【小説】霖雨の果てへ ①
誰も私のことを知らない。
何を考え、何を思い、今何をしているのか。
あなたは、隣にいる人のことをどこまで理解していますか。
Ⅰ As if breathing weakly in the dark.
某年六月。
どんよりした曇り空。
風が入ってくることを期待して窓を開けたが、外に突き出した手に湿った重い空気を感じてがっかりした。
今日もいつもと同じ一日が始まる。
朝起きて、まずやることは母に血圧を上げる薬を飲ませること。
血圧が低いと、その後にやらなければならない、口を濯いで顔を洗ったり、朝食を食べたり、トイレに入ったりという日課ができないからだ。だが実際この薬を飲んだとしても、血圧がまともに上がらない場合がよくあり、立ち上がった瞬間に倒れでもしたら危ないということで、そのまま血圧が上がるまで血圧計で測りながらじっと待ち続ける時もよくある。
母の血圧は気まぐれで、上がらない時はしょうがないものだと思いながらも、そのことに私の生活が左右され、やるべき家事がその分遅れたりすることに私はよくイライラしていた。
「はい、口開けて」
薬と水を持っていき、飲ませる。母はもうそれが当たり前かのようにひどくむせ込んだ。母の顔を見ると、くすんだ黒い真珠のような瞳が小刻みに揺れていた。
普段の流れでは、その後母はまたしばらくベッドに横になって血圧の様子を見てから、車椅子に乗って顔を洗いに行く。母が自力でスムーズに移動できればよいが、立ち上がることさえ困難になった今となっては、私が母の体を支え介助している。そして、母の歯を磨き、顔を洗い終わった後に洗面所の椅子から再び車椅子に乗り移らせ朝食を食べさせる。朝食は短い時間で準備したココアと食パンで、母は噛む力と飲み込む力がとんと弱くなっていたため、パンをココアに突っ込んでひたひたに柔らかくしてから食べさせていた。
移動式テーブルに朝食と水、食後の薬を並べた後、私は一足先に自分の食パンを口に放り込んだ。
私はそれを食べ終わると、母の血圧が上がるまでただじっと待っているのではなく、掃除や洗濯を先に始める。
母に朝食を食べさせベッドに戻すという一連の作業はだいぶ時間がかかる。介護生活が始まった頃は一時間だったのが、一時間半に延び、今となっては二時間以上かかっていた。それが昼食、夕食も同様にかかる。だがこれをやらないと次に進めないし終われない。
母の行動は一つひとつがとてもゆっくりで、私の生活のスピードと大きく違っていた。
「まだ顔洗いに行かないの?」
私は未だベッドに横たわり、テレビを見ている母に声を掛ける。母は血圧がまだ上がらないのだと私に伝えようとしていたが何を言っているのか正確には分からない。
ヴー……。
母の手首に付いている血圧計の機械音が鳴っている。
一日に何回この音が耳に入ってくるのだろうか。母は近頃とても神経質になっていて、しょっちゅうこの血圧計で血圧を測っては数値を確認している。一日のうち何度も何度も。何の意味があるのか数分おきに測っている時もある。逆に血圧を変に気にしすぎて、なかなか行動に移せない母に私は頭を抱えていた。
「早くやってくれないと、こっちのやること進まないんだけど」
掃除も洗濯も早く終わらせたい私にとって、母の血圧に私の時間を握られているようで癪に障った。
私は毎日、掃除を欠かさない。前までは、掃除なんてやっても週に一、二回程度であったが、今はほぼ毎日のように訪問看護師やリハビリ療法士が家に来るため、人の目を気にして少しでも家を清潔にしなければという観念に囚われてしまうのだ。洗濯も普通に生活している分、やらなくてはならない。
訪問看護は大体午後一時からの一時間程度で終わる。私はその後母に遅めの昼食を準備して食べさせ、夕方頃に一時間程度休んでから家族の夕食を作り始める。そうして、夕食を作り、食べて、片付け、母の寝る準備をする。
大体いつもこの流れで、曜日によっては食料品や生活必需品の買い出しに行ったり、トイレとか風呂とか他の掃除をしたりして、一日はあっという間に過ぎ去ってしまう。
朝がきて、昼がきて、夜がきて。毎日毎日、同じことの繰り返し。
家事をしているふとした瞬間に、この生活に吐き気がするほど絶望した。
何をやっているんだろう。この人生は何なんだろう、と。
私は、昨年の春に大学を卒業し、最近二十四歳になった。大学では経済学部に所属していた。友達は決して多くもないし、特にこれと言った出来事もなく平平凡凡な学生生活を送っていた。だが、その中でも他人と違うところを挙げるとすれば、父、母、私が暮らしているこの家で家事と母の介護を受け持っていたことだ。
私の母は病気であった。
脳に異常をきたすことで体に神経障害が起き、運動能力が徐々に失われる進行性の難病、多系統萎縮症である。国の指定難病にも認定されている。
母に病気が発覚したのは、私が高校生の頃だった。
それまでは、いたって普通の生活を送っていた。私は高校に通い、父も母も仕事に行く。この頃も何の変哲もない毎日を送っていたが、高校生というものは実に不思議で、今思えば人生で一度しかない特別な身分というだけで少し心は浮き立っていたように思う。制服を着て外を歩くだけでその特別感を味わい、友達と一緒にいれば尚更楽しい。色んなことに興味があったし、将来何になりたいとか明確には決めていなかったが、漠然と海外留学に憧れてもいた。そんなどこにでもいる高校生。未来を夢みている高校生だった。
