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若きゾシマとその回心~彼の身に何が起きたのか「カラマーゾフを読む」(46)

若きゾシマとその回心~彼の身に何が起きたのか「カラマーゾフを読む」(46)

第六編 ロシアの修道僧 二(C)俗界にあったゾシマ長老の青年時代と青春の思い出。決闘

この章では若き日のゾシマを知ることになります。

ここで語られますように、あのゾシマ長老も若い頃はかなりやんちゃだったようです。しかも自身のプライドの高さから決闘沙汰にまで及んでしまう始末。しかもその決闘は相手には何の非もないという悪質なものでありました。

しかも彼は従卒のアファナーシイを獣のように殴ってしまいます。当時のロシアでは従卒を殴りつけるということはよくあったことでしょうが、あのゾシマ長老がそんなことをしていたなんてなかなかショッキングですよね。

ですが、この獣のような暴力が後にゾシマを決定的に変えてしまうきっかけになるとは本人も思いもよらなかったことでしょう。

ゾシマは寝床に入り3時間ほど寝入って起きてみると、もう明け方にさしかかっていました。そしてついに自らの罪におののいたのです。

そうです。ゾシマは兄マルケルの言葉を思い出したのでありました。

ゾシマにとって、これは決定的な瞬間でした。

兄の死後はその言葉もただ言葉として頭に記憶されたにすぎませんでした。しかし、今やそれはゾシマの身体全体を揺さぶる巨大な衝撃となって返って来たのです。単なる言葉がついに体験として全身を打ち震わせた・・・!ここに人間の神秘があります。

ゾシマはすっかり人間が変わってしまいました。

殴ってしまった従卒や決闘相手とも和解し、彼は一躍街の有名人です。

しかしここで私には気がかりなことがあります。

それが街の人の彼への愛が「笑いながら」であるということです。

結局、街の誰もが彼を愛しましたが、それは「奇妙な人間として」面白がっていたにすぎないのです。本当の意味で彼を理解することなどとうていできないのです。かろうじて彼の決闘相手の妻がそのひとりでしょうか。しかし、この女性も愛する夫を失わなくて済んだことに対する感謝からだったとすれば、やはり不十分だったことでしょう。

ドストエフスキーはかつて『白痴』で完全に美しい人間、つまりキリストを描こうとしました。そうして生み出されたムイシュキンも「どこか奇妙で笑われる」存在として描かれています。

真に愛に生きる人間は俗界からは理解されず、奇妙な人間として笑われるしかない。そんな悲しい現実がすでにこの章ではほのめかされているように私には思えます。

考えすぎと言われればそれまでですが、ゾシマのもてはやされ方はそれほど不穏なものを感じさせるのです。

さて、ゾシマはこの後どうなってしまうのか、引き続きアリョーシャの聞き書きを読んでいくことにしましょう。

続く

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