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うにっき帳 vol.62|自分史編|私の幼稚園の頃までの話(5)

はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.62を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、自分史編です。今日も「私の幼稚園の頃までの話」の続きで、自分の記憶と母からの話の断片から構成します。このシリーズの(1)~(4)はこちら

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

   一九七七年頃まで 私の幼稚園の頃までの話(5)


私は、年中と年長で違う幼稚園に通うという稀有な体験をしている。場所は二か所とも東加古川だったと思う。もし、一つ目の幼稚園が合わなかったというのが理由なら珍しくないだろう。何が稀有かというと、年中の時に通っていた幼稚園が倒産したのだ。そこは母がかつて講師として勤務していた短大の付属幼稚園だった。母の話によると、幼稚園の経営状態は悪くなかったらしいが、短大の倒産の煽りを食らって一緒に潰れたらしい。母は「会計を別にしておけば、幼稚園は助かったのに」と言っていた。それがどこまで正しいのかはわからないが、確からしいのは、ある日卒園式のような厳かな式が行われた記憶だけだ。晴れた日にちょっと良い服を着て、運動場に出ていたのは覚えている。

 話は逸れるが、母が務めていた山陽色素は、噂によれば一度潰れて会社更生法の適応になった事があったらしい。そして、伯父も倒産した。母の責任ではないとはいえ、彼女は倒産と縁の深い人なのだ。そう思って苦笑してみたが、考えれば、私も人の事は言えない。関わった会社の二三は潰れるか事業撤退をしているし、エルピーダメモリ―という会社に至っては、契約の話は進んでいたが、嫌な予感がして契約せず、その数か月後に潰れた。倒産とは異なるが、文学賞も同様の目に遭った。亀岡市で行われた文学賞、応募して結果発表がないなと思っていたら、消滅したのだ。

 倒産した幼稚園での思い出は少ないが、後に写真を見せられて思い出した事がある。幼稚園での盆踊りのイベントだ。私は浴衣を着るのを断固拒否したのだ。このあたりに、こだわりと頑固さが出ている。しかし、私なりに理由があるのだ。
             (つづく)

さいごに

いかがだったでしょうか。皆さんは職場や契約先が消滅した経験はあるでしょうか? あるいは応募した文学賞が無くなった事はありませんか? 私は上記以外にも賞を頂いた翌年からは募集が無くなった経験もあります。最後の受賞者の一人ですね。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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