切りをつけやすい他人とのこと(=友情や恋愛関係)であれば、終わった過去と進行中の今で比べられるんだろうけど、自分のルーツに密接に関わっちゃってる家族の話だから、過去であっても現在と地続きに繋がっていて無限ループしてしまうのではないかしら。

無限の明滅に目はチカチカして、頭がおかしくなるかも知れないけど、美しかった瞬間は間違いないものだから、その手触りを信じて前に進むしかない。少なくとも、僕は前向きな気持ちになれる映画だと思う。



それはそうと、ブログがとめどなく長くなってしまうのを何とかしたい。
↑のところで約1000文字ぐらい。このぐらいで収まってれば丁度いい、のか?
前回の『ブルーバレンタインの友情ver.』の記事7000字あって流石に長すぎる、と我ながら思っている。7000て。どう考えても長い。
自分が書いた記事の中で1番読まれてる『免許取るのやめた。』3420字。約半分。このぐらいが丁度いいラインか?2番目に読まれてる『ボボボーボ・ボーボボを許さない。』7390字。あれ?文字数の関係ではなく、記事の内容による、ということなのだろうか。。

前回の記事を書いた時にはざっと考えた構成はこう。
『ブルーバレンタイン』の要約→具体例①『帰れない山』→具体例②『あの夏のルカ』→具体例③『ロボット・ドリームズ』→具体例④あいみょん『君はロックを聴かない』→友人Yの話→結論。
③までで終わらせておけば、大分短くなったような気はする。というか、そうすれば良かった。
あいみょんの話はずっと思ってたことで、どこかで言いたいと思っていたのが、溢れ出してしまった結果、書き足したようなものだ。Yの話に関してはあいみょんを足した結果、収拾が付かなくなったから自分の体験談も挟んで何か良い話っぽくまとめようとしたのだろう。

読ませる文章というのは、内容の面白さは当然のことながら、その文章に込められた熱量が感じられるかどうか、だと思うんだけど、如何せん、内容に自信がないせいか、分量でサービス精神を表したいのか、思いついたアイデアを全部ぶち込んで分量がモリモリになってしまうところがある。で、モリモリにしたせいで自分でも手に余ってる時も、ある。。

Peachboysのラジオコントを書いていた時も、どうしても15分以上になってしまっていた。5分以内に収めるのが理想的だと自分でも思っていたのだけど…。

エッジの効いた文章をバシッと書けるようになりたいものだけど、それも数をこなすしかないかな。。


試しに前回の記事をChatGPTに要約させてみた。

概要

ある演出家が俳優に「『ブルーバレンタイン』の友情版のような映画はないか?」と相談するのを聞き、自分でもそのテーマに合った映画を探し始めたことがきっかけです。
「友情版ブルーバレンタイン」とは、友情が最高潮に輝く場面と、その友情が崩れ去っていく場面の両方を鮮やかに描く作品、という意味で定義されています。




「友情版ブルーバレンタイン」として挙げられた3作品

1. 『帰れない山』少年時代に出会った都会のピエトロと山の少年ブルーノ。成長して再会し友情を深めるが、やがてブルーノが家庭の問題で孤立し、救助隊も見つけられないまま消息不明になる悲劇的な展開。友情の始まりと終わりの対比が印象的です。


2. 『あの夏のルカ』(Luca)ピクサー作品。人間の姿のルカとアルベルトの友情は明るく描かれるが、物語の終わりでルカが自立を選び、アルベルトとの関係に距離が生まれる余韻が「友情の終わり」を予感させます。


3. 『ロボット・ドリームズ』言葉がない犬とロボットの友情を音楽で表現した心温まる作品。友情が築かれている間も、すれ違いが続く様子が『ラ・ラ・ランド』的な切なさを伴っていますが、この「擦れ違う友情」もまた深い印象を残します。




「友情」だけでなく「家族」や「再生」もテーマに

映画以外にも、あいみょんの「君はロックを聴かない」を聴いて思い浮かぶ “父と娘の物語” に触れています。失われた母への想いと冷え切った今が、過去と未来の希望と重なり合うという構成が、友情版というより「再生版」の要素を持っていると表現しています。




終章としての想い

自身の過去の友情、特に中学時代の親友Yとの思い出にも触れ、その友情が終わってしまったとしても、そのまま記憶に残る美しさは消えない、という人生観を語っています。まるで花火のような、儚くも鮮やかな過去の美しさをどう大切にしていくかを考えさせられます。

要約してみると、割と悪くない内容に思えた。
あとはもっとコンスタントに書くことと、やっぱり短くまとめることが課題だな。


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