シン・京都市長 信長 第五話
11月中旬、京都は紅葉シーズン真っ盛り。どっと観光客が押し寄せる。
テレビでは、バス停並ぶに長蛇の列、バスに乗れないと嘆く地元住民、あふれるゴミ箱、舞妓さんをつけまわす観光客、ネガティブな映像が連日流れる。その都度、有識者や専門家がオーバーツーリズム対策について語るが、有効な解決策は示されなかった。
11月25日、南座で「まねき上げ」が行われると京都はそろそろ師走モード。年末恒例の顔見世興行を前に、出演する歌舞伎俳優の名前が書かれた看板を掲げられた。
12月8日、京都市中京区の京都市役所分庁舎で「立候補予定者説明会」が行われた。
信長と木下以外、他の陣営は代理人が出席した。最初に、京都市選挙管理委員会の委員長から、不正な選挙活動を行わないよう呼びかけられた。選挙管理委員からは、選挙に関する事務手続きの日程、選挙運動用のビラやポスターに関する注意点などが説明され、書類が配布された。
12月21日、終い弘法。毎月21日は、東寺で「弘法さん」といわれる縁日、1000店以上が出店し20万人もの人でにぎわう。毎月開催される弘法さんの中でも、12月は「終い弘法」といわれ特に人が多い。

世界遺産の東寺は、京都駅から南西に約1kmの場所にある。794年、平安京遷都前後に官寺(国の寺)として創建された。
東寺の西側には西寺が創られ、東寺と西寺の間に平安京の入り口にあたる羅城門、そこから北に朱雀大路とよばれる大通りがのびていた。西寺も羅城門も朱雀大路も今は現存していない。
東寺のシンボル五重塔は、今まで4度焼失したがその都度再建、平安京の頃から変わらず同じ場所に建っている。幕末、鳥羽伏見の戦いでは、薩摩の西郷隆盛が高さ約55mの五重塔から南の戦況をうかがった。
「それにしてもすごい人っすね、売ってるものも、正月飾りにお漬物、骨董、着物なんでもありっすねぇ」興味津々の木下。
ごった返す東寺の境内を南へ突っきる。
「今日は弘法さんが目的ではない、東寺より南のエリアを歩き回るぞ」
東寺の南大門を出た。南大門は、豊臣秀頼が寄進した三十三間堂の西大門を移築したものだ。
大宮通を南下、道幅は広くないが交通量は多い、二階建ての住宅や店舗が建ち並ぶ。
「どこに行くんすか」
「目的地は無い、ただ歩き回る」
「‥‥これも選挙に関係あるんすか?」
「ある!心配するな今日は平坦な道を歩くだけだ」
木下は、内心ホッとした山登りは二度とごめんだ。
東寺から南へ約6km、伏見港公園まで歩いた。この辺りは、薩摩藩率いる新政府軍と新選組も参戦した幕府軍の激戦地でもある。
桃山時代、豊臣秀吉は伏見城を築城し城下町をつくり有力大名を住まわせた。伏見は、京の都と大阪の間にあり、陸路・水運が発達した交通の要所で、まさに日本の中心だった。
京都から大阪につながる淀川は、江戸時代から明治時代、三十石船などが頻繁に往来し、人と物を運ぶ交通の大動脈だった。しかし、道路が発達すると舟運はその役割を終えた。
2025年の大阪万博を期に、京都(伏見)~大阪間の舟運を復活させる一大プロジェクトが進行中だ。現在の伏見区は、京都市の11の行政区の中で最も人口が多い。
宇治川派流の観光船を見ながら休憩した。「おやつに京都駅でどら焼き買っといたんすよ」朱色の包み紙のどら焼きを木下が出してきた。
どら焼きといっても一般的な形ではない。餡をモチモチの皮で巻き込み、竹の皮で包まれた筒状のものを輪切りにしている。このどら焼きは、弘法さんの前後、合わせて3日間しか販売されない。
休憩を終えると、今度は北に向かって歩く、西から東、東から西、北から南、あてもなく。信長は、たまに立ち止まり、キョロキョロと辺りを見回し、また歩き出す。
歩いた範囲の中には、任天堂本社や京セラ本社もあったが、何か特定の建物を探すのではなく、街全体を視察しているようだった。
気づけば、朝から晩まで8時間。「よし!わかった帰るぞ」信長は満足げだった。
何が?とヘトヘトの木下は思った。
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京都生まれ・京都育ちの京都人。
2005年から「京都観光研究所」を運営しています。
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