サイエンスに対し一般人で興味ある人の為のサイエンス史リンク
サイエンスとは何かを考えるためのリンク集です。
noteに科学的とは何かという難しい疑問がありました
一般人には極めて難しい問題です。
サイエンスはサイエンスする研究者にとってのみという意見
サイエンスすることでしかサイエンス習得できないようです。
@mototchen もともと「科学が科学である」のは科学を行う科学者にとってだけで、その成果としての知識だけが教えられる場ではそれは歴史や文学やそれこそ宗教の「知識」が教えられるのと本質的な差はないと思います。
— 渡邊芳之 (@ynabe39) December 26, 2012
サイエンススキルを考えてみました
サイエンスの分類
実にいろいろな分類がなされています。そのわけは以下リンクでお読みください。
分野知図https://t.co/F817oax4uv
— とある高専卒業生 (@subarusatosi) July 16, 2024
「人口に膾炙する39学問について、各学問間の距離を測定しプロットした Academic landscape である。」
「39次元空間に対する主成分分析を行なうと、第1主成分と第2主成分で、説明力が約80%となることが分かった。」 https://t.co/vmZsAItB1K pic.twitter.com/U4ZlLg2zbJ
"Kleine Weltgeschichte der Wissenschaft"(西洋科学史)
歴史の詳細が記載されている、以下著作をお読みください。
サイエンス史概観
サイエンスはかつて西洋の学問全体のことでした
学問全体とは自由七科のことでした。法律解釈、医術、神学は含みませんでした。
そして法曹、医者、聖職者はフィロソフィを修めたプロフェッション職であるプロフェッショナルでした。
用語について
「1)WissenschaftとScience
この二つの用語とも元来は知識、学問を指すもので、自然科学やその他の学問を分割して示すものではなかった。Scienceはラテン語の動詞Scire(Scio知る)を名詞化したScientia(知識)から来たもので、この言葉に於いては哲学と今日で言う自然科学の差はない。ドイツ語のWissenschaftも全く同様で、ドイツ観念論哲学を訳すときこの言葉は「学」とか「学問」とか訳されている。Scienceがもっぱら自然科学を意味し始めたのは特にドイツなどで多くの自然科学者が輩出し始めた1850年以後であろうと推測される。以前は有名な哲学者でもこの両方の領域に手を染める人がいたのは周知の事実であるが、一番古いところではアリストテレスなどが代表的なものであろう。微分、積分法の発見をニュートンと争ったライプニッツ、虹の原理を考えたスピノザ、カント、惑星軌道について卒論を書いたヘーゲルなどなど。」
翻訳語「科学」について
「科」学も一種の誤訳です.ラテン語でscientia,英語ではscience,ドイツ語ではWissenschaft,共に,知識一般という意味しかなく,そこには「(分)科」した,つまり「科・目」に「分・科」あるいは「分・類」された,分かれた,という意味はいささかもないのです.
