編集editingについて(1)たかが編集?とんでもない!されど編集どころかヒトは心身ともども編集に終始。
表紙写真:What Is Video Editingより。
はじめに
「編集」Editingは何らかの形で最古から繰り返されてきた行為であるからグローバル社会でいち早くキャッチする問題でもない。むしろ人間有史以来最古の問題だ。現役時代「言語コミュニケーション論」関係の学部/大学院の研究会で取り上げ議論した。
編集editingとは
編集editingとは、簡単に言えば、言語/非言語の生成と解釈において、その内容や表現形態をスクリーンする(screen as a verb )行為だ。すなわち、生成/解釈をする主体がその適正を判断し修正する(to check something to see if it is suitable or if you want it)、いわば、評価行為だ。The Curious History of the 'Editor' in Biblical Criticismと称する記事には、ギリシャ古典文学の『イリアド』Iliadや、聖書の編集editingは大事であったようだ。
原典自体の原語による編集もさることながら、そこに翻訳が絡んでくると二重の編集作業になり更に厄介だ。「~版」editionという名称が付される。シェイクスピアの作品はそれぞれ複数のeditionsがある。The Merchant of VeniceだけでもEditions: The Merchant of Venice by William Shakespeareとんでもない数だ。日本の歌舞伎も「~本」があり、『忠臣蔵』にも人形浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』、明治9年『元禄快挙録』、昭和9年『元禄忠臣蔵』、講談、浪曲「赤穂義士伝」など幾つかある。
編集作業の際にどのmanuscripts写本/草稿を採用するかの取捨選択からすでに編集行為が始まっている。聖書で言えば、経典には入れられなかった経典外(外典)とされたアポクリファ Apocrypha がその良例だ。(ちなみに#1 The Gospel of Thomasやマグダラのマリヤによる福音書#11 The Gospel According to Mary Magdaleneなど、これは文学的価値が高い。)
編集editingに触れた哲学者、思想家その論点
"Philosophers & Theorists Who Dealt with Editing (Directly or Indirectly)"で検索すると、以下のような哲学・思想の大家がこの問題を扱っている。筆者の研究会では星印の思想家の作品に触れた。
*ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin, 1892–1940)
主要思想:『複製技術時代の芸術作品』複製や編集(特に映画における)が、芸術や真正性の本質をどのように変えるかを論じた。映画編集は時間と空間を分断し再構築するものであり、現実を知覚する新たな方法として革命的だと考えた。
ジークフリート・クラカウアー(Siegfried Kracauer, 1889–1966)
主要著作:『映画理論――物理的現実の救済』映画編集が現実を媒介するあり方を分析し、映画のリアリズムは何を含み、何を排除するかという“編集的行為”に依存していると主張した。
アンドレ・バザン(André Bazin, 1918–1958)
過度な編集に反対した。長回しや深焦点撮影を擁護し、現実の曖昧さと真正性を保持することを重視した。その思想は、操作的な編集に対する哲学的な反論となっている。
セルゲイ・エイゼンシュテイン(Sergei Eisenstein, 1898–1948)
主要概念:モンタージュ=弁証法。編集を映画における根本的な創造行為とみなし、ショットの衝突から意味が生まれるとした。ヘーゲル/マルクス主義的な立場から、モンタージュは矛盾から統合を生み出す弁証法的過程であるとした。
*ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard, 1930–2022)
主に映画監督であるが、哲学的な編集者でもある。彼の編集は編集そのものを前景化し、意味がどのように構築されるかを露わにする。ベンヤミンとブレヒトの思想に深く影響を受けた。
*ミシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926–1984)
メディアの「編集」そのものについてではないが、彼の「作者機能」論は、誰が意味を支配するかという問題を提起しており、編集権力に直接関係する。編集を「権力/知」の行使として捉えることができる。
*ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915–1980)
『作者の死』や『明るい部屋』では、意味は作者ではなく読者・観者によって生成されると論じた。編集はテクストの「再執筆」として理解されうる。
*ジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930–2004)
脱構築は一種の「哲学的編集」として解釈できる。彼の「差異(différance)」の概念は、意味が常に遅延し、編集のように選択と省略によって生成されることを示す。
*ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925–1995)
主要著作:『運動イメージ』『時間イメージ』編集についての深く哲学的な考察を展開した。モンタージュが映画の中でいかに思考を構成するかを分析し、編集を時間と意識の表現として捉えた。
クリスチャン・メッツ(Christian Metz, 1931–1993)
映画記号学者。編集を言語構造(統語論)として分析した。ソシュール言語学および精神分析の影響を受けている。
*ベルトルト・ブレヒト(Bertolt Brecht):疎外効果(アリエナツィオン効果)は、モンタージュや編集的断絶と密接に関係している。
ローラ・マルヴィ(Laura Mulvey):フェミニズム映画理論において、編集が「男性の視線(male gaze)」を強化する仕組みを批判した。
*ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard):シミュラークルとシミュレーションの理論は、編集を「現実の操作」として結びつける。
ドナ・ハラウェイ(Donna Haraway):サイボーグ理論および表象の政治学の観点から、編集をイデオロギー的構築として位置づける。
15.レフ・マノヴィッチ(Lev Manovich):現代理論家。『新しいメディアの言語』において、デジタル編集を新たな思考のパラダイムとして分析した。 (以上AI Overviewの翻訳)


意味論でいう「法性」 modalityという概念にからめて
意味論でいう「法性」modalityとは
新聞・報道・出版界だけではなく、世界のあらゆるコミュニケーション活動の場でみられる行為だ。筆者は長年コミュニケーションの仕組みについて考えてきた。言語活動はその一部、大部分が非言語活動で、言語活動は非言語活動とのいわばコラボレーションだ。活動を動かすダイナモとして筆者は英語法助動詞の研究で焦点を当てた意味論的概念の「法性」に目を付けた。英語でmodalityと言う。ただし、一般に「手段」modeの形容詞modalを名詞化したmodalityで知られているが、意味論では文法上の「法」moodの形容詞modalを名詞化したmodality、ヒトの心的状況moodに関係するという意味で「法性」と訳す。間違いやすいので筆者は「意味論的法性」semantic modalityと呼ぶこともある。
筆者は現在もコミュニケーションの一諸相として「(意味論的)法性」semantic modalityに関心を持ち、上述したように、「言語コミュニケー論」の研究会で取り上げてきた。テキストとして以下の2冊を執筆した。
『言語とコミュニケ-ションの諸相: 理論的考察から言語教育まで』鈴木佑治
(ご関心の読者はご一読ください。)要は、言語であれ非言語であれあらゆる表現の生成および解釈に反映される、コミュニケーターの森羅万象に対する態度・姿勢、簡単に言えば、価値観だ。それをベースにヒト(実は動物も)は物事を考え、発信し、解釈する。
筆者は、また、言語学と神経学とのマッチングに関心があり、神経学的に言えば中枢神経のどこかに記憶として存在するものと考える。下位構造には人の進化の過程で備えた4つのFsに代表されるいわゆる生存本能に直結した態度/姿勢だ。日本語では「本音」と言われる価値観だ。
ヒトは社会を構成する為に上位構造の皮質のどこかに、多分、思考や感情や創造性を担う前頭前野に、日本語では「建前」の価値観を形成しているのでは、と筆者は推察する。この部分に障害が起きると人格が一変し色々な障害が起きるからだ。以下の別稿、
「いち早くグローバル情報キャッチ!(15)フィニアス・ゲージ (Phineas Gage)の前頭葉損傷と人格異変,現代神経学誕生への貢献|鈴木佑治 N.Yuji Suzuki」
で述べた通り、有名なフィニアス・ゲージ の症例につき、この部位に損傷を受けると正常な社会生活になぜ支障を犯すか、思考は理性だけではなく感情とのバランスによるものというのがAntonio Damasioの主張だ。
ヒトを人タたらしめる前頭前野に人間が他の動物と違う社会的生き物としての「法性」 modalityがあるのではないかと筆者は考える。では、それが、「編集」とどう関わるのか?
