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制度だけでも、産業だけでも社会は動かない。行政はヘルスケアの社会実装をどう設計するか ~対談・経済産業省 福田光紀ヘルスケア産業課課長×IISE 大島一博理事(前厚生労働省事務次官)

「ソート(未来の構想、思い、ビジョン)」をつくり、共感を生み、社会実装を行う「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)活動」を体現している組織のキーパーソンの方々にお話を伺い、「ソートリーダーシップ活動」のヒントを探っていきます。

今回は経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課 課長の福田光紀氏をお迎えし、IISE大島一博理事(前厚生労働省事務次官)との対談インタビューを実施しました。TL Hubでは初の、行政の方へのインタビューです。

2050年の人口構造の変化を見据え、「健康寿命の延伸」と「ヘルスケア産業市場の拡大」を目指す同課では、政策推進に加え、民間企業や当事者を巻き込むユニークな官民共創プロジェクトを推進しています。その実践から、ソートリーダーシップ活動のヒントを探りました。


経済産業省がヘルスケア分野に取り組む理由とは?

大島 本日は、行政の立場からの構想の社会実装や共創の取り組みについて、お伺いしていきたく思います。まず、経済産業省はなぜ、ヘルスケア分野に取り組んでいるのか。その背景からお聞かせください。

福田 2つの大きな背景があります。1つ目は、少子高齢化によって生産年齢人口が減少していることです。日本経済を支える人口が減少していく中で、働く方々がより長く健康を維持していただき、より長く活躍できる社会にする必要があります。2つ目は、少子高齢化に伴う社会保障費の増大です。年々高まる医療や介護の需要に対応するため、企業の技術やサービスを充実させ、積極的に活用していく必要があります。

経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課 課長
福田 光紀 氏

大島 私が在籍していた厚生労働省は、主に制度面から社会課題の解決に取り組む立場にあります。一方で、ヘルスケアの領域では制度整備に加えて、企業の技術やサービスの力をどう生かしていくかもますます重要になっています。そうした中で、経済産業省と厚生労働省がそれぞれの強みを持ち寄りながら進めていくことには、大きな意味があると感じます。

IISE 理事 大島一博(前厚生労働省事務次官)

福田 同感です。良い制度と事業者の持続的な活動が伴うことで、有効な機能を生み出すことが出来ます。これは産業政策の観点から見ても重要なテーマです。

経済産業省が掲げるヘルスケア政策の目指す姿。
「国民の健康増進」と「持続可能な社会保障制度構築への貢献」の2つに
「経済成長」を加えた、3本柱の「同時実現」を標榜する
(資料提供:経済産業省)

「PHR」――1人ひとりに最適化されたサービスを社会実装する基盤

大島 少子高齢化や社会保障費の増大という大きな社会課題に向き合う上で、制度と産業の両面から支える仕組みが必要、とお話いただきました。その解決策として「ヘルスケア政策の目指す姿」でも柱の1つとして挙げられている健康増進、とりわけ「予防・健康づくり」は重要だと思いますが、推進されている施策を教えてください。

福田 社会保障や経済成長を持続可能にするには、「予防・健康づくり」の推進が欠かせません。推進の中核を担うのがヘルスケアサービスであり、その発展には民間企業の力が必要です。

それを後押しする施策の1つが「PHR(Personal Health Record)」です。

PHRの概要。これを基盤とした新たな「予防・健康づくり」の方法や産業の創出が期待される (出典:経済産業省

PHRとは、健康や医療に関する情報を個人が主体的に管理・活用できるデータ基盤であり、ヘルスケアサービスの創出・展開を進めやすくするものです。

医療データに加え、歩数や食事、睡眠などのライフログや、公的な各種データを組み合わせることで、1人ひとりに最適化されたヘルスケアサービスの提供を可能にする基盤です。経済産業省では、PHRの社会実装の契機となるユースケースを創出し、具体的なビジネスにつなげ、多くの人に利用してもらうことを目指しています。

その実現したい社会像がこちら(下図)になります。「思いやりが循環し、誰しもが自分らしく、安心して暮らすことで自然に健康になる社会に」。経済産業省はPHRを基盤として、民間企業など異分野からの参入等を促すことで、さまざまな国民ニーズに対応する多種多様なヘルスケアサービスを創出していき、この思い(ソート)の実現を目指しています。

