マキビシ8ビート #1

其の存在は影。
人の知る事無くして巧者なるを忍びとする為り。
陽あるところに影はあり。
影ある 処に忍びあり。
そのじつ、有るのだが無い。
これ即ち、常世とこよことわりなり。




【あらすじ】

服部半蔵、百地丹波、風魔小太郎、石川五右衛門、猿飛佐助、霧隠才蔵、加藤段蔵…
この国の歴史上に偉大なる功罪と数多くの謎を残した存在。

しのびの者である。

その中の一人、忍者集団 北伊賀衆 三大上忍 御頭役、藤林ふじばやし長門ながとのかみ

その八男として鍛え上げられた身買われ養子、百地ももち 凪雲なぐも

織田信長、今川義元、武田信玄、上杉謙信、北条氏康、徳川家康など名だたる武将達が己が天下を目指した戦国時代。
その乱世の忍として暗躍し、"百年に一度の天才"と謳われた伝説の存在。

この物語の主人公である。



時は変わって、2024年現代。

ウクライナ情勢、パレスチナ問題、少子高齢化、物価高騰、政治不信、自然災害、感染病、スマホ依存、迫り来る台湾有事の危機、ブラック企業、モラハラ、パワハラ、自殺、ヘイトスピーチ、そして弱者男子問題…
時代は移ろっても乱世は乱世。
相も変わらず世知辛い。

手嶋 シンジは、小説家志望の37歳。
訪問介護という仕事の傍ら、スマホで執筆するお気楽な夢想家。口だけは一丁前のヘタレである。
そしてこの物語、もう一人の主人公でもある。


忍者とヘタレ。
奇妙な二人の組み合わせ。
果たして物語の行方は如何に…。



天正十年(1582)六月三日
いぬの上刻(午後七時頃)
裏白峠にて。

けたたましく山鳥がき、どこかで、続けざまに羽ばたきが聞こえた。
すでに森の中は闇に支配されていた。
西の空にはわずかな残照と紅く不気味な輝きを放つ満月が残る。

凪雲なぐも、何か匂うか?」
そう問うのは藤林ふじばやし長門ながとのかみ
百地ももち家、服部家と並ぶ、藤林家に属し、北伊賀衆 御頭役という肩書きを持つ彼は、日本の歴史上、三本の指に入る"三大上忍"のうちの一人。

その八男として養子に迎え入れられた、百地ももち 凪雲なぐも

昨年の『天正伊賀の乱』(1581)にて、織田信長率いる五万の軍勢に、故郷である南伊賀の里を焼き尽くされ、実父にして偉大な師でもある百地ももち 丹波たんばを失った戦災孤児。

織田軍二千の軍勢をたった一人で凌ぎ、第六天魔王の如き織田信長の大虐殺から生き残った百地家最後の一人でもある。

生まれ落ちた瞬間から修行が始まる忍の世界。
凪雲は一度見た人間や獣の動きを即座に模倣し、完全再現してしまう天賦の才を持っていた。
そして百地丹波直伝の忍術、剣術、馬術、医学、占星術、気象学、全国各地の方言や読み書き等の極限状態で生き抜く手練手管のすべを学び、若干17歳にして免許皆伝を受けた百年に一度の非凡なる者。

まごうことなき究極の戦忍である。

「殺気はおろか、獣の匂いや虫の気配すら感じない。かえって不自然だ」
凪雲は静かにそう答えた。

「お前もそう感じるか…」
訝しげな表情を浮かべながら、長門は別の心配もした。

「なあ凪雲、此度のくだんだが」

「わかってるよ、"忍の存続のため"だろ」
そう言う青年の瞳は伽藍堂がらんどうな硝子玉のように空っぽで哀しげだった。




「殿を…家康様を…岡崎まで逃したい。手を貸してくれぬか?」

本能寺が戦火に包まれた数時間後の六月三日未明、家康の家臣であり郷友でもある服部半蔵から、藤林長門は徳川家康逃亡の幇助ほうじょと護衛に関する依頼を境という船場で受けた。

明智光秀の謀反により、時の覇者、織田信長が本能寺で討たれたのである。

俗に言う『本能寺の変』である。
そして境(滋賀県)→伊賀(三重県)→岡崎(愛知県)までの家康逃亡作戦を『伊賀越え』という。

同盟を結んだ織田家と天皇らとの京での茶会を控え、六月二日から近江(滋賀県)の境という宿場町で宿泊をした徳川家康とその家臣十二名。

そこに突然の謀反の報せ。
相手は、豊臣秀吉の中国攻めに寡勢するはずであった明智光秀率いる一万五千の軍勢。
境と本能寺、距離にして僅か四里(約15キロ)。
目と鼻の先である。

