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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・第十二章 続々・異端審問:密室裁判

【創作大賞2026参加中】期間限定で全体公開にします。

アナトール・フランス著『ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc)』完訳プロジェクト。原著は1908年発行。

1920年:ジャンヌ・ダルク列聖
1921年:A・フランス、ノーベル文学賞受賞
1922年:ローマ教皇庁の禁書目録に登録

現在、禁書制度は廃止されてますが、教皇庁は「カトリック教義を脅かす恐れがある禁書だった本を推奨することはできない」という立場を表明しています。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

⚠️下記プラットフォームで公開中。
- note:各章をマガジンにまとめて投稿。一部有料。
- カクヨム:各話を分割して投稿。少しずつ読みたい人向け。
- pixivFANBOX:原文付き対訳バージョン。支援者限定。


⚠️字数が多い(26,000字)ため、訳者の裁量で小見出しをつけています。

12.1 密室裁判:3月12日(1)天使に見捨てられたのか/婚約と処女の誓い

 3月12日の月曜日、ボーヴェ司教とともに裁判長を務めるジャン・ル・メートル修道士は、フランス大審問官のジャン・グラヴラン修道士から「ジャンヌという名の、通称「乙女ラ・ピュセル」と呼ばれる女に対して手続き(審問)を進め、最終判決を言い渡すように」と命じられた。[743]

 同日の午前中、この裁判の判事を務めるジャン・ド・ラ・フォンテーヌ修道士は、ボーヴェ司教の立会いのもと、牢獄にいるジャンヌに二度目の尋問をおこなった。[744]

 彼はまず、しるしについて再び尋ねた。

「しるしを持ってきた天使は何か話さなかったか?」

「はい、天使は私の王に、国がすぐに救われるように、私に仕事をさせなければならないと言いました」

「そのしるしを持ってきた天使は、最初に現れた天使と同じか? それとも別の天使か?」

「いつも同じ天使で、私を見捨てたことは一度もありません」

「しかし、あなたはこうして捕らえられた。ということは、現世の幸福に関して、天使はあなたを見捨てたと言えるのでは?」

「それが神の意志ならば、私が捕らえられたことは私にとって最善だったと信じています」

「現世の幸福において、あなたの天使はあなたを見捨てているのでは?」

「毎日私を慰めてくれるのに、どうして私を見捨てたと言えるでしょうか?」[745]

 その後、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌは、教会の裁判で許容される範囲でユーモアを帯びた微妙な質問を投げかけた。

「聖ドニは、あなたに現れたことがあるか?」[746]

 最もキリスト教的な王(フランス王の別名)たちの守護聖人で、フランス人たちが『鬨の声』でその名を叫ぶ聖ドニは、彼の名を冠した修道院——王妃が戴冠され、国王が埋葬される豊かな教会——がイングランド軍に占領されるのを許した。

 したがって、聖ドニはイングランドとブルゴーニュ派に転向していると見なされており、アルマニャック派のジャンヌの前に現れて語り合ったとは思えない。

**

「処女であり続けると誓ったとき、あなたは神自身に話しかけていたのか?」という質問に対して、ジャンヌはこう答えた。

「神の使者である聖カタリナと聖マルガリータに約束すれば十分でした」[747]

 彼らはこの質問で、ジャンヌを罠にかけようとした。
 なぜなら、誓約は神に直接しなければならないからだ。

 しかし、天使や人間に良いことを約束するのは合法であり、彼ら(天使や人間)に約束したことを実質『神への誓約』と見なす可能性を主張することも可能だ。人は聖人に約束した事柄を、神にも誓うのだ。

 ピエール・ド・タランテーズは『説教集注釈』第四巻・第38区別において、「すべての誓約は、神に対して立てられるべきだ。神自身に直接であれ、聖人たちの仲介を通してであれ」と教えている。[748]

⚠️ピエール・ド・タランテーズ(Pierre de Tarentaise):教皇イノケンティウス五世の本名。史上初のドミニコ会出身の教皇として知られる。

(同名の別人だが、興味深い聖人だったので追加)
⚠️ピエール・ド・タロンテーズ(Pierre de Tarentaise):12世紀の修道士でタロンテーズの大司教。アルプス山脈の守護聖人。フランスとスイス・イタリア方面を行き来するには山脈を越えなければならず、彼は山岳地帯の教会を定期的に訪れて備蓄食糧や衣服を供給し、数えきれない旅人を支援した。

