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『介護が始まるとき』──てんかんの恐怖






施設介護編
【第8話】



 あれから、
10年が経とうとしている今も──


私たちを
苦しめ続けているもの。


 それが、"てんかん"でした。


 妻は年に1、2回は救急車で運ばれ、

これまでに何度も、
生死の境に立っていました。 


 いったい"脳出血"という病気は、

どこまで私たちに、
苦痛を与えれば気が済むのか。



 当時の私は、
やり場のない怒りと、その恐怖に、

ただただ怯え続けるだけでした。






妻が脳卒中後の
“てんかん”を初めて起こしたのは、


障害者支援施設に入所して、
しばらくしてからのことでした。


てんかんは、

脳出血を起こした人に高い確率で、
発生する後遺症の一つらしく。



開頭手術の直後から妻は、
点滴による抗てんかん薬の投与が始められていました。



とくに妻のような、
脳を破壊された割合が多い人間ほど──

その影は色濃いと、
聞かされていました。

一つの薬では妻のそれは、
到底抑えられるものではなく。


また妻の症状は、その時々で、
まったく異なっていたため。

それが起こった最初の頃は、

「脳出血の再発かもしれない」と。


その得体の知れない
"てんかん"の恐怖に、

私は震え上がっていました。





その夜──
時刻は未明。

施設から、その電話。



「奥さまが吐いています。
ものも言えず苦しんでいます。

できるだけ早く、
来ていただきたいのですが」



すでに寝室でくつろいでいましたが、
その知らせを聞いた瞬間。



血の気は失せて、

ほとんど着の身着のまま、
車に飛び込み施設へ向かいました。





『障害者支援施設』には、
看護師はいるものの、


生命に関わる医療的な判断や対応。

特に"てんかん"のような症状に対する
処置を行うことはできませんでした。


また施設は救急車を呼ぶにも、

まずは本人または、
家族の判断が必要であり、


『施設側の判断だけでは動けない』


という厳格な規則がありました。


そのため私は、
妻がその施設にいた1年半以上の間。



いつ呼び出しが来ても、
駆けつけられるようにと、

一切のアルコールを
飲まない生活を送っていました。






施設に到着し、
妻の部屋に駆け込み。



私の目に飛び込んできたのは──


別のベッドにまとめられていた、
吐いたような跡のある
大量のシーツやタオルケット。



その時に対応したと見られる
洗面器や青いバケツ。
使われた山のようなティッシュ。


そしてその奥には、
ベッドの上で腹ばいになりながら、

顔を横に向けて、

『ウー、フー』と。


唸り声を上げながら、
苦しんでいる妻でした。





その姿を見た瞬間。

私には、"あの日の記憶”が、
フラッシュバックしていました。


『お風呂の入り方が分からないー!』


あの妻の声が、
頭を駆け巡り。






その途端──

私の体は、
ガタガタと震えだし、

髪の毛が逆立つように
頭や顔の皮膚が張り詰め、

鼓動が、
バクバクと音を立てていました。





妻の側で職員は、


『大丈夫ですか?』
『聞こえますか?』



その体をさすりながら、
声をかけ続けていました。





その光景を前にした私は、


あまりの恐ろしさで、
立ちすくんでいました。


ただ茫然と……



あの時と同じように──








『介護が始まるとき』
──てんかんの恐怖

【第8話 完】




▼この話は、第9話
『搬送される慟哭』へつづきます。


※あの日の記憶







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