『介護が始まるとき』──震えあがる私
施設介護編
【第2話】
8人部屋に一人で入所になった妻。
その部屋を目にした妻も、
つい口から──
『ヤバ…….怖すぎる。事故物件』
これから、そこで生活する妻には申し訳ないですが、
その部屋は私から見ても
「怖すぎる部屋」でした。
その部屋は、
窓の外から見える木の枝の揺れる音が、
聞こえるほど──
静まり返っていました。
部屋の中を見回せば、
どこか薄暗く感じるのは、
気のせいではなかったようにも思います。
使われていないベッドが、
広々とした部屋に整然と並べられ、
妻のために用意されたステンレス製の冷たそうなロッカーが2つ、
ベッドの近くに置かれていました。
ベッドのまわりにはカーテンレール。
上から取り囲むように設置され、
カーテンで間仕切りもできるようになっていました。
それでも……私は努めて、
『まあ、狭いより、広い方が良いよね』
『知らない人といるより、
一人の方が良いって言ってたし……』
妻はそれには反応せず、
黙って車椅子に座り、
窓の外を眺めていました。
妙な静寂の中──
とりあえず私は、
持ってきた妻の身の回りの物を
ロッカーにしまったり、
テレビを設置したりと、
妻が生活できるように、
部屋を整えていきました。
しばらくすると夕食の時間。
病院とは異なり、
食事は決まった時間に、
食堂で食べることになっていました。
食べ終わって──部屋に戻ると。
『食事おいしくなかった』
『トイレ古くて嫌』
『なんか臭いが田舎っぽい』
などなどと、
言いたいことが溜まっている、
妻の愚痴や文句を
私はひたすら聞いていました。
ただ、そのいつも通りの様子から、
部屋の雰囲気に妻は慣れていたようで、
少し安心もしました。
それから歯を磨いて、顔を洗い。
パジャマに着替えて、
寝る準備も完了。
横になると──
疲れからか、妻はすぐに、
スヤスヤと眠ってしまいました。
その様子を見て安堵した私は、
寝ている妻に、
『頑張ってね』
と声を掛け、
その部屋をあとにしました。
玄関へ向かう廊下を歩きながら──
ふと私は、
昔のことを思い出していました。
正直に言えば……実は。
当初から、
その部屋に一番びびっていたのは、
妻ではなく、私の方でした。
私は昔から、
ホラーやお化けなどが、
超がつくほど苦手です。
ほん怖や、世にも奇妙なとか、
今でも一人では見れません。
学生時代──
妻と一緒に入ったお化け屋敷では、
あまりの怖さに腰を抜かしてしまい、
四つん這いのまま、
妻を置いて逃げ出したという苦い経験すらあります。
当時、そんな私の醜態を、
妻はゲラゲラと腹を抱えて・・
脳出血で倒れた今も、
その記憶だけは消えることはなく。
黒歴史として、
たびたび妻にいじられています。
私が施設を出る頃には、
あたりはすっかり真っ暗になっていました。
静まり返る中。
駐車場へ向かう途中、
ふと建物を振り返ると──
窓から、知らない女性が、
私に向かって手を振っていました。
!?
え? ウソでしょ?
背筋が凍りつきました。
震え上がった私は、
急いで車に飛び乗り、
そのまま家路につきました。

この施設での生活は一年半。
一番不安だったのは……
あんな怖い部屋で、
スヤスヤと眠れる妻より、
これから毎日ここへ通う、
「私」だったと思います。
夜は街灯も少なく、
施設の周りは真っ暗闇に包まれて。
駐車場まで行くのを、
やたら恐ろしく感じていました。
──案の定。
翌朝から妻は、
何ごともなかったように、
元気にリハビリへ。
その休憩中、
"窓から手を振ってた人の話"を
妻にしてみれば、
妻はニコニコしながら、
あっけらかんと、
「へー、そうなんだー」
……まるで他人事のように。
もしかしたらその時、
私だけが、“見てはいけないもの”を
見たのか、
ビビりまくっていたため、
たまたま窓の人影が、
そう見えたのかは、
分かりませんが──
ともかく、こうして、
妻の施設生活が始まりました。
ただ、この時の私たちは、
まだ知りませんでした──
この先に待っている、
若若介護というその厳しい現実を。
そして、妻が施設を揺るがすような、
事件を起こすことなど。

『介護が始まるとき』
──震えあがる私
【第2話 完】
▼この話は、施設介護編 第3話
『妻の大好きなリハビリの先生』
へ続きます。
▼前回の話 第1話『怖すぎる部屋』
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