うにっき帳 vol.66|自分史編|私の幼稚園の頃までの話(9)
はじめに
こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.66を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。
今回は、自分史編です。今日も「私の幼稚園の頃までの話」の続きで、自分の記憶と母からの話の断片から構成します。このシリーズの(1)~(8)はこちら
では、始めます
ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。
一九七七年頃まで 私の幼稚園の頃までの話(9)
年長になって幼稚園が変わった時、潰れた前の園では私服だったが、急に黒か紺の上着のようなものを着せられ、胸には紫色で桜の花びらを象ったバッジをつける事になった。これだけで固い園でつまらなさそうという印象だった。その予感は当たり、ここでの居心地は良くなかった。
私は、人の話を聞かない癖があったので、自分がどう振舞えばよいのかわからなかった。母親とコミュニケーションがあまりとれていなかったのが影響していたと思う。母は、私が話しかけると嫌な顔をしたし、母が口を開けば叱責ばかりだったからだ。母に「男が喋るのはみっともない、黙ってなさい」と言われていた。
園内のお店屋さんの行事があった。園児が二組に分かれて、一組が銀行員やお店の店員役、もう一組がお客の役割をして、偽金をもって買い物をする。そして、時間が来たら役割を交代するというものだ。私はルールを理解できず、あっという間に偽金を失くしてしまった。だから、適当に買い物をするふりをして園内を散策していた。楽しくもないのに楽しそうなふりをするのは、この頃に身についたものらしい。
私は、ある日、先生の逆鱗に触れた。この事件は鮮明に覚えている。
「冬に動物たちはどこに食べ物を隠しますか?」という質問に、私はふざけて「冷蔵庫」と答えた。テレビで吉本新喜劇や漫才を見ていたので、この手のおふざけが好きであった。しかし、女性の先生は私の想像をはるかに超える怒り方をした。怒鳴り散らされるとは思わなかったので、体が硬直した。いつも怒っている母より、普段温和に見える女性の怒った顔の方が、ギャップがある分、余計に怖かった。ふざけた私の自業自得だと思うが、それ以来、私は先生にできるだけ話しかけないように心がけた。
(つづく)
さいごに
いかがだったでしょうか。私は、場を考えず、つい人をからかったり、冗談を言ったりしてしまう癖があり、大人になるまでなかなか治りませんでした。幼稚園時代で凝りて、二度としなければ、もう少し変わった人生を送れたかもしれません。お笑いが好きだったので、つい笑いを取る人イコール頭の良い人と考えて、憧れたのでしょう。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