 調査中の供述によれば、ジャンヌは若い農民に結婚の約束をしていた。
 そこで異端審問官は、ジャンヌが「非正規の形式で処女の誓いを立て、破る自由があった」ことを証明しようとしたが、ジャンヌは「結婚の約束はしていない」と主張し、次のように付け加えた。

「初めて『声』を聞いたとき、私は神が喜ばれる限り処女であり続けることを誓いました」

 だが、最初にジャンヌに現れたのは聖ミカエルであり、聖人たちではないはずだ。[749]

 ジャンヌは、自分自身の夢想と恍惚が絡み合った複雑な糸をほどくのに苦労していたが、博士たちもまた、これらの子供の漠然とした幻影から、死刑に値する罪状を組み立てようと苦労していた。

⚠️補足:「結婚の約束」と「処女の誓い」は矛盾しており、一方の誓いを守ればもう一方の誓いを破ることになる。ジャンヌは「結婚の約束はしていない」と主張しているが、婚約者に訴えられてトゥールの裁判所に出頭した記録がある。仮に、ジャンヌは本当に婚約の件を知らなくて、両親が勝手に決めていた場合は「父母に背いた罪」で糾弾される。
ジャンヌはどう答えても罪を免れず、有罪にする「罠」を仕掛けた尋問だったといえる。

⚠️婚約者に訴えられた件の詳細は、上巻・第三章『3.5 婚約者に訴えられトゥールへ出頭』参照。

12.2 密室裁判:3月12日(2)聖ミカエルと「声」からの手紙

 次に、非常に重大かつ深刻な質問がジャンヌに投げかけられた。

「あなたが見聞きした幻視について、司祭か他の聖職者に話したか?」

「いいえ、ロベール・ド・ボードリクールと私の王にだけ話しました」[750]

 ジャン二世(シャルル七世の曽祖父)の時代にジャンヌと同じように「声」を聞いた、シャンパーニュ出身のヴァヴァスール(豪農)は分別のある思慮深い人物だった。畑で「声」を聞き、王のもとへ行くようにと命じられたとき、彼はすぐに司祭に相談した。

⚠️ヴァヴァスール(vavasour):封建時代、自前の土地を所有しているが貴族とみなされていない階級。男爵より下、騎士より上。君主に仕える義務はない。文中の人物は農民(peasant)と書かれているパターンもあるので「田舎者の豪農」と思われる。

 司祭は彼に「三日間断食して懺悔をしてから、声が聞こえた場所へ戻るように」と指示した。

 ヴァヴァスールは言われた通りにした。
 また「声」が聞こえて、前と同じ命令を繰り返した。
 再び司祭に相談すると、司祭は彼にこう言った。

「兄弟よ、私もともに三日間節制して断食し、主イエス・キリストにあなたのために祈ります」

 彼らはその通りにした。四日後、その善良な男はまた畑に戻った。
 三度目の「声」が聞こえた後、司祭は「それは神の意志であるから、すぐに使命を果たしに行きなさい」と指示した。[751]

 あらゆる面から見て、間違いなくこのヴァヴァスールはロメの娘(ジャンヌ)よりも賢明な行動をとった。

 ジャンヌは幻視について司祭に話さなかった。
 それは、教会の権威を軽視したことを意味する。

 それでもなお、ジャンヌを擁護するなら、使徒パウロの言葉「神の霊のあるところには自由がある」[752] を根拠にして弁護を展開できるかもしれない。

『もしあなたが御霊みたまに導かれているなら、
 あなたは律法の下にはいない。』
(新約聖書『ガラテヤの信徒への手紙』第五章18節)[753]

 ジャンヌは異端者なのか、それとも聖人なのか?
 そこに審理のすべてがかかっていた。

 それから、さらに注目すべき質問が来た。

「聖ミカエルから、あるいはあなたの『声』から手紙を受け取ったことがあるか?」

「あなたに話す許可を得ていません。ですが、一週間後には私が知っていることすべてを喜んで話します」[754]

 何か隠したいことがあるが否定したくない時、ジャンヌはいつもこのような口調で返答した。したがって、この質問はジャンヌにとって都合の悪いものだったに違いない。

 ジャンヌに向けられたこれらの尋問は、真実か虚偽かを問わず、豊富な事実に基づいて行われた。質問の中には、彼女の返答をある程度予想している様子が見て取れる。

 『大天使ミカエルや他の聖人たちからの手紙』とは一体何だったのか?