そんな中、突然母の病気が私の人生に降りかかった。
だが正直言って、母自身が体に何か異変を感じ始めていた時、私は特に何も考えていなかった。もともと母には、四十代後半あたりから更年期症状のようなものがあったためよく体調が悪くなることがあったが、私は母の体について特段気にしてはいなかった。それが、母が図書館やインターネットで症状を調べ他の病気を疑った後に検査したところ、病名が明らかになったのだ。
母の病気を知った時、私はどう思ったのか。
今となってはもう思い出せない。
ただ、今まで普通に生きてきて、例えば自分や家族が何か大きい病気を患うだとか、波乱な人生を送るだとか、そういう類のものは世の中に存在しているのだとしても、テレビでそれを見るくらいで自分の人生には全く関係ないと無意識に決めつけていた。だから、母が病気と知っても、どこか現実じゃない気がしていたのかもしれない。
あの頃は、多分甘かったんだと思う。ただの子どもだ。自分の人生にこんなにも影響があるなんて少しも考えていなかった。
母の病気は着々と進行していく。
まともに字が書けなくなっていき、口が上手く回らなくなり、歩くことが困難になっていく。母は、今まで当たり前にできていたことができなくなっていった。
仕事もしばらくは続けていたが通勤や職務に支障をきたし、やはりもうこれ以上はというところで辞め、いつの間にか家にずっといることが母の日常になった。
母の病気が進むと当然のように、私が代わりに家事をこなし始める。
子どもの頃から家事を手伝ってきた方で慣れてはいたが、昔は何か手伝いを頼まれる度に「えー、めんどくさい」とか何とか言ってはよく反抗していたものだ。
だがもう、文句を言っている場合ではなくなった。
私が高校を卒業し、大学に進学してからも母の病気は進む。
大学三年の頃には、母は家の中だけでも歩行が困難になり、どこかにつかまっていないと進めなくなっていた。
そして、大学四年に進級する直前の春。その日は突として来た。
母が転倒し、大腿骨を骨折したのだ。
骨折はこの難病にとって致命的であり、病気の進行を早めることを暗に示していた。骨折すると手術してそのまま入院することになったが、その間まともに体を動かすことができなくなる。それが、運動機能を一段と低下させることに繋がった。
三カ月の入院を経て家に帰っては来られたが、全体的に体力が落ち、無論一人で歩くこともできずに車椅子生活を余儀なくされた。
そこからは、私の多忙な大学生活の日々に、ほぼ全ての家事と母の介護が加わり、怒涛の生活が始まった。
本当に時間が経つのは早い。
今のこの生活が本当は夢なんじゃないかと思ってしまう。
大学を卒業してから一年が過ぎ、季節はもう梅雨に入った。
窓の外を見ると雨が降り始めている。
私は家事が一段落すると椅子に座り、家の中に干した洗濯物をぼーっと眺めながら大学四年時のことを思い返していた。昨年の春まで学生だったのが遠い昔のように感じられた。
♦
約二年前。
大学四年といえば大体卒業に必要な単位は取り終わっており、授業を履修することはなく就職活動や卒業論文がメインとなる。面接の解禁を待たずして春の早いうちに就職先が決まり、その後は悠悠と過ごす学生もいたが、私の場合そうはいかなかった。
私は昔から上昇志向があった。
子どもの頃から成績は良い方で、周りからは「すごいね」と言われても自分ではそれが当たり前だと思っていたし、母も教育熱心で厳しい人だった。また成績だけでなく、体面的にもいい子ぶっていたため大人からの評価も高く、友達には優しく接し、今思えば暗に自分の存在価値を常に高めていたかったのかもしれない。だから、就職に関しても当たり前のように自分の希望する職種に就き、キャリアを重ねていくことを望んでいた。
だが、真面目に早い段階から就職活動に備えて対策をしてきたにもかかわらず、なかなか芳しい結果が出ない。採用試験を受け、選考が進み、最終面接に辿り着いた企業はいくつかあった。だが、何がいけなかったのか全て駄目だったのだ。大学の就職支援課にもよく相談に行っていたが、相談員にもその理由は分からないらしい。
私はもの凄く焦っていた。
大学を出たら就職するという、世間における人生の決定事項のようなものに対して、私自身これっぽっちも疑う余地なく生きてきた。その上、入社後のキャリアに対しても上昇志向があったのだ。だが、この状況は自分の理想と違う。
社会の一般的な枠から外れてしまうと「人生終了」みたいな漠然とした恐怖感があった。世に出て働く行為そのものが、生きる為にお金を稼ぐこと以外に、自分の「生」を肯定してくれる意味があるのだとどこかで考えていた。そのせいもあって必死に就職活動をしてきた。
一方で、そのように必死だった私だが、就職活動自体がやはり好きにはなれない。
本当は、毎回極度に気を張りつめたり、無理に笑顔を作ることに辟易していた。みんな同じ格好、みんな同じような態度で活動に臨む。その上、企業に気に入られようと仮面を被っている。会社という組織に入り込むためとはいえ、クローン人間がたくさんいるようで気持ち悪さまで感じてしまう始末。そしてそれが当たり前な世界かのような日本社会……。
