見出し画像

【あがり症】「場数を踏む」という言葉を使わないでおこうと思う

「場数を踏む」という言葉がある。


その意味は、
「経験を積む。多くの経験を積んで馴れる。」
というもの。


この言葉は、あがり症と
セットで使われることも多い。


「とにかく場数を踏め」
「慣れれば大丈夫だ」


あがり症で悩んだことのある人なら、
一度は見聞きしたことがあるはずだ。


私も、その言葉を何度も見聞きしてきた。


そして、何度も、心のどこかで
モヤモヤしてきた。


だから、これからの私は、
「場数を踏む」ではなく、
「セルフエクスポージャー」
という言葉を使っていこうと思う。


出だしから、
「なんのこっちゃ?」と思われただろう。


理由は後述するので、
このまま読んでいただけるとありがたい。


「セルフエクスポージャー」とは何か


ちなみに、
この「セルフエクスポージャー」という言葉。


単体での定義付けは、されていないと思う。


これは、
私が勝手に「セルフ」と「エクスポージャー」、
二語を合体させたものだ。


セルフとは、
自分自身で、あることをする意味を表わす。


エクスポージャーとは、

(主に不快な)刺激を繰り返し提示することによって、刺激の(主に不安喚起)機能を低減させる技法。
〜中略〜
「曝露法」とも訳される。

はじめて学ぶ行動療法/三田村仰 P277)


あがり症・社交不安障害の文脈で言うと、

自分の意志により、苦手とする場面に自分を晒す。

それによって、
人前に立つ恐怖・不安を減らしていく。


ということになる、と私は捉えている。


不安な場面を避け続けるほどに、
「やっぱり自分には無理だ」という思いが
強化されてしまう。


これを「回避による悪循環」と言ったりする。


逆に、あえてその場面に身を置き、
「思ったほど悪いことは起きなかった」
という経験を積み重ねることで、

脳は少しずつ、その状況を
「危険」から「安全」へと学習し直していく。


これが、エクスポージャーの土台にある考え方だ。


なぜ、使う言葉を変えるのか?


以前、以下のnoteを投稿した。

そもそも「場数を踏む」とは
どういうことなんだろう?
「場数論争」についての私の考え


その中にも書いているが、
個人的に「場数を踏む」という言葉が、
どうもしっくりこない。


たしかに、「場数を踏む」という言葉は便利だ。


その概念は、すでにほとんどの人が知っている。


しかし、あがり症と徹底的に向き合ってきた
私としては、しっくりこないのである。


なぜなら、その言葉を扱う人によって、
解釈にバラツキがあると感じているから。


言葉の解像度が、低いようにも感じる。


「場数を踏め」と言われても、

・ただ闇雲に、苦手な場面に飛び込むことなのか
・小さな一歩から、少しずつ慣れていくことなのか
・そもそも、逃げずに我慢すればいいのか

人によって、思い浮かべる景色がバラバラだ。


そして、この解釈のズレこそが、

「場数を踏んだのに、良くならなかった」

という挫折を生む一面があるのではないか、
と私は感じている。


そう感じた私の選択肢は、2つあった。

1、今まで通り、「場数を踏む」を使い続ける。
2、別の言葉を探して使う。

私は、「2」を選んだ。


私は頭をひねって、別の言葉を考えた。


候補のひとつに、「セルフ暴露」があった。


しかし、これでは「なんのこっちゃ?」である。


意味がよく分からない。


なんなら、自分の秘密を、自分で暴露して、
自爆しているようにさえ聞こえてしまう。


もはや、あがり症の話ではなくなってしまっている。


そんなこんなで、たどり着いたのが
「セルフエクスポージャー」という言葉だった。


これが、私にはバチっとハマった。


あえて、専門用語を使う理由


私のnoteは、
できるだけ平易な言葉で書くことを意識している。


だから今までは、
「エクスポージャー」という言葉を、
ほとんど使わずにやってきた。


しかし、この際はっきり言いたい。


あがり症の方は、「エクスポージャー」という
言葉と、その意味を知っておいた方がいい。


なぜなら、意味を知ることで、
人前で話す場面のひとつひとつが、

「ただの苦痛に耐える時間」から
「自分のあがり症を改善させる機会」に
変わって見えてくるからだ。


少なくとも、私はそうだった。


同じ「人前で話す」という体験でも、 

・ただ耐えているだけの時間
・自分の意志で、不安に立ち向かっている時間

この二つは、体験としてはまったくの別物になる。


前者は、ただ消耗していくだけの時間。


後者は、自分を変えていくための、
れっきとしたトレーニングの時間だ。


言葉ひとつで、同じ出来事の意味づけが変わる。


これは、決して大げさな話ではないと思っている。


再度、「セルフエクスポージャー」の
言葉の意味を書いておく。


自分の意志により、苦手とする場面に自分を晒す。
それにより、人前に立つ恐怖・不安を減らしていく。



この、
「自分の意志により」
「自分を晒し」
「恐怖・不安を減らしていく」
というのが、ポイントである。


「戦略的」かつ「攻めの姿勢」で、
「主体的」に、あがり症を改善させるという
意気込みを感じないだろうか。


誰かに強制されて、渋々こなす「場数」ではない。


自分で選び、
自分で踏み出す「セルフエクスポージャー」。


同じように見える一歩でも、
そこに宿る意味は、まったく違う。


ただし、ひとつだけ付け加えておきたい。


セルフエクスポージャーは、
「無理をして、大きな場面に飛び込むこと」ではない。


自分のキャパを大きく超えた挑戦は、
恐怖や不安を減らすどころか、
むしろ傷を深めてしまうことがある。


だからこそ、「スモールステップ」で、
自分に出来そうなレベルから取り組む方が安全だ。


そして、
「失敗が許される、安全な場所」
「同じ悩みを持つ仲間と、恥を分かち合える場所」
で練習することを、私はおすすめしたい。


いきなり本番の場に飛び込むのではなく、
そうした場所で小さな成功体験を積み重ねてから、
少しずつ本番に近い場面へと広げていく。


私はセルフエクスポージャーを、
あがり症を改善させたい方にとっての、
共通語にまで育てたいと考えている。


(関連リンク)
結局、「場数を踏む」のがベストな選択
場数は「安全な場所」で踏もう!
「緊張して当たり前!」がナイスな場数の踏み方
場数を踏む時、そこに失敗など存在しない
場数は「スモールステップ」で踏めば大丈夫
「体験学習」をオススメする理由

いいなと思ったら応援しよう!