経済産業省が描く、PHRを活用した新たなライフスタイルのイメ―ジ
(資料提供:経済産業省)

大島 自然に健康になる社会はいいですね。どのような道筋で実現されようとしているのでしょうか。

福田 まずは、PHRのデータに基づいて食事や運動に関するアドバイスを行うといったサービスが考えられます。また、診察時に患者が日常のデータを医師に提示することで、より的確な判断につながる可能性があります。介護の現場でもライフログなどのデータを活用することで、個々人の状態に応じたケアが可能になります。

PHRの実現には、データ環境の整備が欠かせません。個人を中心に、あらゆる情報を活用できるよう、関係省庁と連携しマイナポータルを通じた基盤整備を進めています。業界と協力してデータの標準化を進め、ユースケースづくりやビジネスの創出も事業者と協力して進めています。

令和5年度から、数々のユースケースを生み出してきました。昨年の大阪・関西万博においてもユースケースの体験提供・展示を行い、得られた知見を踏まえ、ビジネス化を視野に検討を進めています。

大島 PHRの意義は、個人が自分の健康情報を自分で持ち、活用できるようになることだと思います。医療や健診のデータに加えて、日々のライフログも重ねて見られるようになれば、健康を“自分ごと”として捉えやすくなりますし、一人ひとりに合った支援やサービスの可能性も大きく広がります。社会実装の基盤として重要な取り組みですね。

介護を1人で抱え込まない社会を目指す「OPEN CARE PROJECT」

大島 「予防・健康づくり」と並んで、介護も大きな社会課題になっていますね。経済産業省では、共感や共創を意識された非常にユニークな取り組みを行っていると伺いました。詳しく、お聞かせいただけますか。

福田 働きながら介護を行う、いわゆる「ワーキングケアラー」が増えており、社会と企業にとって無視できない大きな問題になっています。仕事と介護の両立を支援し、それを企業全体の活性化につなげていく必要があると捉えています。

こうした問題の背景には、介護がいまだに個人や家庭に閉じたものであると捉えられ、企業や社会全体で向き合うべきものであるということが、十分に認識されていないという根本的な課題があります。そこで私たちは、2023年に「OPEN CARE PROJECT」を立ち上げました。

「OPEN CARE PROJECT」の概要。
「個人の課題」として閉じてしまいがちな介護を、
「みんなの話題」にすることを目指すプロジェクト
(資料提供:経済産業省)

本プロジェクトでは、「介護を「個人の課題」から「みんなの話題」へ」というキーメッセージを掲げ、課題を社会に広く伝えると共に、介護リテラシーを高める、介護について話しやすくなるような、前向きな事例の共有を目的としています。介護を社会全体の課題と捉えてもらうため、さまざまな情報を発信しています。若い世代やビジネスパーソンなど、幅広い人々の取り組みを紹介することで、介護を「誰にとっても起こり得る身近な課題」として考えるきっかけを提供します。

大島 介護を理由とした離職は、社会全体にとっても大きな損失です。私自身はケアマネージャーの方の支援などを受け、熊本の両親を遠隔介護しながら仕事を続けることができています。ただ介護が必要になった初期段階では、どこに相談すればよいのか、どのように支援を組み立てればよいのかが分からなかったケースが多いと聞きます。地域包括支援センターやケアマネージャー、介護休暇制度など、本来活用できる仕組みがあっても、その情報にたどり着けず、十分に使いこなせない人も多いのが実情です。また状態が落ち着くまでに数カ月かかることも少なくありません。

だからこそ制度をつくるだけでなく、必要な情報にアクセスしやすくすることや、企業側の理解や支援が進むことで、こうした状況を改善できるのではないかと感じています。

福田 賛成です。そのような理解が広がるよう、メディア、クリエイター、企業の力も借りて、介護の当事者や従事者だけでなく、若者、ビジネスパーソンなど、様々な方に参加いただき、活動内容やアイデアを発信しています。多様なステークホルダーと協働しながら、介護に関する課題の解決につなげていきたいです。

「何をすべきか」から手探りで始めましたが、活動を続ける中で、共感の輪が徐々に広がっていきました。こうしたムーブメントを生み出すきっかけをつくれたこと自体が、大きな意義だと感じています。

