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#10(最終話)|問いからはじまる、ある教え子の物語 |書き始めることにした ─ デザインマネジメント「物語と発信」/「自分らしさ」からはじまる

Bさんは、複数の教え子の語りをもとに構成した、合成のキャラクターです。 発言はすべて実在する受講生の言葉に基づきますが、個人の特定を避けるため、氏名・所属・細部のエピソードは伏せています。

「私は、語られる側だった」

ここまで、9回にわたって、Bさんの話を書いてきました。 授業で出会った3年生の春から、就活で「どうありたいか」を言葉にした、3年生の終わりまで。

あの授業から、数年が経ちました。 社会に出て働き始めたBさんと、久しぶりに話す機会がありました。

ある日、Bさんがぽつりとこぼしたんです。

「これ、ぜんぶ先生が書いてくれた話ですよね。 私、ずっと"語られる側"だったなって」

その通りでした。 このシリーズは、私が、Bさんの体験を、私の言葉で並べ直したもの。 過去の出来事として、きれいに整えて、誰かに届けるための文章。

完結した「物語」。 始まりがあって、終わりがあって、めでたしめでたし、で閉じられる類いの。

でも、Bさんが続けて言ったんです。

「だから、これからは、自分で書こうかなって」

その一言で、私は、ペンを置くことにしました。

ストーリーと、ナラティブ

ちょうど授業では、こんな話をしていました。 私は書籍の12章「物語が人を動かす理論 —— ストーリーからナラティブへ」で、こう書いています。

「「昔々あるところに…めでたしめでたし」のように、すでに過去のものとして完結した話です。主語は「私(または主人公)」。聞き手は、完成された映画を見る「観客」です。」

── 書籍12章 物語が人を動かす理論 —— ストーリーからナラティブへ より(ストーリーの定義)

そして、もう一方の「ナラティブ」を、こう書いています。

「「今、私たちはこういう課題に向き合っているけれど、まだ道半ばである」という、未来に向かって開かれた、現在進行形の話です。主語は「私たち」。聞き手は、ただの観客ではなく、これから結末を一緒に変えていく「参加者(当事者)」になります。」

── 書籍12章 物語が人を動かす理論 —— ストーリーからナラティブへ より(ナラティブの定義)

私がここまで書いてきたものは、ストーリーでした。 過去のBさんを、過去形で、きれいに紡いだ完結した話。

でも、Bさんが書こうとしているのは、ナラティブです。 今、まだ道半ばの自分が、これから何を選ぶのかを、現在進行形で書いていく話。

主語は、「私」から、「私たち」に変わる。 読者は、観客から、これからの結末を一緒に変える参加者になる。

それは、Bさんが「書かれる側」から「書く側」へ、 主語を取り戻すということでした。

「自分らしさを、話せますか?」

なぜ、Bさんは書こうと思ったのか。

少し前、就活の終わりに、Bさんはこんな問いに出会っていたそうです。 私は書籍14章「会社でも個人でも、まったく一緒 —— 「自分らしさ」からはじまる」で、こう問いました。

「自分らしさを、話せますか? もし答えに詰まったなら、それは、デザインを始める合図かもしれません。」

── 書籍14章 会社でも個人でも、まったく一緒 —— 「自分らしさ」からはじまる より

Bさんは、最初、詰まりました。

「『自分らしさ』って言われても、立派なやつ、ぜんぜん持ってないんですよ」

でも、ここまでの自分の歩みを振り返ったとき、ふと気づいたそうです。

「沈黙していた3年生の春」も、「氷山モデルに出会って感情を書いた日」も、 「グループで黙っている人に声をかけた瞬間」も、「就活で問いを Doing から Being に変えた話」も、 ぜんぶ、誰か立派な人の物語じゃない。

全部、自分の話だ。

「私の"らしさ"って、立派なものじゃなくて、こういう小さな積み重ねの中にあるんだなって。 ……だったら、自分で書いてみるしかないかなと」

立派な「やりたいこと」を見つけてから書くのではなく、 まだ未完成の自分のままで、書きながら、らしさを言葉にしていく。

それは、本書14章で書いた「自分らしさからはじまる」を、 Bさん自身の手で、実装しはじめた瞬間でした。

「3つのカモ」は、消えていない

ここで、はっきりさせておきたいことがあります。

Bさんは、もう沈黙しない人になった、わけではありません。 第3話で出会った「3つのカモ」──否定されるカモ、バカにされるカモ、怒られるカモ──も、消えてはいません。

