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そもそも世論なんてなかった

世論について感じたことをまとめてみました。

輿論 世論 とは

世論とは、以下のとおり、社会的な意見や信念の集合体であり、デモクラシー国家の政治的、社会的な議論や決定に多大な影響を与える力を持っています。

現代における世論とは、調査会社(生産側)とマスメディア(流通側)と政治学者(正統性の認定側)の相互の共犯関係によって生まれた、質問に回答する能力と意思を持った社会階層による一種の社会的文化的圧力を指す。

P.ブルデュー「世論なんてない」
https://www.geek.sc/archives/451

社会学者の清水幾太郎が『流言蜚語』の中で興味深い分析をしている。彼は、輿論は個人の意見ではなく、多数の意見であるといい、「社会成員の間の一致ということが前提されていなければならぬ」とまずは定義するが、続けてこう述べる。

「だがしかしこの一致が完全なものでありかつそれが社会構成員の一切を通じて確立されているものであったならば、そこに輿論が形成されることがあるであろうか。そうではない。一致がそのように完全でかつ広範な場合には、これを基礎として成立した見解は特に輿論として現れることができないのである。共通の見解が輿論として現れるためには、かえって不一致が前提されていなければならない。何かこの見解に対立する見解があって、これと戦うことが予想されている時においてのみ輿論は輿論として具体的なものになるのである」

再考「世論は果たして存在するのか」
https://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/617bb37a1c8e76ead82102cbab798294

形成された世論は、独り歩きするようになる。「新聞は、もはやただ世論を反映するのみである。政治家にいたっては、世論を指導するどころか、ひたすらそれに追随しようと考え、世論に対する気がねが、往々恐怖にまでなって、政治家の行動から一切の安定性を奪いとってしまうのである」

 米国の大ジャーナリスト、ウォルター・リップマンが1922年に著した『 世論 』(掛川トミ子訳/岩波文庫)

https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/071300099/071000027/

世論調査について

20世紀になって世論調査が実施されるようになりました。

「各国で世論調査が本格的に実施されたようになったのは20世紀初頭、そもそもは長期化する第1次世界大戦に際して、国民感情を計測し、政策に反映させるのが目的だったといわれる」

「いまにみるような、民間の世論調査会社が設立されるようになったのは1930年代のことだ(世論調査会社として有名な米ギャラップ社は1935年に設立されている)。こうした調査会社の名目は、民主主義の強化に貢献し、市民を政治家のデマゴギーから守ることにあった。いうなれば、世論調査は当初、政治が国民を誘導するために開始されたのだが、それから1世紀が経って、今度は国民が政治を監視する道具として使われるようになったのである。

ちなみに、アメリカはもちろんのこと、イギリスやフランスでは、民間調査会社独自で、あるいはこれが報道機関からの依頼で調査を行うのが一般的で、日本のように報道機関のみが世論調査事業を独占しているのは先進国では例外的だ。

https://synodos.jp/opinion/politics/1594/

世論は常に世論操作される

世論調査は常に、社会調査方法の不備と世論操作により捏造されています。

世論なんてないという意見

世論がどのように形成されるのか、その真実性について、フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、彼の著作『世論なんてない』で挑発的な主張をしました。彼は、世論調査が個人の意見を歪め、無意見を有意見に変換する構造を持っていると批判しました。

ブルデューの分析は、世論が単なる数字の集積ではなく、社会的な力学とメディアによって形成されるものであるという考え方を示しています。これは、世論が特定の問題に対して意味を持つという前提、対象者全員が意見を持っているという前提、そしてすべての意見が有意であるという前提に基づいていますしかし、これらの前提が常に真実であるわけではなく、世論調査の存在意義自体に疑問を投げかけています。

世論調査の根本的効果とは、全員一致の世論があるという理念を作り出し、その結果、ある政策を正当化し、基礎づけ、可能にする力の諸関係を強化すること

ピエール・ブルデュー『社会学の社会学』

ブルデューは、世論調査の設問項目やワーディングが恣意的だったり、質問の仕方によって回答が異なるといった一般的問題をも指摘しているが、それ以上に問題視したのは、世論調査が
「意見の集積が特定の問題に対して意味をもつこと」、
「対象者の全員が意見(オピニオン)をもっていること」、
「あらゆる意見が有意であること」
の3つを前提にしていることである。しかし、これらの前提条件がなければ、そもそも世論調査の存在意義がないという所がミソである。

世論は存在しない? ―― 「世論調査ポリティクス」の功罪https://synodos.jp/opinion/politics/1594/

第1の公準
「世論調査では誰もが意見を持ちうる。すなわち全ての人に意見をもつ準備ができている」

第2の公準
「すべての意見はどれも優劣がない同じ価値を持っている」と仮定している。
そして、実際の世論調査について「そんなことはない。同じ効力を持っているわけではない意見を、いくら積み重ねてみても、意味のないものをでっちあげているだけだ」としているようだ。

第3の暗黙の公準
「誰に対しても同じ質問をするという単純な事実の中には、それらのテーマについての合意、言い換えればそれらの質問はされる価値があるという合意がある」

ブルデューの公準と卒論~西平 重喜著「世論をさがし求めて―陶片追放から選挙予測まで」を読んで Part5~
https://kohiyama-ayumu.com/blog/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%85%AC%E6%BA%96%E3%81%A8%E5%8D%92%E8%AB%96%EF%BD%9E%E8%A5%BF%E5%B9%B3-%E9%87%8D%E5%96%9C%E8%91%97%E3%80%8C%E4%B8%96%E8%AB%96%E3%82%92%E3%819-2/#google_vignette