 ジャンヌは言葉を濁したが、否定しなかった。
 だが、裁判官たちは手紙の実物を決して提出しなかった。(証拠として提出され、読み上げられた『アルマニャック伯との手紙』2通とは対照的)

 ジャンヌを支持する誰かが、彼女が神の命令に従っていると思い込み、自分たちの意図を実行してくれることを期待して(天使や聖人を自称した)手紙を送ったのだろうか?

 当面の間、異端審問官はそれ以上追求することなく、別の話題に移った。

「あなたの『声』は、あなたを神の娘、教会の娘、心の広い乙女と呼んだことはないか?」

「オルレアン包囲戦の前も、その後もずっと、声が私に話しかけるときは、毎日何度も私をジャンヌ・ラ・ピュセル、神の娘と呼んでいます」[755]

 尋問は中断され、午後に再開された。


12.3 密室裁判:3月12日(3)ジャンヌの父母と親族の動向

 尋問は中断され、午後に再開された。この裁判の判事を務めるジャン・ド・ラ・フォンテーヌは、予備調査で裁判官に知らされていた「ジャンヌの父親が見た夢」について質問した。[756]

 ジャンヌが「父と母を敬うように」という神の戒めを破った罪で告発されたとき、彼女の母親も親族も誰一人として証人として出廷すると申し出なかった。そのことを考えると悲しい気持ちになる。

 ジャンヌの母方親族には、聖職者がいたにもかかわらずだ。[757]
 信仰の問題に関する裁判(異端審問)はすべての人々の心に恐怖を植え付けていた。

⚠️ジャンヌの父親が見た夢:上巻・第三章『3.3 夢見るジャンヌと両親の困惑』参照。

 またしても男装の話題に戻ったが、これで最後ではなかった。[758]
 ジャンヌが身につけているプールポワン(短い上着)とショース(脚部から股まで覆うぴったりしたズボン)が、聖職者たちをこれほど深い熟考に陥れたことに驚かされる。彼らは陰鬱な恐怖とともに、『申命記』の教えに照らしてこの件をじっくり考えた。

⚠️申命記(Deuteronomy):旧約聖書の一書で『モーセ五書』の5番目。直訳すると「繰り返し命じる」

 その後、オルレアン公の解放について尋問された。
 彼らの目的は、ジャンヌから返答を引き出して「囚人の解放を約束したとき、『声』が彼女を欺いた」と証明することだった。

 彼らは簡単に成功した(現状、オルレアン公の解放は実現していないため)。
 ジャンヌは、十分な時間がなかったからだと弁明した。

「もし私が何の妨害も受けずに3年間続けていたら、オルレアン公を解放していたでしょう」

 ジャンヌの当初の啓示によれば、オルレアン公の解放は「3年より短く、1年より長い期間」と言及されていた。[759]

 王に与えられたしるしについて再び質問されると、ジャンヌは「聖カタリナに相談する」と答えた。

(3月12日の審理はこれで終了し、最後の質問については翌日13日の審理に持ち越された)

12.4 密室裁判:3月13日(1)王冠を運ぶ天使の正体

 翌日、3月13日の火曜日、ボーヴェ司教と副審問官(ジャン・ルメートル)はジャンヌの牢獄を訪れた。副審問官は初めて口を開いた。[760]

「あなたは聖カタリナにこのしるしについて話さないと約束し、誓ったのではなかったか?」

 彼は王に与えられたしるしについて取り上げ、ジャンヌはこう答えた。

「私はこのしるしを自ら明かさないと誓い、約束しました。(それにも関わらず、これまでの審理で断片的に話してしまったのは)それを話すようにあまりに強く迫られたからです。二度と生きている人間にこのことを話さないと誓います」[761]

