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うにっき帳 vol.64|自分史編|私の幼稚園の頃までの話(7)

はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.64を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、自分史編です。今日も「私の幼稚園の頃までの話」の続きで、自分の記憶と母からの話の断片から構成します。このシリーズの(1)~(5)はこちら

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

   一九七七年頃まで 私の幼稚園の頃までの話(7)


 私は一人、祖父母の家によく預けられた。そこから幼稚園に通っていた時期もあった。母や姉が一緒の時もあったが、一人も多かった。泊まりも多かった。ユーハイムもゴーフルも大きな缶ごと与えられ、一人で全て食べていた。ユーハイムの缶は、中央にあるチョコレートがコーティングされたクッキーが一番好きで、それがまず無くなった。

 祖父母の家ではする事が何も無かったから、ひたすら食べていた。ゴーフルにはすぐに飽きて、二枚の薄い焼き菓子を剥がして、中央のクリームを先に舐めとり、それから焼き菓子を食べるといった遊び方をしたり、まとめて何枚もいっぺんに食べたりしていた。

 お菓子を食べながら過ごした部屋の心象は記憶に残っている。ほとんど誰も訪ねて来ない部屋。建屋の一番東にある十二畳くらいある正方形の部屋。簡易的なキッチンがあったが誰かが料理をしているのを見た事がない。食事の時には祖父か祖母が呼びに来たが、それ以外は完全に放置されていた。だから、放置される事には慣れている。学校でも、職場でも、家庭でも。

 部屋にはおもちゃ箱が一つあった。それは伯父家族が一時同居していた時の物で、つまり従弟が遊んで、飽きて置いていった残骸だった。私にはつまらなかった。彼らが出て行く時、おもちゃだけでトラック一杯分はあったと、母は嘆いていた。つまり、その部屋は、伯父家族のための二世帯住宅のようなものだった。正方形の部屋は、祖父の診察室を挟んで、祖父母の生活スペースと分離されていた。

 母は、伯父が嫌いだったから、従弟のおもちゃの多さも嘆きの材料だったのだろう。長男で、クリニックの跡取りである伯父とその長男、そして次女である出戻りの母とその付着物の私、祖父母による扱いの差に母は嘆いていたのだ。
            (つづく)


さいごに

いかがだったでしょうか。祖父母の家は東西に長く、その東の一番端の部屋で過ごしていました。中央には診察室、その西が事務室兼薬局、待合室、そして祖父母の部屋や台所、ふろトイレ、一番西に伯母の住む離れがありました。広かったと思います。南側には小さな森が広がっていました。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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