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偉大な文学が偉大なる文学を生む!「カラマーゾフを読む」(36)

ドストエフスキーはなぜこんなことを思いつけるのだろう!「カラマーゾフを読む」(36)

第四編 病的な興奮 七 すがすがしい大気のなかでも

スネギリョフ二等大尉の家を訪れたアリョーシャ。

悲惨を絵に描いたような家から連れ出され、2人は外で会話を始めるのですが、このスネギリョフの雄弁たるや・・・!まあしゃべるしゃべる!

しかもどこか芝居っぽいと言いますか、自分の語りの効果を自分で知っているかのような印象さえ受けます。

しかも「手前を軽蔑なさらないでくださいまし。ロシアでは酒飲みがいちばん善人でございますからね」という決め台詞まで持っています。

これは『罪と罰』の有名な酔いどれ男マルメラードフを連想させます。

ただ、マルメラードフは正真正銘の最低男でしたが、このスネギリョフは違います。彼は家族思いで優しく、それでいて不幸で惨めな弱き男なのでありました。

そう考えると、この気の毒な男の雄弁も許してあげたくなります。そうすることしか彼にはもはやできることは残されていないのです。

しかもアリョーシャという人間には不思議な力があります。あのフョードルですらアリョーシャを前にすると素直になってしまうほどです。

スネギリョフのほとばしる雄弁はアリョーシャだからこそのものだったと考えてもよいかもしれません。

そして彼らのやりとりは熱を増していきます。

そうです。あの二百ルーブリが話題に上ったのです。

これを受け取ればどんなによいことか!

そう希望を膨らませるスネギリョフとアリョーシャ。この時の熱量と会話のテンポにも注目です。ものすごい勢いですよね。情景が目の前に浮かんでくるようです。

しかしです!やはりドストエフスキーはここでまたもや読者の度肝を抜く展開を用意していました。

感激したアリョーシャがスネギリョフを抱きしめようとした時、ふと気づいてしまうのです。

スネギリョフの様子が何やら急におかしくなっていることに・・・

そしてここでついに伝説的な行動が炸裂します。

スネギリョフは欲しくて欲しくてたまらなかった二百ルーブリをもみくちゃにし、地面にたたきつけ、靴のかかとで踏みにじったのです。

初めて『カラマーゾフ』を読んだ時、私はこの箇所を読んでとてつもない衝撃を受けたものです。その時のことは一生忘れられません。「なぜドストエフスキーはこんなことを思いつけるのだろうか!すごすぎる!」とそれはそれは驚いたものでした。

当時私はまだ20歳そこそこの若造でした。当時の私はこんな人間の機微になど触れたことがなかったのです。そんな私にとってこのスネギリョフの突発的は行動はあまりにショッキングなものでありました。

人間って本当に謎ですよね。ほんの一瞬先に何をしでかすかわからない、そんな奇怪さがあります。それをまざまざとこの箇所で見せられたなと思います。

このシーンは私にとって忘れられないものとなりました。

そしてここからほとんど10年弱の月日を経て、私はさらに驚くことになりました。

なんと、このスネギリョフの謎の行動には元ネタがあったのです!

それがロシアの国民詩人プーシキンの『駅長』という作品です。

プーシキン(1799-1837)Wikipediaより

プーシキンはドストエフスキーが最も尊敬していたロシアの文学者です。ロシア文学の伝統はこの人から始まったと言っていいほどのビッグネームです。

日本ではあまり知られていませんが、ロシア人にとっては今でも最も人気のある文学者の一人なのだそうです。私が以前通っていたロシア語教室の先生も彼の詩をそらんじていました。その先生もロシア人だったのですが、その方いわく「ロシア人はみんなプーシキンが大好きです」とのことでした。

日本で言うならば古くは松尾芭蕉、近代では夏目漱石や芥川龍之介のような感覚とも言えるかもしれません。

そんなプーシキンをドストエフスキーは生涯尊敬し続けていました。

詳しくは上の記事の中でお話ししていますのでここでは割愛しますが、そのプーシキンの『駅長』という作品の中に、まさに虐げられた男がその代償に金を渡されるも、それを涙ながらに投げつけて踏みつけるシーンが出てくるのです。

『駅長』は彼の作品の中でもプーシキンらしさが強く出ている重要な作品と評されている短編です。そんな重要な作品であればドストエフスキーが知らないはずがありません。もしかすると、ほとんどそらんじることができるほどだったかもしれません。

その『駅長』からインスピレーションを受けてこのスネギリョフのシーンが作られていたということに私はさらに感銘を受けることになりました。

初めてこの箇所を読んだ時は「なぜドストエフスキーはこんなことを思いつけるのか!」と衝撃を受けましたが、その彼も偉大なる先人の文学を受け継ぎ自分の糧にしていたのです。これには私もぐっときました。むしろ、私にはこの方が響くものがあったのです。

ドストエフスキーの独創であるならば、彼の天才性で片付けられて終わりです。

しかし、先人との繋がりからこうした素晴らしい表現が生まれたというならば、これは残された私たちにも希望になります。私たちはこれからも偉大なる先人たちから教えを受け、新たなるものを生み出せる可能性があるのです。

もちろん、ドストエフスキーが成し遂げた到達点を超えることなど、私には想像すらできませんが、先人から学び続けることの意味そのものが失われることはないでしょう。多くの偉人がドストエフスキーの作品からインスピレーションを受けていることは疑いようのない事実です。

そう考えると、やはり名著とされるものの価値や偉大さというものが染みわたってきますよね。私が文学を愛するのはこうしたことがあるからこそです。

第四編はこうした偉大なるスネギリョフの狂気で幕を閉じます。

そして次の第五編ではいよいよ「大審問官」の章が待っています。

心して取り掛かりましょう。

続く

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