 だが、ジャンヌはすぐにこう続けた。

「そのしるしとは、天使が王に王冠を授けた時、神の助けと私の働きによってフランス全土を王が手に入れること、だから私に仕事をさせるようにと約束したことです。つまり、私に兵士を与えるべきだということです。そうでなければ、王はこんなに早く戴冠し、聖油を塗られることはなかったでしょう」

「天使はどうやって王冠を持ってきたのか? あなたの王の頭に載せたのか?」

「それはランス大司教に与えられました。王の面前だったと思います。大司教がそれを受け取って、王に渡しました。私もその場にいました。その後、それは国王の宝物庫に収められています」

「王冠はどこに運ばれたのか?」

「シノン城の王の部屋です」

「何の日、何時だったか?」

「その日は分かりませんが、時間は正午でした。それ以外の時間と月のことは覚えてません。ですが、4月か3月だったと思います。今月か次の4月で2年になります。復活祭イースターの後でした」[762]

「あなたがそのしるしを初めて見た日に、あなたの王もそれを見たのか?」

「はい。彼はその日のうちに見ました」

「王冠は何でできていたのか?」

「それは上質の金で作られ、その富は数え切れないほど豪華だったことを知っておいてください。その王冠は、彼がフランス王国を保持することを意味していました」

「宝石がついていたか?」

「知らないと言ったでしょう」

「あなたはそれに触れたり、キスしたりしたか?」

「いいえ」

「それを運んできた天使は上から来たのか、それとも地から来たのか?」

「上から来ました。神の命令で来たのだと思います。部屋のドアから入ってきました」

「天使は部屋のドアから歩いて、地を伝って来たのか?」

「天使は王の前に来ると、王に敬意を示して深くおじぎをし、私がすでに繰り返したしるしに関する言葉を言いました。その後、天使は王に、彼に降りかかった長い苦難の中で彼が抱いていた大きな忍耐を思い出させました。そして、王に近づくと、天使は歩き、地面に触れました」

「ドアから王までどれくらいの距離だったか?」

「距離はランス一本分くらいだったと思います。[763] そして、来た時と同じように帰って行きました。天使が来たとき、私は彼についていき、王の部屋へ向かう階段を一緒に上がりました。天使が先に中に入り、私は『王よ、これがあなたのしるしです。受け取ってください』と言いました」[764]

 霊的な意味で、この寓話は真実だと言えるだろう。この王冠は「美しく咲き、よく守られればこれからも美しく咲き続ける」[765]勝利の王冠なのだ。

 乙女(ラ・ピュセル)がそれを持ってきた天使を見たとき、彼女の目の前に現れたのは彼女自身の姿だったのではないか?

 味方陣営の神学者(ジャック・ジェリュ)は、ジャンヌを天使と呼んでも構わないと言った。それはジャンヌが天使の本性(性質)を持っているからではない、天使の職務(務め)を果たしているからだ。[766]

⚠️上巻・第十四章『14.3 ジャック・ジェリュの意見書(2)乙女を天使だと信じる理由』参照。

訳者のこぼれ話:「王冠を運んできた天使=ジャンヌ」説を考察

今回(下12.4)のジャンヌの証言について、著者アナトール・フランスが言うとおり「王冠を運んできた天使=ジャンヌ自身」と考えると、シャルル七世に初めて謁見したときの状況に酷似していることに気づかされる。

  • 証言「王冠を運ぶ天使が来た」:2年前の3月か4月

  • 現実「シノン城で初めて謁見」:2年前(1429年)3月8日

なお、ランスでの戴冠式は同年7月17日である。
戴冠式の王冠について、ジャンヌは下巻・第十一章『下11.14 第五回公判(4)』で次のように証言している。

  • 問「あなたが王にしるしを与えた時、王の頭に王冠があるのを見たのか?」

  • 答「偽証しないで言うことはできません」

  • 問「あなたの王はランスで王冠をかぶっていたか?」

  • 答「私の王は、ランスで見つけた王冠を喜んで受け取ったと思います。ですがその後、非常に豪華な王冠が届けられました。王がそれを待たなかったのは、ランスの住民が町に兵士が駐留する負担をなくしたいと望んでいたため、式典を急いだからです。もし待っていたら、千倍も豪華な王冠を手に入れたでしょう」

