本能寺の変1582 信長の台頭10 314 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
信長の台頭 10三好長慶の死 314
長慶、没す。
同年、七月四日。
従四位下修理大夫、三好長慶。
河内飯盛山にて、病没。
享年、四十三。
三好宗家は、養子の義継が跡目を継ぐ。
冬康は、何故、殺されねばなかったのか・・・・・。
然れども、
摂津守、少しも罪なくて、讒死に逢ひ給ふと、たしかに聞こえければ、
一時代を築いた人物。
これが、その最期である。
狂い死、と云う。
哀れなものである。
長慶、聞き、後悔、丹府(たんぷ)(心)をなやましけれども、
可返ならねば、力なし、
されども、其の事を深く悔やみて、煩ひ重くなりて、
七月廿四日(四日の誤り)、四十三歳にて、空しく成り給ふ、
(「足利季世記」)
目次
信長の台頭 10三好長慶の死 313 信長と謙信の交流が始まった。
信長の台頭 10三好長慶の死 312 三好長慶が安宅冬康を殺害した。
信長の台頭 8三好の衰退 308 長慶は、義継を後継者に定めた。
信長の台頭 8三好の衰退 307 三好義興が病死した。
信長の台頭 8三好の衰退 306 信長は、於久地城を手にいれた。
信長の台頭 8三好の衰退 305 信長、清洲城から小牧山城に。
信長の台頭 8三好の衰退 304 信長、小牧山に築城を開始。
信長の台頭 8三好の衰退 303 「永禄六年諸役人附」
信長の台頭 8三好の衰退 302 細川藤孝は、「御供衆」だった。
信長の台頭 8三好の衰退 301 三好長治が実休の後を継いだ。
信長の台頭 8三好の衰退 300 畠山方は、総崩れになった。
信長の台頭 8三好の衰退 299 教興寺の戦い。
信長の台頭 8三好の衰退 298 三好義興が後詰の軍勢を率いた。
信長の台頭 8三好の衰退 297 畠山氏は、飯盛山へ攻め上った。
信長の台頭 8三好の衰退 296 実休は、討死した。
信長の台頭 8三好の衰退 295 本陣がガラ空き状態になった。
信長の台頭 8三好の衰退 294 久米田合戦の事。
信長の台頭 8三好の衰退 293 十河一存の死。
⇒ 次回へつづく
