本能寺の変1582 【注ポ02】 №6-128 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【注ポ02】 №6-128
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮 1 2 3
←2 光秀の実像 1 2 3 4 5 6
←3 光秀の苦悩 1 2 3 4 5
←4 武田の滅亡 1 2 3
←5 信長の油断 1 勝利の余韻
「事態急変」
2 四国出陣
3 足蹴事件
4 中国出陣
「時は今」
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【注ポ02】 №6-128
【記事一覧】>【注目ポイント】 目次>
【光秀という男】 目次 4/7 目
⑦光秀は、新参者。 【重史241】『日本史』
⑧織田家中では、特異な存在だった。
⑨光秀は、出来る男。
キレ者である。→④⑲~㉒㉔
洞察力に優れていた。
信長の心の内を読み取ることが出来た。
信長の性格・気性を知りつくしていた。
光秀は、忠義心が希薄な人物だった。
光秀は、土岐氏の元家臣。
「美濃国住人、土岐の随分衆なり」
→【重史002】「立入左京亮入道隆佐記」
主家の没落により、牢人となった。
→そ第30話① 【重史025】「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
その後、長い雌伏の時代を経て、藤孝の家臣となる。
→そ第151話① 雌伏時代
→【重史241】『日本史』 2/7③ 藤孝の家臣
→そ第30話① 【重史102】「多聞院日記」中間
程なくして、幕府の再興により、幕臣(足軽)に取り立てられる。
だが、やがて、主君 将軍義昭を見捨て(主替え・裏切り)、信長のもとへ。
土岐氏→牢人→藤孝→義昭→信長
以上、度々、主君を替えている。
そして、最終的には、・・・・・。
その信長をも、裏切った。
それが、天正十年1582六月二日、「本能寺の変」。
光秀は、自立心が強かった。
裏を返せば、そういうことになる。
このこともまた、「本能寺の変」の一因となった。
すなわち、光秀の人物像(性格)に関わる部分。
⇒ 次へつづく