私は、自分でも気付かないうちに溜まった膨大なストレスから体に異常をきたし、ある日、会社説明会に行こうとした最寄り駅で気を失ったのだ。この時まで精神的に追い詰められていたという事実に自分でも気付かず、それはそれで結構ショックだった。
今になっても落ちた理由は闇の中だが、唯一自分で考え抜いて絞り出したのが、採用面接で「転勤は大丈夫ですか?」と尋ねられた時、「ダイジョブです」と言いながらも、心のどこかで思っていた「母親の介護があるから転勤は無理だろう」という本音が顔に出ていたのかもしれない、という惨めな答えだった。
そう。
私は就職活動を進めている中で、就職した後、母の介護をどうするのかを考えざるを得なかったのだ。新卒で就職して、くたくたになりながらも家のことをやる。残業だってあるだろう。いつも定時で帰れるはずがない。そうしたら、母に夕食を作って食べさせることもまともにできなくなる。
ここで一緒に住んでいる父に関して言えば、父もなかなかハードな生活を送っていた。朝方六時あたりに仕事に行き、帰ってくるのは夜八時頃。休日は土日のどちらか一日だけで、両日休めることは滅多にない。年齢の割によく体が持ちこたえているなとは思うが、そんな父に家事を手伝ってもらえる希望は薄かった。
父は、私が普通に就職したとしても、何とかなるだろうと軽く考えている節があり、「お前が働いていても、家事くらいできるだろ」と言われた時には、内心きれた。
よくよく考えても無理があるのに、真剣に考えもしないで身勝手なこと言う父に怒りが沸き起こる。私がやるのは一人暮らしの家事ではないのだ。まして母の介護が父の頭の中にあるのかも疑わしい。
それとも本当に新社会人として働きながら、家事と介護がこなせるのか。
いくら考えを突き詰めても、やはり無理なんじゃないかと思えてくる。
私は大学の就職支援課に再び相談しに行った。
ところが、今まで相談してきた担当の人が唐突に就職支援課を辞してしまったとかで、たまたま他の空いている相談員と渋々話すことになってしまった。
よくいるような小太りした少し化粧が濃い女性。
こちらの事情を説明しても、何だか話が合わない。
相談する中で私は、非正規雇用の仕事について持ち出したが、その相談員は「え、非正規?」という感じで変な目を向けられた。その相談員自身、非正規雇用に対する偏見があったのか知らないが、非正規雇用の職についてどこか馬鹿にするような口ぶりで説明してきた。大卒で非正規はありえないという感じなのだ。
大学の就職支援課というところは、学生をどこかしらの就職先に導き大学の就職率を上げるということを念頭に置いているため、究極、学生自身の気持ちや何がその人の人生にとって本当に重要なのかを考えない。少なくとも私の大学はそうだった。
私はその相談員とこのまま話していても嫌悪感が込み上げるだけであったため、それきり就職支援課とは縁を切ることにした。
もともと大学の就職支援課に期待はしていなかった。
私は心の拠り所が欲しくて足しげく通っていた方であったが周りの友達はみんな、就職支援課を利用していない人ばかりであったし、その中には大企業に内定をもらっている子もいた。そのため就職支援課に頼ったからといって、就職活動が上手くいくとは限らないのだ。もちろん中には上手くいく人もいるだろうし、相談員は他にも何人かいる。相談員を変えることもできたが、それでも私はもうその人の顔を二度と見たくなかった。
その頃、既に大学四年の秋に差し掛かっていた。
そろそろ卒業論文に本格的に取り掛からなければいけないという時期。
友達はほとんど、就職先が決まっている。
なんとか手を尽くそうと、私が住む地域にある新卒専用のキャリアセンターに相談しに行った。
聞けば、私のように親の介護をしている学生が相談しに来たこと自体が初めてであったらしい。ありがたいことにそこで担当になった、いかにも経験を積んできたような中年の男性相談員はとても親身に話を聞いてくれた。
だがここでも現実は厳しかった。
「親の介護をしながら新卒で働けるものでしょうか?」
「んー、そうですねぇ。新卒でねぇ……。こういったケースは初めてなので、正確なことは言えないですけど。企業の介護支援制度が新入社員に、ましてや入社後すぐに適応されるとはちょっと考えにくいですね」
「……やっぱり、そうですよね。採用面接の場でも、『親の介護をしています』なんて言ったら落とされますよね」
「まあ……、その可能性がないとは言えませんねぇ。業界によっても色々あるかもしれませんが。ただ、嘘を言っても後で無理がたたってお互い不利益になるのは避けた方がいいと思います。一度、企業側に直接確認してみるのも手ですが」
「……」
私は黙って頷いていた。
介護と言えば、親がもっと高齢になってからで、介護する側は四十代とか五十代をイメージするだろう。だとすると、若者が、ましてや社会人になる前の人間が親の介護を受け持っている場合、どうするのか。ずっとそれが心に引っかかっていた。
私はこれを聞いてしまうことに意味はあるのか、一瞬はばかりがあったが、
「先ほど、私みたいな事情を抱えている学生が、相談しに来る事例が無いと仰っていましたよね?となると、もはやそのような学生は正規職員で働くことを諦めるというか、考えてないのでしょうかね」
