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うにっき帳 vol.67|自分史編|私の幼稚園の頃までの話(10)

はじめに

こんにちは。吉村うにうにです。「うにっき帳」のvol.67を掲載します。
「うにっき帳」は日記と銘打っていますが、①日記編 ②語彙増量編 ③自分史編の三部のいずれかを取り上げます。

今回は、自分史編です。今日も「私の幼稚園の頃までの話」の続きで、自分の記憶と母からの話の断片から構成します。このシリーズの(1)~(9)はこちら

では、始めます

ちなみに、本文は常体で書いております。また、日付は自分史編では、エピソードが生じたと思われる日です。

   一九七七年頃まで 私の幼稚園の頃までの話(10)


 園の子ども達とも上手くつき合っていなかったと思う。特に男の子は、負けず嫌いで、野卑で粗暴だった。きっと、おとなしい子もいただろうが、印象に残るのは、声の大きく、自己主張の強い子だった。今でもそう言った人間は苦手で、圧力に負けてしまう事がよくある。どうして、世界は強く出た人の勝ちになるようにできているのかが、さっぱりわからない。

 クラスの子とは、そもそも見ているテレビ番組が違う点で、話が合わなかった。当時、園の子の間で流行していたのは「コンバトラーV」をはじめとするロボットアニメだった。話を合わせなきゃと思って一度だけ見た記憶がある。しかし、元来私は時代劇や「太陽にほえろ」といった刑事ドラマが好きだった。歌手が出てくる番組では、沢田研二に夢中だった。家の中で、彼の真似をして、歌いながら帽子を投げていた。歌詞もかなりの曲数を覚えていたと思う。しかし、幼稚園ではそんな話ができるはずもなかった。

 だから、友だちはほとんどいなかっただろう。いたとしても、幼稚園が終われば、交流はなかったと思う。同じ園にいながら、私は先生ともクラスの子とも達とも、薄い透明な膜に隔てられたように、見えるけれどもそれぞれ違う世界に生きているようだった。それを不幸だと思った事はないが、幼稚園は私にとって「なるべくなら行きたくないが、行かなければならない場所」という位置づけだった。

 そんな私だから、クリスマスの劇で羊飼い役をやった時も、パートナーである羊役が見つからなかったもの当然だと言える。先生ともその子ともコミュニケーションが取れていなかったのだから。
              (つづく)

さいごに

いかがだったでしょうか。幼稚園時代、周囲と話が合わなかった記憶があります。まあ、今でもそうですが。ただ、今の方が多様性が認められている相対主義的な社会なのでプレッシャーは少なく楽な気はします。当時は、人に合わせなきゃという圧力があって大変でした。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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