第五回公判では「ランスの戴冠式(7月)後に王冠が届いた」と証言しており、密室裁判の証言「3月か4月に天使が王冠を運んできた」とは時系列が合わず、明らかに矛盾している。

謎の証言「王冠を運んできた天使」の真相は、シノン城での謁見(現実)をベースにした『ジャンヌの空想物語』と解釈すると、もっとも辻褄が合う。

12.5 密室裁判:3月13日(2)偽証か虚言か、一致しない証言

 ジャンヌは、王のもとに一緒に来た天使たちについて語り始めた。

「よく似た天使もいれば、そうでない天使もいました。少なくとも私にはそう見えました。翼のある天使もいました。冠をかぶっている天使もいました。聖カタリナと聖マルガリータも彼らと一緒にいました。前述の天使や他の天使たちと共に、彼らは王の部屋へまっすぐに入っていきました」[767]

 その後、ジャンヌは長時間、異端審問官に詰め寄られるままに次から次へとこれらの驚くべき物語を話し続けた。

 二度目に「天使が手紙を書いたかどうか」を尋ねられたとき、ジャンヌはそれを否認した。[768]

⚠️手紙に関する最初の質問は『下12.2 密室裁判:3月12日(2)聖ミカエルと「声」からの手紙』後半を参照。

 しかし、現在問題になっているのは「王冠をかぶった天使」であり聖ミカエルではない。そして、ジャンヌは両者を同一人物だと言ったにもかかわらず、両者を区別していた可能性がある。

 したがって、ジャンヌが手紙を受け取った相手は、大天使ミカエルだったのか、あるいは聖カタリナや聖マルガリータだったのか、私たちには決してわからないのである。

 その後、異端審問官は、ランスで紛失し、ジャンヌが見つけたカップと手袋について尋問した。[769]

 パドヴァの聖アントニオの例が示すように、聖人たちは時々、紛失物を見つけるために身を挺して協力した。そのご利益は、常に神の助けによるものだった。
 その一方で、死霊術師ネクロマンサーは、悪魔の助けを借りて、神聖なものを冒涜することで、聖人たちの力を模倣した。

⚠️パドヴァの聖アントニオ(Sant'Antonio di Padova):失せ物、結婚、縁結び、不妊に悩む人がすがる聖人。

 ジャンヌはまた、愛人を持つ司祭についても尋問された。
 ここでも魔術的な透視能力を持っていると非難された。ジャンヌがこの司祭に愛人がいることを知ったのは、魔術の力によるものだとされた。

 他にも多くのことが、同じように解釈された。
 例えば、あるふしだらな女について、ジャンヌは見ただけで、その女がひそかに自分の子供を殺したことを見抜いたと言われている。[770]

 それから、同じ古い質問が繰り返された。

「パリを攻撃しに行ったとき、『声』から啓示を受けたか?」
「ラ・シャリテに行って戦うべきだと啓示されたのか?」
「ポン・レヴェック遠征に行くきっかけとなったのは啓示か?」

 ジャンヌは「そのときは『声』から何の啓示も受けていなかった」と否定した。

⚠️ポン・レヴェック遠征(Pont-l'Evêque):下巻・第七章『下7.5 コンピエーニュ包囲戦(1)ブルゴーニュ軍の巧みな戦術』参照。

 この日の最後の質問は、「あなたはパリの前で『イエスの名において町を明け渡せ』と言わなかったか?」だった。

 ジャンヌは、「そのような言葉を口にしたのではなく、『フランス国王に町を明け渡せ』と言っただけです」と答えた。[771]

 だが、攻撃を撃退していたパリ市民は、ジャンヌが「イエスの名において、速やかに明け渡せ」と言っているのを確かに聞いていた。

 また、この言葉は、ジャンヌの活動初期について判明しているあらゆる情報と一致する。ジャンヌは「フランス王国の諸都市は、それらを再征服するために神に遣わされた乙女に降伏(明け渡す)すべきだ、それが神の意志である」と信じていた。