「介護のやり方によって色々なケースがあると思うので一概には言えません……。けど、正規というよりはアルバイトとかかもしれませんね」
言いにくそうにその相談員は言うと、私たちは二人して顔をしかめた。
私は、周りにいる知り合いで、同じ境遇にある人を知らないし、聞いたこともない。だから、若くして介護する人の実情を知る由もないし、想像するしかなかったが、その現実は重かった。
これから母の病気はもっと進行していくだろう。
だが、母をどこかの施設に入れるという選択肢は考えていなかった。
母が骨折で入院していた三か月間。
慣れない入院生活や同じ空間に他人が常にいるという環境。対応する看護師も人それぞれで、良し悪しがある。その中でも驚いたのは、患者に面と向かって悪口を言う介護系の職員だった。信じられないことだが、母は毎日のようにその人から体が不自由なことに対する悪口を言われていた。そして、それに対し上手く発語できない母はまともに言い返すこともかなわなかったのだ。それを私が見舞いに行った際に気付き(家族である私なら母と意思疎通ができる)その入院している病院に苦情をいれたことがあった。後にその職員は自分から職を辞したらしい。
自由に過ごせない母にとっては入院ですら精神的苦痛が大きい。
私が見舞いに行く度、涙が零れる母を見るのは心苦しかった。それに母はまだ若い。五十代で施設入所は早すぎる。頭がちゃんと働き、意識がはっきりしている点においては普通の人と変わらないのだから尚更だった。
しかし、これらの理由を除いたとしてもまだ問題はある。
そもそも施設自体も基本的に部屋の空き待ち。需要が大きすぎることに対し、供給が全く追いついていない。
そして、決定的なのがうちに施設入所させるお金がない。
単純明快だ。
介護保険が多少適用されるにしろ漏れた分のお金をうちに払える余力はなかった。
この日本は先進国と言われる反面、もう既に起こっている超高齢社会に対応できるシステムが十分に構築されていない。
ずっと昔から懸念されてきた問題が表面化してもなおだ。
このままさらに高齢者やしょうがい者といった要介護者が増えるに伴い、必要な介護従事者も格段に増やさなければならないだろう。それに社会が追いつけない状況が続くとこの国の未来は決して良いとは言えない。
そういった色々な要因ありきの在宅介護への決断だった。
母の病があって介護がある限り、私が正規職員としてフルタイムで働き続けるのは、遅かれ早かれ自分自身を苦しめることになると分かっていた。
その後、キャリアセンターの相談員とは非正規雇用やアルバイトの方面で、家になるべく近い職場を探してもらったが、どの職場を見ても自分を妥協させることができなかった。こんなことを言える立場ではないが、やっぱりその仕事に興味がないと働く気が全く起こらないのだ。
「話を聞いて頂いて、ありがとうございました。もう少し考えてみます」
私はそう言って、キャリアセンターを後にした。
キャリアセンターはオフィス街にあって周辺は多くのビルがそびえ立っている。建物を出て歩いていると、それらのオフィスで働いているであろう多くのスーツ姿の大人たちとすれ違う。この時私にはその人たちが別世界の人間のように見え、自分が世界から切り離されたような、何とも言い難い孤独と悲しみを感じていた。
「私はあんな風に働けないのか」
結局、私の就職活動はそこで一旦ピリオドを打ち、卒業論文に取り掛かることにした。
吹く風に寒さを感じ始めた十月下旬。
この日私は、所属しているゼミに出席するため大学に来ていた。
「ねぇ、巴美。就活どうなったの?」
大学で同じゼミの友達、和田実咲が聞いてくる。
実咲とは、大学一年の頃からよく一緒に行動している友達の一人で、二年の時には旅行にも行ったことがある仲だ。
「あー、一旦止めることにした。今は卒論に集中しようと思って」
「えっ?大丈夫なの?」
「んー……、多分、大丈夫だよ。ほら、第二新卒?とかあるじゃん」
「そうなんだ。まぁ、巴美が大丈夫って言うならいいんだけど。でもさ、なんだかんだ結構真面目だし、ちゃんと就活セミナーとか行ってたのにね。あれ、就職支援課にもよく行ってたよね?」
「うーん、今はもう行ってないけどね」
私は苦笑いしか出なかった。
「そういえば、あの『木村充』っているじゃん?あの人、大手の商社に決まってるらしいよ」
「え、ほんと?」
「木村充」という人は同じ学科の男子で、友達ではないがいくつか授業が被ったことがあり一言、二言だけ話したこともあった。けれど、あまり授業には出てこず出席数も課題提出もギリギリで、不真面目な印象が強かった。授業のグループワークにもまともに参加しない、と他の子から聞いたこともある。
その木村が大手企業に内定か……。
内定を出した商社とやらは、木村の何を見て判断し、採用したのか。
悔しい。真面目な人間が報われない。実に世知辛い世の中だ。
「巴美、今から佐江がこっち来るって。久しぶりに三人で学食行こうよ」
学食か。
一緒に食べられないけど、帰って夕飯作るにはまだ時間がある。
一瞬迷った後、「私は食べないけど、あと一時間ならいいよ」と言った。
「りょーかい。佐江に食堂で待ち合わせるよう言っとくね。巴美は今日も夕飯作るの?ほんと主婦してるよね」