信長の同盟者である家康らにも、一万五千の明智軍、本能寺の変に乗じた西側の地侍と落武者狩り、そして織田家に恨みを持つ全国の諸大名及び"刺客"達の魔手が襲い掛かろうとしていた。
四面楚歌とは正にこの事。


「半蔵、きさまあの織田がわしら伊賀者に何をしたかわかっておるか?」

「…わかっておる。故に長門、そなたに申しておるのじゃ」

主たる大名に仕えず、独立国家のような立場を戦国の世に築こうとしていた伊賀の里(三重県)。
その存在を畏れた織田家の暴挙とはいえ、忍達は勝ち目の無い戦を無理に続けた。
結果、百地家は滅亡し、藤林家は伊賀の里を離れ、六角家に仕えていた甲賀忍衆 多羅尾党(滋賀県)に掬われ一命を取り留める事となった。

「刻が来れば明智家と此度の謀反に乗じた者どもは豊臣と徳川家によって討ち滅ぼされる。その逆も然り、という事じゃ。そなたなら分かるであろう」

「家康も死んだらどうなる?世がひっくり返るぞ。そうしたら徳川家だって、北条やら武田、それに上杉家に食われるぞ」

「不敬な事を申すな!」

「半蔵、お前こそ阿呆な戯言抜かすな。この世は戦乱ぞ。明日は我が身。昨日の友は今日の敵。曲がりなりにもテメェも同じ釜の飯を食った忍だ。それぐらいわかるだろうよ。儂らの苦労も知らず、犬に成り下がりおって」

「うつけは貴様じゃ!長門!」

二人の男が譲らず睨み合う。

「この戦乱の世を終わらせる。その為に儂は、"徳川の犬"として生きておる。儂ら伊賀者の忍が、ただの殺しの道具として使い捨てられる世を終わらせる為に。儂は…わしは…」
篝火に照らされる半蔵のかおに苦悶の相が拡がる。

思えばこの男が家康を説得し、天正伊賀の乱の後、信長及び織田家の面々に、藤林家と六角家への不可侵を結ばせた。

つまり、服部半蔵と徳川家康には不本意ではあるが恩義がある。

とはいえ、この状況で家康側に加担することはすなわち、伊賀の忍や全国の反織田派の大名と短期とはいえ戦わなければならなくなる。

それはあまりにも危険だ。

だが、仮に家康を無事に岡崎まで送り届けることが出来れば、恐らく藤林家とその門下の忍たちは未来永劫、その恩恵と安寧を受けることとなる。


──戦の無き世。果たしてそんな事があり得るのか。

長門は、古傷まみれの掌を見つめながら思った。


「甲賀から二百。伊賀からは出せん。付くのは二晩だけ。それまでという事でよいな。こんな胸糞悪い仕事にァ極力関わりたくない」

「充分じゃ。長門、恩に着る!」

「礼ならお互い生き残ってから言え。此度は時間がない。すぐに甲賀から仲間は手配する。ここから東に一里半(約6キロ)ほど離れた稜線上に山口城という砦がある。まずはそこを目指す。山口城から更に東に、裏白峠がある。この峠を二里(約8キロ)進むと小川城があり、そこが多羅尾党の本拠地となる。つまり小川城に辿り着くことが出来れば二百人の甲賀忍が貴様らに付く。即席策とはいえ、これが今の最善策であろうよ。どうじゃ?」

「否が応でもやるしかない。しかしなぜ一旦山口城を目指す。直接小川城に行き、一刻も早く二百の護衛と合流すべきではないのか?」

「山口城には凪雲がおるからじゃ」


「凪雲?まさかあの丹波のせがれか…?」
焦る半蔵の表情が、さらに険しくなる。


「蛇の道には蛇、今は奴の手を借りる他ない」


「もし殿の身に指一本でも触れるのであれば、服部半蔵この命に替えて刺し違えるぞ」


「その時は儂も奴を斬る。話のわからぬ獣に用は無い」


修羅と般若、二つの影が御意のままにと頷く。




すっかり闇に染まってしまった森の中、ふくろうの如く夜目を駆使して峠道や杉林、茂みなどの様子を偵察する。
凪雲と長門はあまりにも不自然なその気配の無さを懸念していた。


