うにっき帳 vol.65|自分史編|私の幼稚園の頃までの話(8)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.65を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。今日も「私の幼稚園の頃までの話」の続きで、自分の記憶と母からの話の断片から構成します。このシリーズの(1)~(7)はこちら
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
一九七七年頃まで 私の幼稚園の頃までの話(8)
祖父母の家で、本当に長い間一人で過ごしていた事があった。祖父母が尋ねてくることもなく、何時間も一人でいたと思う。あまりにも静かなので、家に強盗が入って皆殺しにあったという妄想が膨らみ、不安になった。何しろ普段見ているドラマが「東山の金さん」や「大江戸捜査網」と言った時代劇で、毎日のように誰かが悪人に殺される話なのだ。それがうちにも来たのかと怖くなり、忍び足で診察室を抜けて、薬局の前を右に折れた。そこから廊下が二又に別れていて、左を行くと祖母の部屋と風呂と便所、右を行くと、薬局の裏手と祖父の部屋、応接室、食堂があった。どちらの廊下からも物音ひとつしない。祖母の部屋をそっと覗いたが、勿論ミステリーのように死体があるわけでもなく、ほっとして引き返したのを覚えている。おそらく、祖父か祖母が居たと思うが、どこかへ一時的に外出したのだろう。
後に、母が、姉と伯父一家とで奈良のドリームランドという遊園地に行った事を私に告げた。その時、私は祖父母宅に預けたと言っていたから、その長すぎる日がドリームランドの日だったのかもしれない。さすがに幼児一人だけ残すことはせずに、祖父か祖母を一緒に残したはずだが、長すぎた一日だった。兵庫から奈良までは100キロ以上ある。母は運転免許がないので、伯父が運転したか、電車で行ったのかは不明だが、長すぎる一人の時間は、これで説明がついたのだ。
これを聞かされた時、寂しさが募ったが、私のような幼い子を遊園地に連れて行ったところで、母の重荷になるだけだし、きっと私も楽しくなかっただろうと思う。小学校に上がると、母は私も家族旅行に連れて行ってくれるようになったが、楽しんではいなかった。家に残るよりましだと思った程度だった。私は、人の意思で動かされると、それを享受できなくなるタイプの人間だった。
(つづく)
さいごに
いかがだったでしょうか。私は留守番には慣れていましたが、あまりにも周囲が静かだと、怖くなってしまっていました。静寂が苦手なタイプです。かといって、出かけても楽しめないので、周囲の人からは扱いに困った事でしょう。旅行を楽しめるようになったのは大人になってからです。自分の意志で行かないと駄目なのですね、私の場合。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