 すでに指摘したように、異端審問の時点で、ジャンヌは初期の啓示とのつながりを完全に失っており、まったく別の言葉を話していた。

12.6 密室裁判:3月14日(1)救済のジレンマ/牢からの解放か、殉教か

 翌日、3月14日の水曜日、獄中でさらに2回の尋問が行われた。
 午前の尋問はボールヴォワールからの飛び降りについてだった。

 ジャンヌは「声」の許可なく飛び降りたことを告白し、「イングランド人の手に落ちるよりは死ぬことを選んだ」と述べた。[772]

 彼女は神を冒涜したとして告発されたが、それは事実ではなかった。[773]

 ボーヴェ司教が口を挟んだ。

「あなたは、私たち司教があなたを裁判にかけることで大きな危険にさらされると言った。一体どんな危険について言っていたのか? 私たち、あなたの裁判官や他の者は、どんな危険にさらされているのか?」

「私はボーヴェ司教にこう言いました。『あなたは自分が私の裁判官だと宣言しているが、本当にそうなのか私には分からない。誤った裁きをしないように気をつけなさい。さもなければ、あなたは大きな危険にさらされるでしょう。私はあなたに警告します。もし神があなたを罰するなら、私はあなたに警告することで自分の義務を果たしたことになる』」

「差し迫った危機(peril)、あるいは危険(danger)とは何か?」

⚠️危機(peril)と危険(danger):後者は一般的な危険。前者はもっと緊急性の高い差し迫った危機。

「聖カタリナは、私に救いがあると告げました。それが牢獄からの解放なのか、それとも裁判中に何か騒動が起こり、それによって私が解放されるのかは分かりません。どちらか一方だと思います。私の『声』は、大いなる勝利によって解放されるだろうと、しばしば私に告げます。そしてその後、彼らは私にこう言います」

『諦めよ、殉教を嘆き悲しむな。あなたは最終的に天国に到達するだろう』

「私の『声』は、単純かつ絶対的にそう告げています。『間違いなく』という意味です。そして、私が殉教と呼んでいるのは、牢獄で経験する困難と苦悩のことです。これ以上大きな苦痛が待ち受けているかどうかは分かりませんが、私は神を待ち望みます」[774]

 彼女の「声」は、ジャンヌに「霊的な救済」と「物的な救済」を両方約束しているように思われるが、その二つが同時に起こることはほぼあり得ない。

⚠️「霊的な救済」と「物的な救済」について補足:「霊的な救済」は現世の苦しみからの解放、つまり死である。「物的な救済」は現世で生き延びること。

 ジャンヌの恐怖と幻想が入り混じったこの返答は、最も冷酷な者でさえ同情を禁じ得ないものだ。

 しかし、異端審問官たちはこの返答を、ジャンヌを陥れるための単なる手段としか考えなかった。

 ジャンヌは啓示から「永遠の救済」に対する異端的な自信を得ていると解釈した上で、異端審問官たちは古い質問を新たな形で投げかけた。

 彼女はすでにその質問に聖なる答えを与えていた。

 異端審問官は、「もしあなたが救われ、地獄で裁かれることはないと確信し続けるなら、最終的に天国に行けると『声』が告げたのか?」と尋ねた。ジャンヌは「声」に鼓舞されたあの完全な信仰をもってこう答えた。

「私の救済について私の『声』が告げたことを、まるですでに天国にいるかのように強く信じています」

 この返答は異端的だった。異端審問官は、ジャンヌの返答について議論することに慣れていなかったにもかかわらず、「この返答は非常に重要である」と言わずにいられなかった。[775]

12.7 密室裁判:3月14日(2)重大な罪5件、ジャンヌの見解

 同日の午後、ジャンヌは誤った答弁の結果を思い知らされた。
 ようするに、もしジャンヌが自分の「声」から永遠の救済を保証されているなら、教会で告解(懺悔)する必要はないということだ。[776]

