うにっき帳 vol.63|自分史編|私の幼稚園の頃までの話(6)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.63を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。今日も「私の幼稚園の頃までの話」の続きで、自分の記憶と母からの話の断片から構成します。このシリーズの(1)~(5)はこちら
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
一九七七年頃まで 私の幼稚園の頃までの話(6)
祖父母の家も、私の家でも――恐らくこの当時は他の家庭もそうだったかもしれないが――ジェンダー規範をしつけに組み込んでいた。
「男だから泣いてはいけない。我慢しなきゃいけない」
「男子、厨房に入るべからず」
「男は門限を気にしなくていいが、女は早く帰らないとはしたない」
「そんな事をするなんて男らしくない」
こういった言説が直接的にも間接的にも、我が家には浸透していた。そういった言説は、話半分で聴いておけば良いものを、私にはそれができなかった。そして、そこから生まれる規範は、イマニエル・カントの定言命法並みに融通が利かず、私にのしかかった。
例えば、私はタイツを履かされるのを異常に嫌がった。よく下痢をしていたので、お腹が冷えないようにという母の配慮からだった。しかし、テレビドラマを見ていた私には「タイツは女性の履くもので男が履いたら変だ」という意識があった。これで、母には何度も叱られ、何度かはそれでも拒否したが、大抵は彼女の命令に渋々従っていた。
浴衣もそうだった。私の中では、浴衣イコール着物であり、着物とは、江戸時代ならともかく、現代では女性の着る物という意識があった。街中でも着物を着ている男性はいなかった。私は母や祖母の説得、叱責につよく抵抗した。それに困った二人は祖父の決済を仰いだらしい。そして
「一人くらい、そんな子がおってもええ」
という鶴の一言で全てが決まった。私はクラスで一人だけ、洋服で盆踊りに参加した。
(つづく)
さいごに
いかがだったでしょうか。小さい頃(今でもそんなところはありますが)、私は頑固で融通が利かず、言われた事を適当に受け流すことができませんでした。だから、自分の子には好きな格好をさせて(アドバイスはしますが)、あまりあるべき姿を押し付けないようにしたいと思います。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