「結婚してないけどね」
私は笑いながら言った。
このやり取り、何回目だろう。
仲の良い友達には、母の病気や介護のことは話していないものの、家事をやっていることは言ってある。「実家暮らしなのになんで」とよく聞かれるが、「両親が忙しいから代わりに」と言うと「えらいねぇ」とだけ言われて、あとは何も聞かれない。
食堂に着いてしばらくすると、牧野佐江がやってきた。
佐江も大学一年からの友達で、昼時によく三人で学食を食べていた。最近は、授業も無くゼミが違うせいで佐江に会う機会はとんと減り、久々の再会だ。
「おー、久しぶり~。元気にしてた?」
佐江は明るい子だ。
いつも思うけど「元気?」という常套句に私はなんて答えたらよいのか分からなくなる。本音は別に元気ではないからだ。
いつからだろう。
心から元気だと言えなくなったのは。
それでも決まったように「元気だよ」と笑いながら嘘をつく。
「二人とも、卒論どう?もー、こっちは大変よ」
「どうしたの?」
「うちの教授、基本的にゼミ生ほったらかしで!ある程度書いてから教授に見せに行くんだけど、そこでさんざんダメだしされてさぁ。それで何回も書き直しているのよ」
佐江が大きく溜息をつく。
「うわ、大変じゃん。ゼミによって結構、教授の対応が違うからね」
「私たちは毎週みんなで集まって、途中経過をそれぞれ報告するのよ。それに対して教授がアドバイスくれて。でも、毎週報告するのが大変だし、そんなに卒論が進んでいない時に、何を報告すればいいのかって感じよ」
実咲が言った。
「へ~。でもなんかその方が丁寧じゃない?私も実咲たちのゼミにすればよかった」
「もう遅いわね」
佐江の話を聞くとそれはそれで気の毒だと思う。
「だけど、あと二カ月の辛抱だよ。十二月にはもう提出だから。中旬だっけ?」
私は実咲に確認する。
「そうそう。なんか他の学部より早いって誰か言ってた。意外と時間ないかも」
「あぁ。ちゃんと終わるかなー。そう考えると焦るわ」
そう言いながら、私たちは溜息をついた。
「確かにね。……そっかぁ。あともう少しか。逆に、あと少しで卒論が終わると思えば、終わった瞬間から遊びまくるわ!」
そう言った佐江の表情がぱぁっと明るくなった。
「卒業旅行どこ行こうかなー。あっ、ねぇ一緒にどこか行かない?」
きた。この話題。
私は表情が固まる。
「いいねいいね!三人で行っちゃう?国内もいいけど、卒業旅行といえば海外だよね」
実咲もとても乗り気だ。
こんな二人を見ていると、私が水を差すようで心底苦しい。だけどここでは嘘をつけなかった。
「卒業旅行ねぇ……。私は行けるか分かんないや」
平静を装いながら私は言った。
「えー、なんで!卒業旅行だよ?学生生活最後だよ?卒論終わったら、全てから解放されるのに!」
「まぁ……、そうなんだけど。お金無くてさ。あ、あと、佐江にはまだ言ってなかったけど、私、就活終わってなくて。卒論終わったら、また再開するつもりなんだ」
そう言うと、佐江は驚いた顔をしたが、
「そうなの!就活終わってなかったのね……。でも、たまには息抜きとかした方がいいって。お金が無いならさぁ、なんだっけ。どこかの旅行会社が、代金を肩代わりしてくれて、卒業してから月々支払うみたいなキャンペーンやってたよ」
「へぇ、そうなんだ」
佐江が言っていることは私も知っていた。だが、そのキャンペーンは就職先が決まっていることが前提条件であることも知っていた。
「行けるか分からないから、もし計画立てるなら実咲と二人で行ってきなよ」
私はやんわりと、さりげなく断った。
「もー。三人で行くから楽しいんじゃん。いいから、考えといてね」
「んー、分かった」
私はその場凌ぎで適当に答える。
家の事情を友達に話していないからこういう時に困る。私はもう、母の介護と家事で旅行には行けない身になったのだ。最後の学生生活だろうが何だろうが、私には関係ない。
せいぜい、どこかに出かけるにしても日中の数時間だけ。場所も限定されてしまう。そんなことをぼやっと考える。
それからしばらく三人で他愛もない話をしていた。
「じゃあ、そろそろ私帰るね。久しぶりに三人で会えて良かった」
「あ、帰る?」
「うん。卒論、お互い頑張ろうね」
「はは、そうだね。気を付けて」
私は、二人に別れを告げてその場を後にし、ちょうど授業が終わった人たちで若干混み始めた食堂を縫って歩いて行った。
大学を出ると空はもう暗くなりかけている。
この時季になると日が沈むのが一気に早くなる。私の家は大学から電車で四駅の距離で、遠方から通う友達に比べると断然近い方だが、代わりに地元の最寄り駅から自宅まで歩く距離が長い。
町中には、帰りを急ぐ主婦、放課後を楽しむ高校生たち、駅前でバスを待っている人、色んな人がいる。私は、夕飯のおかずをどうしようか必死に頭を捻らせた挙句、結局何も浮かばず地元のスーパーに寄って安くなっている食材を買おうと思いながら、ふと、前を歩く親子をじっと見ていた。
その親子は母親と小学生くらいの女の子で、二人で笑いながら並んで歩いている。
何か楽しい話をしているのだろう。女の子が今日学校であったことを母親に話したりしているのかもしれない。その何でもない二人の姿から目が離せなかった。