「叔父貴、思ってたよりも厄介な事になりそうだぜ」
凪雲はそう言うと、二町(約220メートル)先のホタルブクロの茂みを指差した。


「足か?」
長門もすぐその異変に気がつく。
茂みから何者かが無様に足だけを顕にしている。


「ああ。しかも既に息が無い」
すぐさま凪雲は、杉の頑丈そうな枝や幹を掴み、音もなく木々から木々に飛び移って行く。

そうして、凪雲が斥候せっこうとして頭上から活路を見出し、長門は安全な地にんで行く。

柘植つげの下忍だ。むくろの様子から察するに、まだ半刻(約1時間)ほどしか経っていない。恐らく毒。忍び装束がまだ汚れていないから戦う前に毒矢か何かで死んだ。叔父貴、気をつけろ。まだ近くにいるはずだ」

柘植とは、伊賀南部を拠点とする柘植家の忍の事を指す。まだ百地家が健在だった時は、相互扶助の関係を保っていた。だが今回は、宿敵織田家とその同盟者である徳川を狙う存在。
その柘植の者がすでに死んでいるのである。
それだけではない。

「凪雲、物知りなお前にひとつ良いことを教えてやる。この骸の足の裏を見ろ」

目下、死体のある地点まで到着すると、長門は苦無くないを用いて死体の足裏を指し、その状況を告げる。

「十字傷だ。足の裏にある十字傷。これは古のまじない。殺めた死者の魂が復讐に来ぬよう、その骸の足を封じる為のもの。この習わしを行なう者は」


──"触らぬ神に祟りなし"の、風魔ふうま

風魔とは、相模の国(神奈川県) 北条家に仕える忍衆の事を指す。首領である風魔小太郎は、身の丈が六尺五寸(2メートル)を越える偉丈夫。そして野生の熊を殴り殺すほどの怪力の持ち主。
忍術はもちろん、幻術や呪術などを駆使し、敵国の有力者や難攻不落な名城をほふる災厄的存在であった。
その実力は、あの武田信玄や上杉謙信、そして織田信長でさえ恐れ慄いたとされる。
実在した伝説の戦忍。


「山の獣たちが気配を殺すのも合点がいく。自分よりも恐ろしい獣が縄張りの中にいるからだ。恐らくこの下忍の屍は、己が存在を示す印のようなもの。つまりもう奴の、風魔の、術中に儂らは嵌まっておるようだ」


ノウマクサンマンダ
バザラダンセンダ
マカロシャダソワ
タヤウンタラタカンマン
カシコミカシコミ
ヒノアルトコロニ
カゲハアリ
カゲアルトコロニ
ワレハアリ
オンソワカオンソワカ


何処からともなく、脳を直接侵食するかの様な密教念仏が耳朶から這入り込む。地鳴りや雷鳴を食らったときのように、不覚にも全身の細胞が本能的に怯えてしまった。


伊賀の猿が二匹。
何と哀れなつかいぱしり。
貴様ら一族も、あの徳川の糞狸も
伊賀も、甲賀も、西も、東も
皆我が毒と呪いで殺してやる。
根絶やしじゃ。
骨の髄まで苦しんで死ぬがよい。
我に比べれば信長など生温いものよ。

──カタカタカタカタ。

突如、足元の下忍の屍が痙攣する。


「…しまった、凪雲!そこを離れろ!」
長門がそう叫んだ刹那、屍の全身はボンッと鈍い音を立て爆散した。
飛び散る肉片と、無数の針。
針の刺さった木々の表面が青白く変色する。
トリカブト系の神経毒と、王水や硫化水素を用いた強酸性の猛毒。刺さればもちろん、臭気を浴びただけで眼球が溶け、肉と骨が腐る。
かろうじて抜いた長門の忍刀が、自身に飛来する毒針を全て弾く。


「凪雲!!!」
長門の慟哭だけが、紅い月に照らされる。
すでにそこに居たはずの凪雲の姿は無かったのだ。


「疾いな、百地の生き残りめ。殺すのが惜しいわ」

禍々しい声色とともに、ぬらりと闇の中から影の如く姿を現した巨躯。
毒蛇のようにぎらついた両眼、虎のように剥き出した牙、そして災厄と云う他ない

血の匂いと殺気。

風魔党首領 五代目 風魔小太郎 その者である。

(半蔵。テメェとんでもねえ貧乏くじ引いちまったな)


藤林長門守
この刻まさに己が死期を悟るのである。





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