2025年には「介護をより身近で話しやすい話題にする」ために新たな事業や企画に取り組む企業・団体を募集し、OPEN CARE PRJECT事務局が伴走支援するプログラム「OPEN CARE CHALLENGE」を実施。複数の民間企業とそれぞれの専門領域を掛け合わせながら、取り組みを前に進めていった
(出典:経済産業省

大島 経済産業省ならではのアプローチですね。厚生労働省の取り組みは自治体を通じて進められることが多く、国民と直接協働する機会は限られています。だからこそ、このプロジェクトを通じて介護の課題が広く共有され、介護サービスへの理解と活用が広がることを期待します。

介護分野で働く方々の報酬や待遇改善も進めつつ、介護が「専門性の高いプロフェッショナルな仕事だ」という認識が広がることも、現場で働く人たちにとって重要なのではないかと思います。将来、介護の仕事を目指す人にとっても、前向きな後押しになるのではないでしょうか。

2024年11月13日~17日にかけて経済産業省が主催した謎解きイベント「家族謎解き体験 ただいまタイムループ」。ターゲットを「まだ介護に直面していない層」に設定し、擬似家族への没入体験を通して、家庭内で介護について会話するきっかけを提供するイマーシブ体験コンテンツ
(出典:経済産業省)

認知症当事者が製品開発に関わり、新たなイノベーションにつなげる

大島 「オレンジイノベーション・プロジェクト」は、2020年から検討と試行を始めた取り組みですね。

オレンジイノベーション・プロジェクトのロゴ。オレンジイノベーションの取り組みにより生まれた製品には、このロゴマーク入りのタグがつけられる

福田 このプロジェクトでは認知症の人に、企業の製品やサービスの開発に参画していただき、新たな価値を生み出すことを目指しています。共創や共生社会といった、より幅広いテーマにもつなげていきます。経済産業省としては、さまざまな団体と連携しながら、認知症の人と企業のマッチングを進めています。

大島 私も以前、福岡市での事例を聞いたことがあります。認知症の人にとって、IH調理器具のボタンが分かりにくいという課題がありました。そこで、市役所や認知症支援の団体が間に入り、ガス会社や調理機器メーカーと連携したと聞いています。その結果、操作しやすいボタンを備えた製品の開発につながったそうですね。

「オレンジイノベーション・プロジェクト」にて構築した「当事者参画型開発」による開発モデル。認知症の人の真のニーズに合致する質の高いソリューションを創出し、当事者(認知症の人とその家族や支援者)とのマッチングを通した共創の支援を実施している。
目的は「誰もが生きやすい社会」を実現するためだ
(資料提供:経済産業省)

福田 「オレンジイノベーション・プロジェクト」は、まさにそのような取り組みを支援するものです。具体的な成果が続々と生まれています。例えば、トヨタ自動車が開発した徒歩ナビゲーション「ツギココ」は、認知症で道に迷いやすい方をやさしく支える仕組みです。また大醐(名古屋市)が開発した、前後左右の区別がない、かかとなし靴下「Unicks」は認知症の人が自ら履けることを重視した、「当事者参画型開発」による開発モデルの代表的な事例です。これらは認知症を起点としたイノベーションの可能性を示しています。

トヨタ自動車による「当事者参画型開発」による開発モデルの実践事例「ツギココ」。
全国の100人以上の認知症の人と共に開発を進め、2024年度には実証実験に認知症の人11人、そのご家族等8人が参画。現在も社会実装に向けた取り組みを進行中だ
(資料提供:経済産業省)

大島 認知症の人にとって使いやすいデザインは、結果的に、誰にとっても使いやすいものになります。文化や言語の違いを超えて多くの人に受け入れられる「ユニバーサルデザイン」の具現化ですね。

福田 こうした取り組みをヘルスケア全体へ広げていくことが重要と考えています。そのためには企業がヘルスケアサービスをビジネスとして社会に展開し、課題解決につなげるという好循環を生み出す必要があります。ビジネスとして成立すれば、投資も進みやすくなり、サービスの持続可能性が高まっていきます。