そして、もうあの頃には戻れないのだと、今までも何度も認識してきたことをまた考えてしまい、私は足早にその二人を追い越した。
私は周りの人に、母の病気を話していない。
そればかりか、母自身も親戚やごく少数の知り合い以外に誰にも話していない。
母はもともとプライドが高く、強気な性格をしていた。
昔のことだ。
母が買ってきた野菜を切ってみるとそれが傷んでいて、母が店に直接文句を言いに行っていたことがあった。
私はまだ小さい子供で、母の傍にいながらも、母が店員に苦情を言いながら新しい野菜と交換してもらう光景を、子どもながらに恥ずかしく思っていたのをよく覚えている。今考えれば、傷んでいる野菜を売っていた店よりこっちに分があり、母にとっては当たり前のことをしていただけかもしれないが、私にはそれが何とも居た堪れない状況であった。
私なら、野菜が傷んでいてもわざわざ店に出向いて文句を言うことはない。そのまま諦める。それは私の性格が内向的だからかもしれないが。
反対にそれだけ強気な性格をしていた母は、自分が病気であることや、段々体が不自由になっていく自分を周りに知られたくなかったのだ。だから、私もあえて周りに話さないようにしていた。
かと言っても、私の友達に関しては、大学の友達は地元に住んでいるわけでもないし、母と知り合いでもないから話したとしても別に大きな影響はないだろう。
それでも、何となく話せないのだ。
話そうかと何度も思ったことはある。だが、その度に留まった。
母が難病で私が家事だけでなく介護もやっているのだ、となぜ言えないのか。
言えば、きっと驚くだろう。相手が反応に困るかもしれない。気を遣わせたくない思いが私には大きかった。
それに事情を知った当人は、あまり人のプライバシーを考えずに別の誰かににポロっと言ってしまう可能性もなくはない。人の口は案外軽い上に、それが広く伝わってしまうものだ。
世の中には色んな事情を抱えた人がありふれている。もちろん、親の介護など珍しくはないだろう。しかし、私のような若い世代で介護をしているのは、少なくとも私はあまり聞かなかった。その当時、メディアでも見聞きしたことがなかった。
私の周りにいないだけだろうか。
それとも、そのようなことは、わざわざ公言することではないから、みんな特に何も言わず黙々と生きているだけだろうか。
誰かに言ってしまったら好奇な目で見られるかもしれない。
変に同情されるのも私の本意ではない。
そういったことを悶々と考え、最終的に全てが面倒臭くなり私は嘘を通すことを選ぶ。結局、世間体を気にしていたのだ。
しかし、自分ではずっと前から分かっていた。
誰かに私を理解して欲しい。そう切実に願っている自分がいることに。
その年の冬。十二月上旬。
銀杏の葉が太陽の光に当たりながら、ひらりと舞い落ちる。その光景が少し幻想的で、下を見ると黄色の絨毯を歩いているようだった。まだ凍えるような寒さはなく、穏やかな陽気だ。
対照的に卒業論文は山場を迎え、みんなに余裕がない。
この日も、私はゼミに出席するため大学に来ていた。
教室に入ると、羽部まり子という同じゼミの女子が座っているのが見えた。まり子は今時の大学生っぽくお洒落に気を遣っている子ではあったが、感情表現がはっきりしていて喜怒哀楽が激しい印象がある子だ。ノートパソコン開いてタイピングしていた。
「おはよう」
とうに朝という時間帯は過ぎていたが、私はそう声をかけた。
「……」
返事がない。多分聞こえていたはずだ。
まり子とは特別仲が良いわけではないがゼミが同じという間柄、今までも他愛もない話をしてきた。
私は少し彼女の様子が気になったが、言葉を続けた。
「まり子、卒論進んでる?私はちょっと行き詰まっててさ。この時期なのにやばいよね」
と、場を和ませようと笑いながら言ったが、
「……そう」
まり子はただ一言そう言って、こちらを見向きもせずパソコンに向かい続けている。雰囲気が悪くなった。いつもの態度と明らかに違う。この時の彼女の周りには暗雲みたいなものが漂っているように感じられた。
よくよく考えてみると、彼女はもともと気分がコロコロ変わる気質で、十二月に入ってからは論文の提出が近くなってきていることもあり、どんどん様子が暗くなっているように私からも見て分かっていた。
私はこれ以上話しかけても気まずいと思って少し離れた席に着いた時、ちょうど実咲や他のゼミ生が教室に入ってきたので、内心ほっとした。
ゼミが終わった後、実咲と二人になった時に私はさっきの出来事を話した。
「あ~、まり子ね。これは私も思ってたことだけど、あの子、もとから自分の状況や環境に振り回される感じはあったのよ。大学三年の頃は、まり子が付き合っている彼氏と何かある度に一喜一憂してたのを見たことがあったなぁ。大体いつもは普通に接してくるんだけど、あからさまに機嫌が悪そうな時があって。後から聞いた話だと、ちょうど彼氏と上手くいってなかったんだって」
と、実咲が言った。
「そっか。実咲は三年の時、まり子と同じ授業受けてたんだっけ。確かに、まり子ってそんな感じだと思ったことはあるけど……。でも普通、人の挨拶を無視する?私が何か悪い事をしたわけでもないのに。今度は卒論が原因ってこと?」
「はは、まあ無視はしないわよね。卒論のせいもあると思うよ。でも、この忙しい時期にも彼氏と遊びに行ってるような話を前に聞いたけど。何だかんだで、彼氏が一番なんじゃない?」
