#1|名前のないチェックリスト|#1 条件と呼吸ーマッチングアプリに疲れたあなたへー(全10話)
【あらすじ】
幸せになるには、条件があると思っていた。
高収入、高学歴、高身長、タワマン、エリート。
マッチングアプリで"条件どおり"の男性を探し続ける34歳のデザイナー・りお。
理想どおりの男性と出会っても、なぜか心は動かない。
一方、出版社で出会った少しおっちょこちょいな編集者・青木とは、条件では説明できない心地よさを感じ始める。
「もっといい条件があるはず」
そう思って探し続けた先で、りおが最後にたどり着く答えとは。
条件に縛られた女性が、自分でも言葉にできなかった"幸せ"を見つけるまでを描く、現代の恋愛ドラマ。
※読み終えたとき、このタイトルの意味がわかります。
3分前、彼から「着きました」と連絡があった。
窓際の席が空いたから、先に入っていると。
プロフィール写真は、 少し画質の粗いスーツ姿だった。
窓際の席に写真よりも少し細身の男が座っていた。
グレーのジャケット。
仕立ての良さそうな生地。
「……『りお』さん、ですか。初めまして。たくやです。」
男は微笑んだ。
アプリの画面に表示されたニックネームを呼ぶ声に、淀みはなかった。
「お待たせしました。初めまして。……たくやさん、ですよね。『りお』です。」
りおは、軽く微笑みながら小さく頭を下げた。
注文したアイスコーヒーが運ばれてくる。
たくやのプロフィールを、りおは頭の中でなぞる。
都内IT企業勤務。
マネージャー職。
年収、800〜1,000万円。
(条件どおり、に見える)
ふと、前回会った別の人のことがよぎる。
プロフィールには「178cm」と書かれていた。
実際は、どう見ても170cm前後だった。
会話は楽しく、気遣いもあった。
笑い合えた。
身長が低かったことは、途中からどうでもよくなっていた。
でも。
最初に書かれていたプロフィールは、本当じゃなかった。
嘘をつかれたことだけが、最後まで胸に残った。
今回のたくやは、条件を満たしている。
会話は、 驚くほど滑らかに滑り出した。
「休日は、よくこのあたりに?」
「そうですね。買い物のついでに、少し。」
「いいですね。僕も表参道はよく来ます。」
趣味の話。
仕事のやりがい。
好きな映画の傾向。
どれをとっても、 「正解」のパズルがはまっていく音がした。
たくやは、りおの話を遮らない。
適切なタイミングで頷き、 次の問いを投げてくれる。
(スマートな人だな)
りおは、ストローで氷を静かにゆっくり回した。
カラン、と高い音が響く。
不快な要素は、どこにもない。
それなのに、胸の奥が、 薄い膜で覆われているように息苦しい。
そのときだった。
ガシャン、 という鈍い音がすぐ近くで弾けた。
隣の席のサラリーマンが、 立ち上がりざまにリュックを引っかけたらしい。
りおのテーブルの上のグラスを倒し、テーブルに水が勢いよく広がっていく。
「あ!」
サラリーマンが、大きめの声を上げた。
テーブルに置いていたりおの文庫本が、 またたく間に水を吸っていく。
会話の種にと、バッグから出した文庫本だった。
「すみません! 弁償します、本当にすみません。」
サラリーマンは慌ててポケットから タオルを取り出し、必死に水を拭き取ろうとする。
りおは、慌てて自分のバッグを引いた。
「あ、大丈夫です、乾かせば読めますから。」
「でも、それでは申し訳ない。」
「本当に、本当に大丈夫ですから、ただの文庫本です。」
何度かのやり取りの後、サラリーマンに何度も頭を下げられ、 りおは小さく手を振った。
だが、たくやはそれを見ていなかった。
「うわ……」
たくやは小さく声を漏らし、 自分のグレーのジャケットの袖を、 いそいそと叩いている。
水滴のついた袖口を、 酷く迷惑そうに見つめていた。
たくやは、自分の袖が汚れていないことを確認すると、 ようやくこちらを向いた。
「災難でしたね。本、大丈夫ですか?」
さっきまでの、あの爽やかな笑顔。
差し出されたハンカチは、しっかりアイロンがかけられていた。
「あ、ありがとうございます……」
濡れて波打つ表紙を見つめながら、 りおは、胸の膜が さらに厚くなるのを感じていた。
たくやは、何も悪くない。
私にひどいことをしたでもない。
当然の反応をしただけだ。
濡れたジャケットを気にするのは、当たり前だ。
だけど・・・。
一時間後。 駅の改札前。
「楽しかったです。また、ぜひ。」
たくやは、綺麗に手を振って、 人混みの中に消えていった。
お互いの本名を明かすことも、 次の約束を具体的に詰めることもなく。
りおは、ホームへ向かう階段を上る。 足が、いつもより重い。
会話は成立していた。
条件も、見た目も、申し分なかった。
目線は、ずっと私を捉えていたはずだった。
でも。
「減点対象がないか」を、 品定めされていたような、奇妙な冷たさ。
私は、選ばれない。
失礼な対応をされたわけではない。
ただ、 きっと、彼の条件を満たしてない。
夜。
ワンルームの部屋。
バッグから、乾きかけて ごわごわになった文庫本を取り出す。
部屋の明かりが、 妙に白くて眩しい。
りおは、ベッドに倒れ込んだ。 天井の木目をじっと見つめる。
乾いた砂を飲み込んだような、 鈍い痛みが、じわじわと広がっていく。
ポロン、とスマートフォンが鳴った。
友人からのメッセージだった。
『サークルのまみ、結婚するんだって。 来月、二次会あるみたい。りおも行く?』
部屋には、 時計の秒針の音だけが響いていた。
🌸最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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