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07_誰かの足の写真とは何か?_ J.D.サリンジャー「エズメに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」読解

Q. 屑籠に捨てられた誰かの足の写真とは何か?
「エズメに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」の後半で、Xは「子供たちに、銃剣や鉤十字章を二つ三つ送ってくれないだろうか……」と書かれた兄からの手紙を破いて紙屑籠に捨てたとき、中に「どこかの芝生に立った誰かの足」を見つけます。この場面の意味は何でしょうか。
 
本稿の解釈はこう。
A. 引き裂かれてバラバラになった心のかけら。
以下に理由を述べます。




J.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』に収録の「エズメに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」読解をマガジンで連載しています。こちらの記事から読んでいただいてもお楽しみいただけますが、01から順番に辿りたい方は下記よりご覧ください。

1 オイディプス

サリンジャー作品では、登場人物の精神的な傷、とくに象徴的父から与えられた価値観と、自我との葛藤による傷が、オイディプス神話(主人公の名は腫れた脚を意味する)や、伝統的な漁夫王伝説になぞらえて、脚の傷によって表現されます(詳細下記参照)。

また、「エズメ」の後半でXは、ナチスの下級官吏の持物である書物、ゲッペルスの『未曽有の時代』に書き込みをしますね。この著者は、ナチスで宣伝を主導した人物。Wikipediaによれば、幼いころに小児麻痺を患って、足に障害を持っていたとのこと。
 
Xが屑籠の中に足を見つけるのは、戦地、とくにドイツの強制収容所で行われたことを目の当たりにし、ただでさえ精神的に追い詰められているXに、追い打ちをかけるように、兄(象徴的父)からの無神経な文面の手紙が届き、さらなるショックを受けていることを示すものではないでしょうか。

2 父たちと教師たち

Xは上記の兄からの手紙を読む前、「父たちと教師たちよ(Fathers and teachers)、『地獄とは何か?』と私は問う。私は思う、それは愛することができぬ苦しみだと」(柴田訳_173)というドストエフスキーの引用を書物に記しています。

父たちと教師たちよ(Fathers and teachers)という言葉が、象徴的父を指すと読めますね。この意味は、生物学的な父・育ての父よりもずっと広く、成長の過程で社会のルールや善悪、秩序や理性的な振る舞いについて教えてくれた人、学校、環境、メディアなどすべてを意味すること、サリンジャー作品では、しばしば上の世代から押し付けられた、戦争へ行って自国の勝利のために戦うべきだという価値観として語られることは、『キャッチャー』読解、「バナナフィッシュ」読解で示したとおり。
 
『キャッチャー』ではそれが、ホールデンの実父はもちろん、スペンサー先生、アントリーニ先生や、DBとして現れますし、グラス家サーガではバディにとってのシーモア、ズーイにとってのバディ、フラニーにとってのズーイとして現れます。
 
「エズメ」でXに手紙を送ってくる兄もその一人ですね。兄からの手紙に嫌悪を感じてそれを破き、捨てた屑籠に写真があるということは、写真も手紙に同封されていて、一緒に破いた可能性が高い。「どこかの芝生に立った誰かの足」が映った写真の断片は、兄によってバラバラにされたXの心のかけら。それは、語り手〈私〉から引きちぎられたZでありXであり、彼の心身の機能〈f-a-c-u-l-t-i-e-s〉の一部なのだと思います。
 

3 オジマンディアス

「シーモア-序章-」の原注にはパーシー・シェリーの詩「オジマンディアス」の一節「砂漠に立っている『巨大な 胴のない 石の脚が二本』」が引用されています。オジマンディアスは、傲慢な暴君が滅びるさまが描かれた作品ですね。
 
神話の世界では、内面に汚れや弱さ、傲慢さなどの欠点を持つ未熟者は、足を病んでいることが多く、試練のなかで象徴的に死に、成長した姿で再生するのがひとつの典型。それが、オシリスのような太古の豊饒神話で、主人公が殺され、八つ裂きにされて大地に撒かれ、翌年の豊かな実りが願われる伝統と結びついていることも、下記で述べた通り。これも、サリンジャー作品に通底するモチーフですね。詳細は下記をご参照ください。

4 赤い靴

「シーモア-序章-」では、サリンジャーを訪ねてきた青年に、チェーンソーで左足を切られそうになったというエピソードが語られ(177)、別の個所では、アンデルセンの赤い靴の少女について触れられます(272)。赤い靴の女の子も〈斧〉で足を切られてしまう物語。「エズメ」の〈斧〉については、過去記事をご覧ください。

赤い靴のあらすじは、幼いころに両親を亡くし、老婦人によって育てられた女の子が、成長すると、自分を育ててくれた老婦人が死の床についているにもかかわらず、身勝手に舞踏会へ出かけてしまう。すると、赤い靴を履いた足が踊ることをやめられなくなって、足を切らなければならなくなってしまったというもの(Wikipedia)。
 