私は言葉が出なかった。
今、卒業論文が大変だというのは、誰しもが同じだ。
それが原因で、暗くなる気持ちも分かる。実際、私自身も焦っているし、ストレスを感じていない訳がない。
だけどこのことと、自分の感情をコントロールできずに他人に不快感を与えるのは違うじゃないかと思う。例え本人に嫌なことがあったとしても、大学という社会的な場での人とのコミュニケーションの中で、あからさまに態度に出すのはおかしい。
まり子にとって私の存在は重要ではないにしろ、仮にも同じゼミで二年間やってきたんだから。こんなことでは、社会人になってから人間関係に苦労するんじゃないか。
私の場合、家族に当たることはしばしばあったとしても、赤の他人に当たることはしない。
私だって、色々大変なのに。
いや、私の方がもっと大変じゃないか。
自分勝手な人間。不快感を与える人間。
まり子に対して嫌気が差した。
そもそも、私とまり子では悩みのレベルが違う。
この時の私は、否応なく勝手に自分の中で他人の悩みとの優劣を付け、そう思わざるを得なかった。
ちょっとした出来事ではあったが、私の中で苛立ちや悲しみのような苦い思いが胸を充満していった。
その二週間後、私たちはなんとか論文を提出し終え、無事に卒業が確定した。
そしてあれからあっという間に年が明け、やがて三月になった。
もうすぐ卒業式が控えている。
私は、卒業論文を終えて落ち着いてから、また就職活動を再開する予定であったが、自分の中で既に結果は秋に出ていたようなものだった。
もう就職活動をしても意味が無いのだと、心のどこかで思っていたのだ。そのような心持ちでいたため、当然のように精を出すことはできない。
そんな私を見て佐江が、「就職する気はあるんだよね?」と聞いてきた時には、初めて佐江に対する戸惑いとちょっとした嫌悪感が生まれたものだ。
私も自分の事情を話していないから佐江がそのように言うのも無理はない。
けれど事情を知らないとは言え、共に大学生活を過ごしてきた友達にその心無い一言を言われたのがショックだった。佐江にちゃんと話していたらこんな思いもしなかったのだろうか。
私は自分の家庭事情に関して、色んな思いが自分の中で黒く渦巻いていた。
もういっそ誰かに言ってしまおうか。
言うこと自体は悪いことじゃない。それに、自分の置かれている状況は変わるわけではないけど、言葉で話すことで多少なりとも自分の心情に変化をもたらすかもしれない。私は前々からそれを誰かに言った時、実際にどのような状況が生まれるのか、相手はどういう反応をするのかが気にはなっていた。果たして私が想像した通りになるのか。
そうして悶々と考え抜いた結果、卒業後、私は佐江ではなく実咲に話すことを決めた。
卒業式を迎えて五日後、さりげなく実咲をお茶に誘った。
もう四月も間近。
咲き誇っている桜は、人人の視線を上へと誘う。そう桜には魅惑的な強い力があると思わされてしまう。古来より桜を愛でてきた日本人の魂は現代にまで受け継がれて、昔から桜を見ると心が無性に掻き乱されるのだ。
だがこの日、私の心を掻き乱していたのは桜ではなく、どのように実咲に話を切り出そうかということだった。
実咲と会ってしばらく街中を散策した後、お茶をしようということになり、手頃な店に入った。
「やっぱり、桜の時季だからよね。いつもより通りが人で混んでいる気がする」
窓の外を見ながら実咲が言った。
「確かに。まあ桜が見たくなる気持ちも分かるよ。みんな好きだからね。一年の中でこの時季だけだし。そういえば、実咲は佐江と卒業旅行に行ったの?」
「行かなかったよ。結局、佐江は同じサークルの子たちとイタリアに行ったみたい。私は私で、高校の時に仲良かった友達と沖縄に行ったの」
「へぇ、沖縄!いいなぁ。あったかいし、海きれいだし」
「ほんと巴美は好きだよね。暖かくて海がきれいなところ。いつも行きたいって言ってる」
「はは、寒い季節が苦手っていうのもあるけど。なんか楽園って感じがするじゃん。暖かい気候の方が心穏やかに生きていけそう」
「それは分かるわ」
それからまた他愛もない話をしながら過ごした。
卒業論文を終えた後のまり子の変わり様や、どの教授が結婚しているかしていないか、実咲が飼っている犬の話に至るまで。
「んー、それにしても大学四年間、あっという間だったね。もう一年の頃とかあまり記憶がないけど。あー、戻りたい」
実咲がそう言った。
「私も。こうやってどんどん時間が過ぎて、年を取っていくんだろうね」
「そうねぇ……。ねぇ、巴美。結局就職はどうするの?」
話すなら今だろう。
私はそう思った。そして窓の外を見やりながら視線を動かさずに口を開いた。
「そのことなんだけど。……急な話をするとね、うちのお母さんが病気でさ。前からずっと、私が面倒を見てるの。だから正直、普通に就職するというか正規雇用に就くのは、今は難しそうなんだ……」
遂に言った。
あえて「介護」という言葉を避けた。
なんとなく、やっぱりそれだけは言えなかった。
私は視線を窓の外からずらし、前を恐る恐る見る。
目の前の実咲が固まっているように見えた。ほんの一瞬の沈黙が訪れる。どうやら、驚いているのかもしれない。だがすぐに、目を丸く見開いた実咲が沈黙を打ち破った。