また、ブルデューの意見を継いだ、シャンパーニュの『世論をつくる』に以下の指摘がありました。

「『世論をつくる』は1990年に刊行、衝撃を与え、大いに読まれ、シャンパーニュの名を一躍有名にした。」

「ブルデューは1970年代初め、世論調査の社会学的批判の先鞭を付けたが、シャンパーニュはこれを受け継ぎ、こう指摘する。設問をつくる者が実はその回答をも規定し世論をつくってしまうこと、回答者個々の意見が平等、等価のように扱われるが、物事を決定する社会集団の影響力には大きな差があることを見ず、安易な民主主義幻想をふりまく恐れがあること。」

https://www.fujiwara-shoten.co.jp/whatsnew/ki_200402-03/

世論の歴史

フランス革命における世論

さらに、世論の歴史を遡ると、フランス革命の時代にはサロンやクラブの世論が重要な役割を果たしていました。革命期の機関紙や定期刊行物など出版メディアは、革命の進展を迅速に、正確に、そして広範囲に伝達する必要性から、多様性が求められました。

フランス革命の最中に一般市民が政治に関与しはじめると、世論の機能は本質的に転換を遂げていく。市民は民主主義権力の正当な担い手となり、既存権力と対等な立場で発言し、討論の自由な波動の基となる討論集団(クラブや協会)の成員となる。設置された無数のクラブ・協会は世論形成の主要な装置と考えられるようになった。そして、こうした集団はすべて機関紙や宣伝媒体(ポスター、貼紙、チラシ、リーフレット)をもつ。今日ほどに頻繁ではなくても定期刊行物を発行して組織拡大の武器とし、広く一般大衆に行動を呼びかける。問題の提起を受けた人びとはそれを討論し決定を下し、見解をまとめあげる。諸見解は組織され、互いに競争しあい調停されて特定の見解に収斂する。こうして生まれた多数意見が世論となる。この多数意見は実行に移されるか、または代表者たちがそれを代行する。そこから世論に政治的・社会的な影響力が帯びる。

歴史学エッセイ 1566. 世論形成の実験場としてのフランス革命

世論の誕生

こうしてフランスというインダイレクト・デモクラシー国家が誕生し世論が機能しはじめました

「民意」というかぎり、そうした機能の発揮は近代以降のことであり、集団の意見形成の前提として、次の3要素が出そろうことが必須となる。

その第一は出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為、すなわちジャーナリズム(報道機関)が存在しなければならないし、

第二は、言論を広めるメディアがなくてはならない。

第三に、意見表明を保証する自由主義と民主主義が成熟していなくてはならない。

いくら近代国家の体裁をとり、かつジャーナリズムがあっても、そこに自由主義と民主主義がなければ、世論は政権のスポークスマンいわば「権力の使い走り」の機能しか果たさないこともある。そこにはジャーナル活動の任意性・自主性が決定的に欠如している。西洋にせよ日本にせよ、これら3要素が出揃うのは19世紀半ば以降のことである。

歴史学エッセイ 1566. 世論形成の実験場としてのフランス革命

世論を煽り戦争をこしらえた新聞

主たるメディアである新聞は、世論の形成し情報媒体や政治党派的な論争の武器としてだけでなく、社会に生きる人々を戦争に動員させるものとして存在しました。

自由市場にあっては新聞も「売れてなんぼ」の世界である。そこから「売る」ために記事は過熱し、ラベリング(決めつけ)、センセーショナリズム(煽情(せんじょう))、ファブリケーション(でっち上げ)などのエセ記事が登場する。19世紀末の米新聞王ハーストが典型だ。

当時、米国はスペインの植民地キューバの動きを注視していた。ハーストは読者を熱狂させ部数を拡大する思惑から特派員と挿絵画家を送り込み、反乱軍を取材させた。が、活動は不活発。それで特派員は帰国を願う電報を打った。

戦争を「こしらえた」

ところが、ハーストの返電はこうだ。「しばらく滞在されたい。きみは絵をこしらえろ。私は戦争をこしらえる」。挿絵画家に反乱軍の「活躍」を絵にしろと命じたのだ(捏造(ねつぞう)だ)。ハーストはこれをもって世論を煽(あお)り、政府に支援を訴えて戦争(米西戦争=1898年)をこしらえた(ジョイス・ミルトン著『イエロー・キッズ アメリカ大衆新聞の夜明け』文藝春秋刊)。戦争を遂行したのは政府と軍だが、「こしらえた」のは新聞だった。

日本の場合も似たり寄ったりだ。関東大震災(1923年)で在京の新聞社が壊滅的打撃を受けたので、大阪が出自の朝日と毎日がここぞとばかりに首都圏に進出、部数拡大を競い合った。絶好の「拡販材料」が戦争だった。

読者はしばしば「流される」 世論誘導、世論操作という新聞の宿痾https://www.worldtimes.co.jp/opinion/mediawatch/20240910-184821/

 このように、世論はメディアによって大きく影響を受けるものであり、操作されます。しかし、それは同時に民意を反映する手段としても機能します。現代においても、インターネットやソーシャルメディアが新たな「公共圏」として登場し、世論形成におけるメディアの役割はさらに複雑化しています。

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谷 藤 悦 史(早稲田大学)https://www.jstage.jst.go.jp/article/mscom/77/0/77_KJ00006544564/_pdf/-char/ja

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