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はじめて"ひとりアート”に挑戦したら、1時間半後にワープしていた話 ─エドワード・ゴーリーを巡る旅(高松市美術館)─

自転車に乗りにくい服を選んだ。
淡いココアブラウンのレーススカートだ。前の晩から、これを着ると決めていた。

はじめての”おひとりさま美術館”に挑戦するために、少しでもシックな服装をしてみようと思ったのだ。


選んだのはレースのタイトスカートに、
ラメの入ったグレーのサマーニット。
平日にはなかなか着ない組み合わせ。


子どもを送ったわたしは、各種交通機関をいろいろ乗り継いで遠出し、美術館の前に立っていた。

高松市美術館は、県内でも中心地にある。
最近、島に行くようになるまでは、ほとんど出かけたことがない地域だった。

目的は「エドワード・ゴーリーを巡る旅」という展覧会だ。


▼自己紹介


ひとり美術館のハードルが高かった理由


美術館は3ヵ所しか行ったことがない。
そのうちのひとつがここ。
以前、「tupera tuperaのかおてん」をやっており、子どもたちが興味を持ったので家族で来たことがあった。


子どものためのアート体験スペースがあるのも魅力(下)


ひとり美術館。
ハードルが高くって、なかなか決断できなかった。
でも、一度来た場所だというのが背中を押してくれた。


どうして渋っていたかというと、もうひとつ理由があって、楽しめるかわからなかったからだ。

絵を描くのは好きだけれど、観るのは得意じゃない。鑑賞というと、どうしたらいいのかさっぱりわからなかったのだった。


さらにもうひとつ「今しかない」という思いに後押しされた。

来年、下の子が小学生になる。
ようやく今年、上の子が週3回6時間授業の日ができて時間にゆとりが持てた。でも、来年はそうはいかない。

1年生のころは子どもだけじゃなく、支えるわたしのほうも大変で、自分の時間どころか、仕事時間さえ怪しい日々を送っていたものだった。

だから、今年のうちに「子どもが少し大きくなったらやりたかったこと」をぜんぶやる。そう決めたのだ。

──ひとりで美術館へ行くのもそのひとつ。



ひとりで離島に行くなどもしてみた。
送り出してから「おかえり」までの
ほんの数時間で行って帰ってこられる。


数年前、徳島県にある大塚国際美術館へ足を運んだ。

青森から来た両親が行きたいと言ったためだ。大塚国際美術館では、世界中の西洋名画約1,000点が、原寸大に再現・展示されている。

そのときはじめて、絵をみるのって、おもしろいかも。──そう思った。
とはいえ、そこまで熱い気持ちになれたのは一部の絵についてだけだ。

大学時代に少しだけイタリア芸術の授業をかじっており、そのときに絵の中に登場するモチーフやその暗喩みたいなものを教わっていた。
「あ、これはもしかして……」と、まるで謎解きをするような楽しさがあった。

もしかして、事前に情報があれば、まったく感じ方が異なるのでは。そう考えた。
それに、女性は準備にかけた手間や時間が多いほど、当日が思い出深いものに変わるらしい。


美術館へ行く前にしたこと

わたしがまず行なったことは、エドワード・ゴーリー展についての情報を集めることだった。
note内での検索がとても役に立った。


次に、エドワード・ゴーリー本人についての情報をWebで集める。それから、高松市美術館についても調べていく。さらに近隣でいっしょに寄れそうなところなど。

こんな感じの情報が集まってきた。


代表作に『ギャシュリークラムのちびっ子たち』、
『うろんな客』、『おぞましい二人』など。

・アメリカ生まれ。
・2000年に亡くなっており、没後まだ25年。
・猫好き。
・アナグラムを用いたペンネームをいくつも使い分ける。
・子どもが不条理な目に遭う作品が多い。
・美術館では食事ができるらしい。
・おもな代表作(絵本)とそれぞれの特徴。

調べた中のほんの一部

情報収集を進めるうちに「行くかどうか迷うな……」と思っていたはずが、楽しみでねむれないくらいになっていた。

noteで探すのがポイントだと思った。実際に行った人の生の声を見られるのが楽しい!
見終えたあとに探すのも楽しいと思う。


▼参考にさせていただいた記事たち。出かけてみたいなと後押ししてもらえました。ありがとうございます……!

そこに他の絵本のような教訓や道徳はなく、まるでなんてことないように、平然と子どもたちが死んでいる。それを見て気味が悪いと思う自分がいる。でもその無風さにかえって落ち着いている自分もいる。
ゴーリーは、良い悪いの外側から子どもたちや世の中を見ていたのかも。

印象に残った部分を引用しています。
特に最後の一文に共感しました。

エドワード・ゴーリーについて知っている知識は「猫じいさん」だった、ということだけだった。

猫好きなので書き出しから引き込まれてしまった!