女の子の足は、周りの人への思いやりを持たず、自分の楽しみを優先する汚れた心の象徴。幼いころに両親を亡くして傷ついているのは、エズメとも共通する特徴ですね。自分が傷ついているからといって、他人に同情できないのは未熟者。傷の痛みを知っているからこそ、周りの人の傷にも気づき、心を寄せて助けなければ、赤い靴の少女のように自分もまた血を流すことになる。

物語の中で、少女から切り離された足は、踊りつづけながら森の中へ去っていく。けれど、悔い改めた少女の前に、踊り続ける足が再び姿を見せるといいます。
 
この気味の悪いエピソードは、フロイトがドッペルゲンガーについて述べた〈不気味なもの〉という言葉を思い出させますね。少女の足は、抑圧された無意識やトラウマの象徴ともいえるでしょうし、「エズメ」でXから分裂したZとも重ねていいのではないでしょうか。PTSDのフラッシュバックに苦しんだサリンジャーは、これに自分の経験を重ねたからこそ、「シーモア-序章-」でこの作品に触れたのかもしれません。
 
踊るのをやめられなくなっているときの女の子は、欲望や汚れた心に乗っ取られて、自分でもそれを制御できなくなってしまった状態。Z的な無意識に乗っ取られた人といえば、鏡像に乗っ取られて自制心を失い、自分を殺してしまう「バナナフィッシュ」のシーモア。「エズメ」のXとZはその状態へ至りかねない途中の段階、シーモアがシーモアになる前の姿を描いた作品のようにも思えてきます。

5 足を踏むチャールズ

「エズメ」の前半で、チャールズは語り手の「私の片方の足の上にのっかって」(157)なぞなぞをだしたり、「片方の脚がもう片方より十センチくらい短い人間のように痛ましく足を引きずって」(柴田訳_159)歩いたりします。幼く純粋なチャールズは、語り手が隠す心の中の傷、見えない足の傷に気づき、道化・影として本人の代わりにそれを表現しているのではないでしょうか。
 
後半では、XはZに向かって、「そのくさい足をおれのベッドからどけるようにしてもらうわけにはいかんもんかな?」(169)と言い、無作法な足に精神的な汚れのイメージを重ねていますね。
 
これに対し、エズメについては、「彼女は両足を互いに交差して立ち、足元を見下ろしながら、靴の爪先を両方きちんとそろえてみたりなどしているのだ。これは、ちょっとほほえましい仕草だった。白のソックスをはいた少女、足首から全体にかけて実にかわいらしい。」(158)と描写される。エズメが「両足を互いに交差して立つ」姿(158)は、「X」の呼び名と重なります。

「X」には、「Z」の文字のようにバラバラに分裂した精神が、再び交差し、統合されるようにという意味が読み込めますね。イエスが磔刑にかけられた十字架から、クリスマス・ツリーへ、さらにエズメが着ている服のタータン・チェック(144)へむすびつく。このテーマのつづきは後述します。

6 ウォーカーと速度計測機能

Xたちの仲間の一人、ラジオをつけている人物の名前がウォーカー(170)で、エズメの手紙にある時計の説明に「歩きながら、知ろうと思えばその速度を知ることができる」(175)と書かれているのには、今は片足が病んだような精神状態であるXの心の傷がやがて治って再び歩けるようになるようにとの願いが込められているのでしょう。
 
下記の記事で、「エズメ」の後半、XとZがいる部屋は冥界・彼岸・異世界であると述べました。「バナナフィッシュ」のシーモア同様、Xは半ば彼岸に足を踏み入れている人物です。

神話やそれに倣うサリンジャー作品において、彼岸は現実世界に流れる人間的な時間を超越した空間。生命の限りある命の時間に左右されない、すべての一瞬が永遠でもある世界です。XとZに分裂しているとき、「エズメ」の語り手は時間を測ることのできない世界にいる。Xが止まった腕時計の「ぜんまいを巻いてそれ(故障がないこと)を確かめてみる勇気はなかった」(176)というのは、自分の精神が通常に戻ったのかまだ自信がないことの現れ。
 
そこから、速度計が使える世界、人間的な時間が流れる世界に戻ってくるということは、XとZが統合され、語り手の心の傷=足の傷が癒えて、現実を自分の足で歩けるようになること。
 
Xが「おれは、部屋の中でちょいとステップの稽古でもするよ」(172)というセリフには、今は足元がおぼつかない、精神的に不安を抱えた状態だけれど、歩けるようになることはもちろん、やがては上手にダンスができるように努めるつもりだという希望のようなものが語られているように思います。


今回はここまで。お読みいただきありがとうございます。 

続きはこちらから。ぜひご覧ください。


J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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