個別科学ができるまで
個別科学と科学哲学の関係
個別科学が分化した際に科学哲学と分化しました。
個別科学・専門への批判など
『大衆の反逆』1930 オルテガによるサイエンス専門家への批判
彼を専門家にするに当たって、文明は彼を自ら閉じこもり、自分の限界内で満足する人間に作り上げてしまった。しかしまさにその自律と自信の内的感覚そのものが、彼を自分の専門領域の外でも支配的位置に立ちたいという願望ももたらすのだ。結果として、彼は有資格の人間の最高点である専門性を持つものとして、つまり大衆化した人間の正反対を代表しながら、生活のほどんどあらゆる局面で無資格の大衆として振る舞うことになるだろう。
以上の指摘は机上の空論ではない。誰でもその気になれば、今日の政治、芸術、宗教、生や世界に関わる全般的な問題において、「科学者」を筆頭に医者、技術者、財界人、教授などがいかに愚かな考えを持ち、判断し、行動しているかについてつぶさに観察することができよう。これまで私が大衆の特徴として繰り返し紹介してきたこと、すなわち上位の要請に対して「聞く耳を持たない」、従わないという条件は、まさにこうした中途半端に資格を持っている人間において頂点に達している。彼らは現今の大衆の支配を象徴しており、かなりの部分で実際にもそれを構成しているのだ。そして、彼らの野蛮性はヨーロッパの退廃の最も直接の原因である。
2025.05.01
— 石部統久 (@mototchen) May 30, 2025
COLUMN SOCIOLOGY
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』を読む [コラム017]https://t.co/5i6HzNboT6
[大衆の特徴]
専門しか知らない専門家なのに偉そうにする pic.twitter.com/Auc6RDniUn
[大衆の特徴] 専門しか知らない専門家なのに偉そうにする
「それでは、大衆とはどのようなイメージでしょうか。オルテガは意外にも大衆を代表する職業として研究者や科学者などの知識人を挙げます。
それは特定の知識人などを指しているわけではなく、知識人自体が、社会的にそうならざるを得ないと言っている。科学が進んでいくと研究分野が細分化していき、細分化することで、研究者は「熱心に研究している極小部分しか知らない人間(P201)」になるからです。
なのに、何か大発見をすると「俺はなんでも知っている」的な顔をするから、オルテガからは大衆を代表していると感じるわけですね。」
「オルテガは科学者を筆頭に知識人に対してものすごく怒っています。それは「自分たちは優れているから、社会からの問いかけは聞かない」という姿勢を取る人たちが多く、オルテガいわく原始的で野蛮である大衆の代表者であると言っています。
専門分野を突き詰めたことがある方々なら、教育番組での言及で陥りやすい穴とか、教養系メディアでの扱いで躓きやすい問題とか、思想・哲学系書籍での引用解釈で嵌まりやすいイメージとかが、逆照射的に視えてくるもので、結局、専門知というのは、専門文脈から外した途端、台無しにされてしまうものだ
— 中島 智 (@nakashima001) May 29, 2025
つまり専門知というのは教養知なるものを相対化できる視野なのだけれど、一般的には教養知のほうが包括的な大系であるかのように考えられがちで、その構図のままに読書会が開かれ、読書垢が蔓延っている。そこでは専門知特有のパラダイムは一般常識的なパラダイムによってことごとく凡庸化されてしまう
— 中島 智 (@nakashima001) May 29, 2025
中世と近代 全体と部分の考え方の違い
全体が先行し部分を決定づけるとされていた中世の全体と部分の考え方に対して、近代以降は部分が先行し全体を構成するという話になる、というのが基調
学問全体と抽象化
興味深いドイツ人とアメリカ人の思考スタイルの違い
「ドイツ人は、システム的に考える。全体を見て、それぞれのパーツの関連性を考える。そして、そこから何らかの法則性(パターン)を見出して、複雑なものを「全体」として理解しようとする。」
「一方、アメリカ人はドイツ人とは違って、複雑な問題をパーツごとに「細分化」して考えるのが好き。そうすることで本当に重要なものが見えてくるというのだ。
実際、アメリカでは小学生のうちから、「シンプルで短くて明瞭な文章を、論理的な順番で書きなさい」と教わっている」
「ドイツ人からすると、アメリカ人の議論は、拙速で全体像をとらえていないようにうつる。
一方、アメリカ人からすると、ドイツ人は本質に関係のない議論ばかりしていて、時間を無駄にしているようにうつる。」
個別科学を論理的な順番?に総合したアメリカ人の科学論
すべてのアメリカ人のための科学 SCIENCE FOR ALL AMERICANS
https://web.archive.org/web/20090501081603/https://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf
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妥当性
妥当性概念の展開
— 石部統久 (@mototchen) April 7, 2025
日本学術振興会・東京工業大学
村山航https://t.co/o3aRy8D0pF pic.twitter.com/8tU5Ok9IPS
妥当性概念の展開日本テスト学会 村山航
https://jartest.jp/pdf/jirei7_rep1a.pdf
