なぜやる気は動く前に行方不明になるのか? 20年PMが見つけた、エネルギーを消耗しない行動の設計
正直に言う。
私は、やる気は気持ちの問題だと思っていた。
気合を入れれば出る。
出ないのは、自分が甘いからだ。
長い間、そう信じてきた。
だから、やる気が出ない朝は、まず自分を責めた。
なぜ動けない。
昨日できたことが、なぜ今日はできない。
いい年をして、情けない。
そうやって自分を叱咤して、それでも動けなくて、また落ち込んだ。
二重に疲れた。
やる気を出すためのエネルギーより、出ない自分を責めるエネルギーのほうが、はるかに大きかった。
長い間、私はこれを意志の弱さだと思っていた。
だが、本当の理由は、もっと構造的なところにあった。
やる気は、出すものではなく起動するものである
ひとつ、言葉を入れ替えてみたい。
「やる気を出す」という言い方を、やめてみる。
代わりに、「やる気を起動する」と考える。
コンピュータを思い浮かべてほしい。
電源ボタンを押しても、すぐには動かない。
画面が暗いまま、内部では起動シーケンスが進んでいる。
システムを読み込み、メモリを確保し、準備が整って、ようやく操作できる。
このあいだ、外から見れば、何も起きていないように見える。
人のやる気も、同じだ。
机に向かっても、すぐには乗らない。
そのあいだ、外から見れば、ぼんやりしているだけに見える。
だが、内部では起動シーケンスが走っている。
ここで、決定的な誤解がある。
私たちは、やる気が出てから動こうとする。
これは、起動が完了してから電源を入れようとするようなものだ。
順番が逆なのだ。
やる気は、動く前に出るものではない。
動き始めてから、遅れて起動するものである。
起動には、ウォームアップがいる
もう少し、構造を解剖したい。
なぜ、動き始めが一番つらいのか。
それは、起動時に最も負荷がかかるからだ。
止まっているものを動かすには、動いているものを動かし続けるより、大きな力がいる。
物理でいう、静止摩擦というやつだ。
止まった状態から最初の一歩を出すとき、抵抗が最大になる。
そして、いったん動き出せば、抵抗は小さくなる。
人のやる気も、これと同じ構造を持っている。
机に向かう最初の五分が、一番重い。
だが、五分続ければ、いつのまにか乗っている。
ここで、多くの人が間違える。
「乗らないから、まだ始めない」と考える。
だが、これは順番が逆だ。
乗ってから始めるのではない。
始めるから、乗る。
ウォームアップなしで全力を出そうとするから、起動できないのだ。
だから、対処はひとつしかない。
ハードルを、ばかばかしいほど下げることだ。
具体的には、第一に、最初の一歩を「やる」ではなく「形だけ触る」に変える。書くなら一行、片づけるなら一つだけ。
第二に、時間を「やり切る」ではなく「三分だけ」に区切る。三分で終えていいと自分に許可する。
第三に、できなかった日を記録から消さず、ただ「今日は起動しなかった」と事実だけ書く。責めずに、ログを取る。
やる気は、気合で出すものではない。
低い負荷で、そっと起動するものである。
起動しない日には、原因がある
ただし、ここで気をつけたいことがある。
いつも起動できないなら、それはやる気の問題ではない。
システムの問題だ。
コンピュータが毎回起動に失敗するなら、ボタンの押し方を責めても意味がない。
電源が足りていないか、どこかが壊れている。
人も同じだ。
やる気が出ない日が続くとき、原因は意志ではないことが多い。
睡眠が足りていない。
休めていない。
そもそも、それをやりたいと思っていない。
このうち、最後のものが一番見落とされる。
やる気が出ないのは、心の底で、それを本当はやりたくないからかもしれない。
それは、怠けではない。
正直なセンサーが、警告を出している状態だ。
だから、ここで切り分けが要る。
起動の問題なのか。
それとも、そもそも起動すべきでないものなのか。
ウォームアップ不足なら、ハードルを下げればいい。
だが、心が拒否しているなら、ハードルを下げても無駄だ。
そのときは、やめる勇気がいる。
環境を変えることは、逃げではない。
プロフェッショナルとしての、耐久設計である。
自分のセンサーも、過信するな
とはいえ、ここで自分を甘やかしすぎてもいけない。
「やりたくないから、これは正直なセンサーだ」と、何でもそう解釈するのも危険だ。
人は、ただ面倒なだけのものに、立派な理由を貼り付ける。
本当はサボりたいだけなのに、「自分の心が拒否している」と言い換える。
これも、自分という観測装置のバイアスだ。
だから、人を責めるより構造を見る。
そして、自分を責めるより構造を見る。
センサーを信じすぎてもいけないし、無視してもいけない。
分からないものは、分からないまま抱える誠実さがいる。
そのうえで、三つの問いを置きたい。
第一に、五分だけやってみて、まだ重いか。三分で乗るなら起動の問題、何度試しても重いなら別の問題だ。
第二に、それをやり遂げた未来を想像して、少しでも嬉しいか。何も感じないなら、起動すべきでないのかもしれない。
第三に、責めることで、過去に一度でも動けたことがあるか。一度もないなら、その方法はもう手放していい。
動けない自分に、優しくしていい
最後に、構造から少し離れた話をしたい。
私は今でも、やる気が出ない朝がある。
五十代になっても、なくならない。
だが、ひとつ変わったことがある。
動けない自分を、もう責めなくなった。
「ああ、まだ起動中なんだな」と思うだけだ。
そう思えるようになってから、二重の疲れは消えた。
そして、おかしなことに、責めるのをやめたら、前より動けるようになった。
責めるという行為は、起動に必要なエネルギーを、横から奪っていたのだ。
自分を叱る声に電力を使えば、動くための電力が足りなくなる。
当たり前だった。
私たちは、動くためのエネルギーを、自分を責めることに浪費してきた。
だから、覚えておいてほしい。
やる気が出ないのは、あなたが怠けているからではない。
ただ、起動に時間がかかる日があるだけだ。
そういう日は、ハードルを下げて、一行だけ触ればいい。
それでも重いなら、今日はそっと電源を切っていい。
明日また、起動すればいい。
やる気は、意志ではない。
起動シーケンスである。
そして、起動を待つあいだ、暗い画面の自分を、責めなくていい。
優しいまま、壊れないこと。
それは、根性ではなく、設計の問題である。
やる気が出ないのは自分の意志が弱いからではなく、システムがまだ温まっていない起動中の状態にすぎません。
動けない自分を叱ってエネルギーを浪費するのをやめ、ハードルをばかばかしいほど下げてそっと電源を入れること──それこそが、心身をすり減らさずに長く走り続けるための最も現実的な設計なのです。
気合や根性ではなく構造として自分を運用する。人を責めるより、構造を見る。自分を責めるより、構造を見る。優しいまま、壊れないこと。誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。短期評価ではなく長期残存価値である。
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