共感の輪を広げ、「自分ごと」化によって社会全体の動きへ

福田 企業にとっても健康経営が重要な取り組みとなり、ヘルスケア分野への投資が着実に進んでいます。こうした投資の効果を最大化し、社会全体で持続的に回せる仕組みづくりに貢献することが、私たちの役割だと考えています。

もっとも、私たちが旗を振るだけでは、世の中は変わりません。共感してくださる仲間を増やし、その動きを社会全体の流れへ発展させていく必要があります。

大島 例えば、前半にご紹介いただいたPHRですが、民間サービスと連動することで、マイナポータルの中で5年間保存される、レセプトや特定健診、将来的には電子カルテの標準情報まで含めた健康記録を、無期限に保存できるようになります。さらに、母子健康手帳や学校保健の情報が加われば、生涯にわたる健康・医療データを本人が管理できる状態が実現します。

そこに、歩数や体重、睡眠といったライフログが重なることで、「一生涯」という時間軸と「日常データ」が結びつき、価値の高いデータ基盤が生まれます。将来的には、こうしたデータを活用するAI健康エージェントが登場し、個人の状態に応じたアドバイスを提供することも期待されます。PHRは個人が主体的に健康を維持し高めていくための強力なツールになるはずです。

マイナポータルの情報を民間と連動させる取り組みは、すでに始まっていますよね。

福田 はい。基盤整備は着実に進んでいます。今後は、その効果を具体的なユースケースとして可視化していこうと考えています。

少子高齢化の課題は、多くの人にとって「自分ごと」になりつつあります。介護の問題に加え、若い働き手が減少する中で、企業や社会をどのように維持していくのかといった課題も、身近なものとして意識され始めています。

そうした背景を受け、ヘルスケア産業への期待は一段と高まっています。事業者の皆さまと共に挑戦していこうという機運が、急速に広がっていると感じています。

大島 具体化のフェーズに入ってきたということですね。大いに期待しています。

<取材を終えて>

「誰しもが自分らしく、安心して暮らすことで自然に健康になる社会に」。経済産業省が思い描くソートの実現に向けて、いかに民間企業などと共創しながら取り組みを進めているか、多くの実践事例と共に紹介いただきました。制度がなければ、社会課題は解決できませんが、一方で技術やサービスを展開する産業側の持続的な活動も、無くてはならないもの。互いに良い影響を与えながら発展させていくために、データ基盤「PHR」を土台に民間企業や個人の方を共感で巻き込む、ヘルスケア産業課の取り組みから、行政に新たなイメージを持たれた方も多いのではないでしょうか。
 
Next Relationsの小野寺氏も言及されていましたが、ソートリーダーシップ活動の推進において、手段の一つとして企業側の政策提言が大事な役割を担うように、行政側もビジネスとして社会に取り組みを展開し、実際の課題解決につなげる企業側の働きかけを必要としています。ソートの社会実装をかなえるのは、社会全体を動かす大きなうねり。それを起こすためには、官民共創のこうした取り組みがどこかで必要になるはずです。「OPEN CARE PROJECT」や「オレンジイノベーション・プロジェクト」に代表されるさまざまな事例からは、官民が一体となってソートを実現させるためのヒントがたくさんありました。

経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課 課長 福田 光紀 氏
2002年経済産業省入省。2018年JOGMEC(当時石油天然ガス・金属鉱物資源機構)ロンドン事務所次長、2020年同ロンドン事務所長、2021年資源エネルギー庁原子力発電所事故収束対応室長、2023年同庁電力・ガス事業部政策課ガス市場整備室長などを経て、2025年7月より現職。

IISE 理事 大島 一博(前厚生労働省事務次官)
1987年厚生省(現厚生労働省)入省。主に、介護保険、医療保険、総合政策調整に関わる業務を担当。その間に内閣府、内閣官房、官邸に出向し、経済財政政策、健康医療戦略や一億総活躍推進などの業務に従事する。厚生労働省老健局長、大臣官房長、政策統括官を経て、2022年厚生労働事務次官。2024年7月退官。同年11月より現職。
編著書に『未来をつくる医療DX・AI最前線 ―「あなたらしく生きる」ための健康・介護・暮らし』(2026年3月刊行)。

企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、寺田亜紀子、福井衛、石垣亜純)

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