「編集」editingと「法性」modality
言語であれ非言語でヒトの思考・表現は、その生成にしろ解釈にしろ全て「法性」 modalityのスクリーニングをもって編集editingされていることにならないか。ヒトは日常のコミュニケーション活動はこの意味での編集活動ではなかろうか。コミュニケーションとは森羅万象全を指すとの前提で、全てのヒトの精神的、身体的、社会的活動はこの意味での編集活動と捉えられれないか、と考えた。
上述通りヒトには「本音」と「建て前」がある。聖人でない限りヒトの本音は動物的本能(4Fs)に直結した弱肉強食的価値観に支配される。言わば、”Me First"だ。全人がそれを前面に出したら自らの生存も侵される。そのことを体験を通して理性で知る。よって、共同体、すなわち、個の集合体に通ずる共通の価値観を築く。そこまでは群れを成す高等動物も行っている。ヒトは理性を駆使しそれを超える倫理・道徳という社会的価値観を編み出してきた。しかし、それとて、地域、国家レベルでは齟齬があり、国際連合など国を超えて共通の価値観を模索中だ。言い換えれば、個人レベルから地域共同体、国家、国際レベルの全ての活動が、実は、何らかの価値観でスクリーニングされる編集活動として捉えられるかもしれない。
筆者の現役時代の職業である教職を例にすれば、この意味で編集に始まり編集に終始する。授業の内容、試験・ペーパーの問題作成またはテーマ設定、模範解答、採点、評価は、理想とされる価値観に依拠し、ある意味神聖視されてきた領域だ。ところが完全に客観的なものなどない。理想(模範)とするものはあるが個々の教員が理想と解釈した価値観のスクリーニングが通る。よく言われる"客観テスト"は作成においても評価においても全知全能でない限り無理だ。特に国語や外国語の”客観テスト”だ。あらかじめ用意した選択肢から"正答"を選ばせる。だが、その"正答"自体に作成者の価値観が入る。物事の「解釈」は価値観の違いで千差万別、問題作成や採点に携わった者ならよく知っている。そもそも言語は意識の産物であり(個々の価値観が創出する)創造的世界であり主観的産物である。
「いち早くグローバル情報をキャッチ!」シリーズの「情報」も
ということは、あらゆる情報は誰かしらの「編集」editingすなわち「法性」modalityの産物である。したがって、筆者が執筆する「いち早くグローバル情報キャッチ!」シリーズ(現在1~24)の趣旨は、(1)"olds"であれ "nows"であれbreaking "news"であれ、誰かしらの「編集」の産物であることを念頭に入れ、(2)情報の選択、解釈を人任せにせず、自分で考え方や身の処し方につなげ、(3)個々人が何時でも何処でも容易にユビキタスに情報の収集・取捨・選択・解釈・発信ができる、否、しなければならないグローバル時代に備える、ということになる。「いち早く」というか、「常に」が正しい。人の意見も聞くことを前提に最終的には自分のことは自分で決める、これが鉄則だと思う。
例えば、もし筆者が今10代の若者で海外留学して好きな「言語コミュニケーション論」を勉強したいとしよう。
どこの大学が良いか?情報を集め、
「リサーチ(Inquiry)方法(後編)・・・帰納法,演繹法,仮説的推論の違い|鈴木佑治 N.Yuji Suzuki」
で述べた方法論などを駆使し、幾つか候補を絞り、最適なものを選ぶ。自己責任で。
(ちなみに、別稿で触れた世界大学ランキングの情報も入ってくるだろう。でも、以下の別稿
で述べた通り、各大学のリサーチ能力を自分たちが選んだ文献集におけるcitations数を基に測定している。これではリサーチの内容と質の評価は皆無で判断できない。実際に、この機関も含め他調査機関のランキングでも世界トップ2,3校の公式サイトの「言語コミュニケーション論」関連の設置プログラム、コース内容、教授陣の研究テーマと業績をチェックしたが、筆者の興味には合致しなかった。)
「編集」editingについて(2)に続く
「全ナラティブに潜むHidden Meanings,創造的解釈の世界,ニュース報道を例に|鈴木佑治 N.Yuji Suzuki」で触れたhidden meaningsは良きにつけ悪しきにつけ「編集」=modalityの足跡。Bluesはアメリカン南部であった激しいアフリカ系アメリカ人が、リンチを恐れてもなおかつ抑えきれない日々の苦しみをhidden meaningsとして交換できるよう音色と歌詞を「編集」した記録と考える。江戸時代の浮世絵や歌舞伎における庶民の隠されたメッセージにも同じセンチメントに通ずる。日本人がbluesをこよなく愛するのはそこにある。辞書の「編集」の爪痕は各単語の意味と用例に顕著だ。何故"white"が(My Fair Ladyのように)"fair" = 公正,"black" が(a black list)のように"wicked" = 不正の意味になったのか。みな「編集」=modalityの足跡ではなかろうか。
(2025年10月23日記)
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