「えっ……。嘘でしょ?お母さん病気なの?」
「うん。難病でね。だから家のこととか、お母さんのこととかやりながら生活してる」
「難病?……そうなんだ。知らなかった」
「まあ、言ってなかったからね」
そう私は苦笑した。やっぱり実咲が困っているかのように見える。
「そうなのね。巴美も大変だね。いきなりでびっくりしたけど……。大丈夫なの?」
「んー、まあ多分ね。就職の方は考え中だけど。大丈夫、そんな心配しないで。あ、あと、念のため他の人にはこのこと言わないでおいて」
「分かった。佐江には言ってあるの?」
「言ってない。言う機会も無いし」
私は手元にあったドリンクに視線を移したが、実際は内心凄くドキドキしていた。私にとってこの話題は気楽に話せることではないし、やはり緊張していたのだ。だが意外にも、実咲はこのことについて特に深く触れずにすぐ別の話題に移った。
その呆気なさが、私に少しだけ違和感を与えた。
「実咲、私そろそろ帰ろうかな」
私は腕時計を見る。
「そっか、もうこんな時間。じゃあ、私も行くよ」
そうして二人で店を出た後、駅で「何かあったらまた連絡してね」と実咲が言った。
「うん、実咲も。四月から仕事、頑張ってね」
と言って、お互い笑顔で別れた。
実咲は……。
実咲はどう思ったんだろう。私の言葉に驚いて、やっぱり少し反応に困っていた。
これは誰だってそうだろう。
それに、話した後に深く触れなかったのは、実咲なりの気遣いかもしれない。
「はぁ……」
正直、これで良かったのか自分でも分からない。
けれど、実際話してみて分かったことがあった。
それは、話した自分自身が辛いということだった。話せば心が軽くなるという実感もない。
何より、話していた時の自分の顔。
相手にどんな風に見えていただろう。自分では何とも言えない、顔が歪むような感覚が確かにあった。
とにかく疲れた。数か月分の神経を使い果たしたようだった。
私は重い足取りで電車に乗り込む。
桜は静かに舞い散ってゆく。
以前は、実咲に話したことで自分の中だけでも何かが変わるかもしれないと思っていた。
しかし、そんな考えが完全に消えて無くなったのは大学を卒業した年の五月中旬頃。
私は佐江から、実咲が仕事で遠い地方に配属されたと知らされた。
地方に配属ならもう滅多に会うことは無いだろう。
しかも、それを本人からではなく、人づてに知るという何とも言えない虚しさが身に染みた。
実咲の配属には驚いたが、それ以上に直接知らせてこなかったことが一番ショックだった。最後に会った日から連絡を取り合っていなかったのは事実だが、それは新社会人としての仕事が始まって、きっと忙しいだろうと実咲に気を遣っていたからだ。
この時、私は思った。
実咲に自分のことを話した時の、私が感じた違和感。
実咲に打ち明けなければ良かった。
実咲とは仲が良かった。
きっとこの先も何か連絡を取り合う機会があったとして、その時の私は普通に返事をするのだろう。
でも何かが違う。
実咲は、私の話を聞いて何か思うところはあったかもしれない。けれどあの時、私の話を受け流した感触がどうしても否めなかった。
その上、地方に配属されたとなれば、もう物理的に私の身近な人ではなくなる。そのような人にこんな話をしても、どうしようもないじゃないか。
結果論ではあるが無駄であったということだ。
考えてもしょうがないが、実のところ実咲にとって私はその程度の存在だったということかもしれない。大学時代に限定された友達。卒業したら縁が切れる間柄。
あれだけいつも一緒にいたのに、佐江が知っていた配属の話など少しも聞いてなかったのだから。
あの春の日、大層な神経を使ったにもかかわらず、すべて無に帰してしまったかのようで私は落胆した。上手く例えようがないが、意を決して告白したのに、相手に告白という事実自体忘れ去られてしまったかのような……。
別に実咲を攻めるつもりはない。
だがよく考えてみると、私の事情を話したからといって、生まれるものは何も無いのだと改めて思い知った。
始めから他人に理解してもらいたいという期待を持たなければ良かった。
そこにはただ、喪失感が残っただけで、私はもう何が何だか分からなくなってしまった。
つづき
霖雨の果てへ②https://note.com/safe_agepan289/n/n5fc7266dff9c
霖雨の果てへ③https://note.com/safe_agepan289/n/n69c51c1f0288
霖雨の果てへ④https://note.com/safe_agepan289/n/nee72213288e1
霖雨の果てへ⑤https://note.com/safe_agepan289/n/n7e02718292ab
霖雨の果てへ⑥https://note.com/safe_agepan289/n/ne2ef72f60e7d
霖雨の果てへ⑦https://note.com/safe_agepan289/n/n7a94ecbc7013
霖雨の果てへ⑧https://note.com/safe_agepan289/n/n663e7129fad5
霖雨の果てへ⑨https://note.com/safe_agepan289/n/n7261c7c8df4b