⚠️補足:ジャンヌは日頃から「告解をしたい。教会へいきたい」と強く求めているが、この答弁はジャンヌの要求を却下する根拠になり得た。

 午後の審理で、ジャンヌはフランケ・ダラス隊長の処刑事件について尋問を受けた。

 サンリスの代官は、戦争捕虜のフランケ隊長[778]を処刑するために引き渡すよう要求し、ジャンヌはそれに応じたが、これは不当な行為であり[777]、裁判官たちはこの件でジャンヌを有罪と見なした。

⚠️フランケ・ダラス処刑のいきさつ:下巻・第六章『下6.6 ラニーの捕虜を売り、処刑に同意する』参照。

 この日、異端審問官は、被告人(ジャンヌ)が告発される可能性の高い重大な罪を指摘した。

 第一に、祝祭日にパリを攻撃したこと。
 第二に、サンリス司教の馬を盗んだこと。
 第三に、ボールヴォワールから飛び降りたこと。
 第四に、男装したこと。
 第五に、戦争捕虜の処刑に同意したこと。

 これらすべての告発に関して、ジャンヌは自分が重大な罪を犯したとは思わなかった。ただし、ボールヴォワールからの飛び降りについては、自分が間違っていたと認め、神に許しを求めたことを述べた。[779]

 被告人(ジャンヌ)が宗教的な誤りに陥っていることは、これで十分に立証された。

 異端審問所はその豊かな慈悲の心から、罪人の救済を願っていた。

 そこで、翌日、3月15日木曜日の朝、ボーヴェ司教はジャンヌに教会に従うよう勧め、「戦う教会(現世・地上の教会)と勝利の教会(天上の教会)は別物である」ことを理解させようと試みた。

 ジャンヌは疑わしそうにボーヴェ司教の言葉に耳を傾けた。[780]

12.8 密室裁判:3月15日(1)脱獄を示唆/男装にこだわる理由/もっとも難しい質問

 3月15日木曜日の審理では、「ボーリュー城からの逃亡」と「ボーヴェ司教の許可なく塔を出ようとした意図」について再び尋問された。

 後者については、ジャンヌは断固たる決意をしていた。

「もし扉が開いているのを見たら、私は出て行くでしょう。それは神の許可を得てのことです。もし扉が開いているのを見て、見張りや他のイングランド兵が抵抗できない状態なら、私はそれを神からの許可であり、神が私に送った救済とみなすだろうと固く信じています。ですが、許可なしに出て行くことはありません。神の御心かどうかを確かめるために、行ってみるかもしれません。ことわざに『汝自身を助けよ、さらば神は汝を助ける』とあります」[781]

 そしてこう付け加えた。

「もし私が出て行ったとしても、許可なく出て行ったと非難されないように、今のうちに言っておきます」[782]

 それから彼らは、また男装の問題に戻った。

「女性の服を着てミサを聞くか、男装のままミサを聞かないか。あなたはどちらを選ぶ?」

「女性の服を着ればミサを聞かせると約束してください。そうすれば答えます」

「女性の服を着ている時はミサを聞かせると約束しよう」

「もし私が、『この服を脱がない』と私の王に約束し、誓ったとしたらどうしますか? それでも、私はあなたに言います。『地面に届く長さで、引き裾(トレーン)の無いローブを仕立ててください。それを着てミサに行きます。そして戻ってきたら、今の服に戻ります』」

「あなたは、完全かつ無条件で女性の服を着なければならない」

「あなたの町の娘たちが着ているような服、つまり長いウプランドを私にください。それを受け取ったら、私はミサを聞くために女性用のフードさえかぶります。ですが、心からお願いしたいのは、今着ている服はそのままで、何も変えずにミサを聞かせてください」[783]

⚠️ウプランド(houppelande):14世紀後半から15世紀半ばまで、男女を問わず用いられたゆるやかなガウン。もともとは男性用の室内着だったが、しだいに屋外でも着られるようになり、女性も身につけるようになった。

 ジャンヌが男装を脱ぐのを嫌がったのは、この服装が兵士たちの暴力から彼女を最もよく守ってくれたという理由だけでは説明できない。そのような考えは存在しなかった可能性もある。

 ジャンヌが女性の服を嫌がったのは、彼女の「声」から許可を得ていなかったからだ。

 理由は容易に推測できる。ジャンヌは戦争の指導者ではなかったか?
 そのような立場の者が、町人の妻のようにペチコートを着るなど、なんと屈辱的なことだろうか!