今でも、ふと、バカにされるカモが、肩の上にとまる日がある。 正解を探したくなる瞬間も、誰かを「やる気ないな」と片づけかける場面も、たぶん、これからもある。

「沈黙、別に治ってないんですよ。 ただ、付き合えるようになったというか。 出てきても、『はいはい、お前ね』って感じで、隣にいてもらえる、みたいな」

劇的な克服ではなく、地続きの共存。 これは、第8話で書いた「こないだまでの私だ」と、同じ姿勢の続きです。 カモたちは、追い払う相手ではなく、ずっと一緒に歩いていく相棒になった。

これも、ナラティブの大切なところです。 完結した「めでたしめでたし」ではなく、まだ道半ばのまま、ここから先も続いていく。 未完成のまま、それでも書いてしまっていい。

ペンを、渡す

最終回の今日、私はペンを置きます。 正確には、数年ぶりに再会したBさんに、ペンを渡します。

これまでの9話分は、私が外側から書いた「ストーリー」でした。 ここから先のBさんは、自分の手で、現在進行形の「ナラティブ」を書いていきます。

何を書くかは、決まっていません。 社会に出てからの、つまずきや迷い、小さな手応え。 誰かの飲み込んだ言葉を待った日のこと。 「自分らしさ」を、また書き換える日のこと。 ぜんぶ、これからのBさんが、Bさんの言葉で、Bさんの順番で書いていきます。

たぶん、立派には書けない。 途中で、また黙ってしまう日もある。 それでいい。未完成のまま、続けていい

Bさんは、こう言って、社会人になった自分のノートを開いたそうです。

「最初の一行、何書こうかな……。 ま、あの日のことから書こうかな」

そして、こう書き始めました。

「4月。新学期が始まったばかりの教室には、まだ少しよそよそしい空気が漂っていた。 私は、その中にいた。"3〜4人でグループを作って" と言われて、机が動く音と、視線が交差する音の中で、口が動かなかった。 大人数のグループワーク、苦手だったんです。何を言えばいいか、わからなくて。頭では言おうと思ってるんですけど、口が動かないんですよね──」

それは、この連載の第1話で、私が外から描いた「4月の教室」と、まったく同じ場面でした。

ただし、主語だけが違いました。

私が書いた第1話の主語は「Bさん」でした。 Bさんが書き直した最初の一行の主語は、「私」でした。

観察された「Bさん」が、語る「私」になる瞬間。

私が外から書いた「沈黙のBさんの物語(Story)」を、 Bさんは今度、自分の主語で、最初から書き直そうとしている。

過去の「Story」が、現在進行形の「Narrative」に変わる瞬間でした。

この章の問い(そして、連載の問い)

あなたは今、自分の物語を、誰かに語られる側ですか? それとも、自分で書く側ですか?

書き出しは、立派でなくていい。 完成形を持っていなくていい。 ただ、**「これは、自分の物語だ」**と、ペンを握ること。

その一歩から、ナラティブは始まります。

そして本書14章で、私は、こう問いかけています。

「自分らしさを、話せますか? もし答えに詰まったなら、それは、デザインを始める合図かもしれません。」

── 書籍14章 会社でも個人でも、まったく一緒 —— 「自分らしさ」からはじまる より

詰まっても、いいんです。 詰まったところから、書き始めればいい。

連載を閉じるにあたって

10話、おつきあいくださり、ありがとうございました。

Bさんは、合成のキャラクターです。 でも、Bさんの一言ひとことは、私がこれまでに出会った、たくさんの実在する教え子たちの言葉から、丁寧に組み上げました。 だから、Bさんは「いない誰か」であり、同時に、「みんなの中の、ひとりの誰か」でもあります。

この10話を読んでくれた中に、もし、 「あ、これ、私の話だな」 「自分の沈黙にも、こういう"こないだまで"があったな」 と感じてくれた人がいたなら、それがいちばん嬉しいです。

ここから先は、あなたのナラティブの番です。

書き始めるのに、立派な理由はいりません。 詰まったその場所が、たぶん、いちばんいい始まり方です。

問いからはじまる、あなたの物語が、 今日、はじまりますように。

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