旅先で、美術館、博物館、郷土資料館、水族館に行くのが好きだ。(あと、ローカルなスーパーマーケットに行くのも好き。)

エドワード・ゴーリー展の部分も参考になりましたが
旅先での過ごし方も素敵


エドワード・ゴーリーをめぐる旅


そして迎えた当日。エントランスを抜けてチケットを購入。
展示室内は写真不可なので、入口だけ。


中に入ると、壁に小さな絵がずらりと展示されていた。

まだ朝も早く、わたし以外にはほんの数人しか人がいない。自分のペースでゆっくり進むことができた。
回っているあいだ、視界に映るのはほんのふたりくらい。

足音さえ大きく響くくらいの静けさだった。

原画はとても小さくて、その中に精緻なタッチで描かれているものだから、目を細めて、人相悪い感じになりながらじっくりと見つめた。


小さな絵、これが実際に書かれた原画なのだと思うと、すごく感慨深かった。
まるで印刷したみたいに緻密なのに、修正した跡や貼り合わされた跡があるのを見て、なぜかぐっと来た。

不幸な子ども

事前に得ていた情報によると、『不幸な子ども』という作品では、ほとんどのページに”怪物”がひっそりと隠れているらしい。

『不幸な子ども』は、理不尽な小公女といった雰囲気のお話。
1枚1枚目をこらして、──見つかった! ここにいる、こっちにも……と探してみるのがたのしい。


うろんな客

想像していたよりずっとたくさんの原画が並ぶ。モノクロで描かれているのだけれど、とにかく描き込みが緻密。


購入した『うろんな客』。
こちらも展示があった。

線だけでこんなにも、影を描けるのだなぁという感動。どれだけ時間がかかっているのだろう。

左から、一人ずつに目を向けてみる。すると、絵の細部まで見えてきた。

ここには載せていないのだけれど、不思議な生き物たちの絵にも心惹かれた。物販スペースでトートバッグを買うか、最後まで悩んだくらいだ。

おぞましい二人

たくさんの原画を、足が痛くなるまでじっくり眺めていく。陰鬱なのにどこかコミカルさもあって、不思議な感覚だった。

ふと、ずっと前にどこかの書店で『おぞましい二人』を手に取ったことがある気がした。たぶん、生誕何周年などのイベントコーナーができていたのだと思う。実際の殺人時家にショックを受けたゴーリーが描いたというもの。
読んだとき、本当に「おぞましくて」ショックで、ほかの作品を手に取ることはなかった。

幼少期のゴーリーと猫

途中、ゴーリーが幼少期のスケッチも。かわいい。そして、ものすごく上手だしすでに才能が見えているのだけれど、あくまでも落書きで、それが残っていることにも感動した。
うちの子どもたちが描くみたいに、親への「大好き」の言葉も綴られている。

事前に得ていた「ネコ好き」の情報通り、幼少期のスケッチにも猫が。

ゴーリーの作品では、子どもたちが"自然に"不条理な目にあっていく。それはサイコホラーとかそういうことというよりも、世界のどこかでありそうなこと、と思えた。
この年まで生きてきて、大人になって。でも、ほんのちょっとした偶然で、人生の分かれ道が不条理なものへと向かってしまう、そんな子どもたちもいるのだと思った。

あまりにも自然に描かれているから、陰惨な感じはそこまでしないのが不思議だ。遠い世界のニュースを見ているような感覚というのだろうか。


子どものような大人たちの中に、わたしも

足が棒になるくらい歩いたところで、静謐な館内にふと英語が響いていることに気がつく。
スクリーンには海外のドキュメンタリー番組らしいものが上映されていた。

そしてすぐそばには、10人ほどの大人たちが座り込んでいる。靴を脱いで上がって、絵本を読めるスペースがあるのだ。

小さな椅子にちょこんと座った大人たちが、無心で絵本を読んでいる。わたしもシルバーのバレエシューズをぬいで、その風景の一部になった。


この場だけでも7冊読んだ。


タイムスリップ後、少しずつ、母に戻る

展示室を出たわたしは、そこではじめてスマホを見た。1時間半が経っていた。まったくそんな感じがしなかったので驚いて、館内の時計と見比べた。

けれども間違いない。あの小さな空間に、わたしは1時間半もいたのだ。

来る前に想像していたのは、30分持つだろうか、ということだった。子どもと美術館へ行った時、夫と行った時──いずれもそれくらいだった。

でも、観るペースは人によって違う。そう考えてみると、ひとり美術館はかなり良いのかもしれないと思えた。
終わったあとに感想を共有できないことを除けば。


美術館で日替わり定食を食べたあと、わたしはコインロッカーに預けていたパソコンを取りだし、近隣のカフェで帰宅ぎりぎりの時間まで仕事を進めた。

電車に揺られながら、少しずつ母に戻っていく。夜に習い事があるからお弁当をつくろう。ごはんを炊いて、卵を焼いて。大人のごはんはどうする? 足りないものあったっけ。電車を降りたらスーパーによってお米を買わなくちゃ。

頭の中が途端にうるさくなった。

美術館で過ごすことは、目の前の、今ここにあるものに集中して、静かな時間を取り戻すことでもあるのかもしれない。そんなふうに思った。



一日でたくさんの情報をインプットしたせいだろうか。子どもたちがねむったあと、すぐにパソコンに向かえなかった。

まるでのぼせたみたいに頭の中がいっぱいになり、ただぼんやりとドラマを見て過ごした。

でも、今日見たもの、感じたことはきっと、これから暮らしていくうえで心に残り、あるいは創作の糧になるのだろうと思えた。


▼男木島に行った経験から生まれた記事

▼毎日更新3800日をすぎました。


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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