さまざまな日本語文法モデル(4)時枝文法モデル
時枝文法モデル
時枝誠記は昭和初期から後期にかけて活躍した国語学者です。言語を人間から切り離された客体とみなすのではなく、人間としての主体的な認識過程そのものであるとの考えのもとに、昭和16年に「言語過程説」という独自の言語モデルを発表し、その後もみずからの主張を長く展開していきました。橋本進吉の門下生であり、東京大学の教授を長く務めていました。
時枝の考えによると、文とは
「主観客観の合一し、まとまった思想の表現であり、これを言語に即していえば、詞と辞の結合であることを第一の条件とし、文はまた完結した思想の表現であり、従って言語的には終止するところの言語形式を必要とすることを第二の条件とする」(『国語学原論(上)』、岩波文庫、p.247)
ものです。
うえの時枝のコメントを、私なりに砕いていえば、こういうことです。
第一に、私たちは言語活動をつうじてこの世界を客観的に捉えると同時に、それを主観的にも捉えています。ようするに、私たちは世界を主観と客観の複合体として捉えており、それを日本語で表現しているというわけです。このように主観(人の視点)と客観(天の視点)とを融合的にとらえる文法論は、西欧の学問には基本的にありません。文法論のみならず基本的に「科学」を含む近代西欧学問の基礎となるべきものは客観(天の視点)でなければならず、主観(人の視点)はそこから排除されなければならないものだからです[1]。
第二に、私たちがそのようにして得た認識や理解を「文」で表現する際には、客観(天の視点)で捉えたことは「詞」(名詞や動詞にあたる)で表現し、主観(人=話し手/書き手の視点)に捉えたことは「辞」(助詞にあたる)で表現すると時枝は主張します。つまり、文とは「詞」(客観、天の視点)と「辞」(主観、人に視点)の融合体であるわけです。
時枝はそれに続いて、「文」というのはひとつのまとまった思想の表現であり、したがってその思想の表現を終えた時にはそれなりのマーカーが必要なのだと主張します。それが山田文法でも取り上げられた「陳述」です。
なお。英文法を含む西欧文法では山田や時枝のいうところの「陳述」にあたる概念はありません。和英翻訳では「陳述」はstatementと訳されますが、これは論理学でいうところ「命題」にあたるものであり、山田や時枝の「陳述」とは無関係です。山田や時枝の「陳述」を英語にするとすればchin-jutsuとでもするしかないでしょう。
ここまでを見ていると、時枝誠記の考え方は山田孝雄の考え方に非常に近いように見えます。実際、橋本進吉のように言語の形式や機能を分析の判断基準として文法を客観的に組み立てるのではなく、言語の内容としての思想と人間の心理の働きをベースとして文法モデルを組み立てるという点では山田と時枝は同じ方向性を向いているといってよいでしょう。
ただし時枝は、山田の考えをさらに発展させる方向として「構成的言語観からの脱却と過程的言語観の採用」を掲げます。そしてこれが「言語過程説」という言語モデルの根幹となっていくのです。
時枝は次のように述べます。
「まず構成的言語観を脱却して、過程的言語観に立たねばならない。過程的言語観に立つということは、同時に言語の客体的存在としての把握を脱却して、言語をあるがままの存在として、すなわち主体的体験として、これを把握することを意味する。すなわち単位としての単語の本質を、主体的な言語的経験において規定しようする立場である。」
(『国語学原論(上)』、岩波文庫、p.250)
時枝のいっていることを私なりに理解するならば、ようするに文章を前から順番に読みつつ、そのなかで「動的な理解」をおこなうプロセスそのものが「文法」であって、そうしたダイナミックな動きから言葉をとりはずしてしまって静的に分析していくことが「文法」なのではない、ということです。そして日本語におけるそのダイナミックな動き、すなわち「言語過程」のあり方を示す「文法」が「言語過程説」なのだと時枝は述べています。
「言語過程説」はその発表以来、「主観客観の合一」というアプローチが客観性を重んじる近代学問としては適切ではないなどの理由から、多くの言語学者から厳しい批判にさらされてきました。また橋本文法のように学校で教えられることがなかったために世間一般での認知度も高くはないようです。しかし少なくとも私の考えでは、これまでにつくられてきた日本文法モデルのなかで最も重要な言語モデルのひとつであることは間違いありません。
以下に時枝文法の品詞表と、時枝が主張した入れ子構造の文形式を紹介しておきます。入れ子構造の文形式のなかの「梅」「花」「咲い」が「詞」(客観、天の視点)であり、「の」「が」「た」が辞(主観、人の視点)です
時枝文法の品詞表

梅の花が咲いた。

さまざまな日本語文法モデル(1)はじめにhttps://editor.note.com/notes/n88be39839091/edit/
さまざまな日本語文法モデル(2)学校文法・橋本文法モデル
https://note.com/naruseyukio/n/nf048940c6733
さまざまな日本語文法モデル(3)山田文法モデル
https://note.com/naruseyukio/n/n6b7e429316df
さまざまな日本語文法モデル(5)松下文法モデル
https://note.com/naruseyukio/n/n4199578815bf
さまざまな日本語文法モデル(6)三上文法モデル
https://note.com/naruseyukio/n/n8718ca0aa894
さまざまな日本語文法モデル(7)日本語文法の特徴
https://note.com/naruseyukio/n/n404909917678
