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神武天皇の熊遭遇譚――我は時空と共に在り

日本神話における「熊」の登場は、思っていた以上に面白い。
僕は歴史の専門家でもないし、日本神話について特別詳しいわけでもない。
ただ、『ヒグマカルマ』を作っていることもあって、最近、熊と人間の関係についていろいろ調べている。
その中で、ふと気になった。
「日本神話には、熊は出てくるのだろうか?」

調べてみると、『古事記』には「熊襲」が出てくる。「熊野」という地名も出てくる。そして「熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)」という神も登場する。天照大御神と須佐之男命の誓約によって生まれた五柱の男神の一柱で、熊野と結びつく神だという。

ただ、ここで早合点はできないらしい。
「熊襲」の「熊」が、動物としての熊を意味するとは限らない。「熊野」についても、語源にはいくつもの説がある。

ところが、さらに調べていくと、ものすごく気になる話に行き当たった。
神武天皇の東征である。

神武天皇が熊野に入ったとき、『古事記』にはこんな場面が出てくる。

爾其熊野山之荒神、化為大熊、吐出毒氣。

――熊野山の荒ぶる神が大熊に姿を変え、毒気を吐いた。
その毒気によって、神武一行は倒れてしまう。

そして、ここからがさらに興味深い。
高倉下という人物が夢の中で神から告げられた神剣を持って現れ、それを神武に献上する。
神武がその剣を受け取ると、

爾其惑伏御軍、悉寤起之。

――毒気にあてられて倒れていた軍勢が、ことごとく目を覚まして起き上がる。

つまり、
大熊との遭遇。
倒れる。
神剣を受け取る。
そして再び立ち上がる。
死と再生、意識変容という物語として読める。

しかし、『古事記』には、神武の心理がそのように説明されているわけではない。
そもそも神武自身が神々につながる系譜を持つ存在であり、東征の途中でも、自分の行動と日の神との関係を意識して進路を変えている。

それでも、熊野で起きることには、それまでとは違う強さがあるように僕には思える。

それまで自らの意志で進んでいた神武が、熊野では自分を超えた力によって、身体ごと停止させられる。
そして、自分の力だけでは起き上がれない。
高倉下が神から託された剣を運び、それを受け取ることで、再び立ち上がる。
さらにその後、八咫烏が現れ、神武を道へと導いていく。

つまり、熊野を境に、
「自分が世界を切り開く」
というだけではなく、
「自分を超えた何かを受け取り、導かれながら進む」
という構造が現れてくる。

僕はそこに、ひとつの変化を感じる。
それは、
「自我による征服」から「世界との共振」へ。
「我、在り」から「我、世界とともに在り」へ。
という変化だ。

もちろん、これは僕自身の読み方である。

自我を捨てるわけではない。
自分が、自分だけでは完結しない存在だと知る。
自分の外側に、自分を動かすものがあることを知る。
神かもしれない。
霊かもしれない。
時空かもしれない。
あるいは、自分がまだ理解していない何かかもしれない。

僕は、この話を改めて知ったとき、『ヒグマカルマ』のことを考えた。
僕がこの映画でやろうとしていることも、実はそれに近いのではないか。

僕は最初から映画の答えを決めて、そこへ現実を当てはめようとはしていない。
僕が映画を一方的に作っているのではない。
現実との出会いによって、映画のほうが少しずつ形を変えていく。

僕は以前から、『ヒグマカルマ』を「時空との共同創造」と考えてきた。
熊がいて、人間がいて、森があり、時間が流れている。僕自身もその時空の中にいる。
トレイルカメラが捉えた過去の熊の時間と、現在の僕の時間がつながり、その接続から映画が生まれてくる。

だから僕にとって熊は、単なる「撮影対象」ではない。
熊を観察しているつもりが、いつの間にか、熊によって自分の世界の見方が変えられている。

人間が熊を見る。
しかし同時に、熊の存在によって、人間自身が見られている。

熊を神と呼ぶ必要はない。
熊を野生動物としてだけ見る視線も疑わしい。
ただ、熊と出会うことで、人間の側が変わっていく。

世界の再生。
そして、意識の変容。

神武天皇の熊遭遇譚を知って、僕が『ヒグマカルマ』で考えてきたことが、思いがけないところから補強されたような気がしている。

「自我による征服から、万象との共振へ。」
「我、時空とともに在り」

さて、時空を超えて神武天皇に励まされたことだし、坂道を歩いてこようかな。

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「虚空門GATE」監督 小路谷秀樹 Hideki Koujitani 『ヒグマカルマ』は現在も北海道・東北で取材と撮影を続けています。 もし活動を応援していただける方がいましたら、サポートいただけると制作継続の力になります。 いただいた支援は、移動費・撮影費として大切に使わせていただきます。