 そして何より、今まさにフランス軍が駆けつけて、武勇によってジャンヌを救出するかもしれないのだ。(そうなると信じているからこそ)救援が現れたとき、ジャンヌは男装し、甲冑をまとった姿で、ともに戦う準備ができているのを見せるべきだと考えたのではないだろうか?

**

 その後、異端審問官は次の事柄について重ねて質問した。

「教会に従うか?」
「自分の「声」に敬意を示すか?」
「聖人を信じているか?」
「聖人に火のついたろうそくを捧げたか?」
「聖人に従っているか?」
「戦っているとき、聖人の許可なく、あるいは聖人の命令に反して、(ジャンヌ自身の判断で)何かしたことがあるか?」[784]

 それから彼らは、自分たちが最も難しいと考えている質問にたどり着いた。

「もし悪魔が天使の姿をとったとしたら、それが良い天使か悪い天使かをどうやって見分けるのか?」

 ジャンヌは、傲慢とも思えるほど単純な口調で答えた。

「それが大天使・聖ミカエルなのか、それともその偽物なのか。私には簡単に分かります」[785]

12.9 密室裁判:3月17日(1)大天使ミカエルは真の徳高き勇者

 2日後の3月17日土曜日、ジャンヌは朝と夕方に獄中で尋問を受けた。[786]
 これまでジャンヌは、村を訪れた天使や聖人たちの顔つきや服装について説明することを非常に嫌がっていた。しかし、この裁判の判事ジャン・ド・ラ・フォンテーヌは、この件に少しでも光を当てようと努めた。

「大天使・聖ミカエルはどのような姿であなたのところに現れたのか? 背は高かったか? どんな服を着ていたのか?」

「彼は、真の徳高き勇者プリュドムの姿で現れました」[787]

⚠️|徳高き勇者《プリュドム》(prud'homme):古フランス語で「分別のあり、勇気と徳を兼ね備えた勇者」を指す最上級の美称。

 ジャンヌは、大天使ミカエルの見た目について、神学者のような丈の長いローブ(礼服)や聖職者のような金色のコープ(祭服)を着ている姿を「見た」とは考えなかった。教会で描かれている大天使ミカエルの姿もそうではなかった。教会の絵画や彫刻では、きらびやかな鎧をその身にまとい、兜に金の冠を戴いた姿で描かれていた。[788]

 彼はそのような、真の徳高き勇者としてジャンヌの前に現れた。

 これは、叙事詩『ローランの歌』から引用した古い言葉で、そこには徳高き勇者の一突き(C'est colp de prud'homme)と表現されている。

 ジャンヌの前に現れた大天使ミカエルは、アーサー王やシャルルマーニュ(カール大帝)のように、全身甲冑を身につけた偉大な勇者の姿だったという。

⚠️ローランの歌(Chanson de Roland):古フランス語の叙事詩。シャルルマーニュの甥で十二勇将のひとりローランを称える内容で、『アーサー王と円卓の騎士』の伝説と並ぶ中世ヨーロッパの代表的な英雄物語。フランス王政時代の愛国歌ともいえる。

12.10 密室裁判:3月17日(2)ジャンヌの生死を左右する質問

 再び、異端審問官はジャンヌの生死を左右する質問を投げかけた。

「あなたは、あなたの行いと発言のすべてを、善悪を問わず、我らが母、聖なる教会の裁きに委ねるか?」

「教会については、私は彼女(教会)を愛しており、宗教のために全力を尽くして彼女(教会)を守ります」とジャンヌは答えた。

「教会に通うことも、ミサを聞くことも、私には許されていません。ですが、私が成し遂げた善行と、私の来訪について、天の王(神)に報告しなければなりません。天の王は私をフランス王シャルル(六世)の息子シャルル(七世)のもとへ遣わされました。そしてあなたたちはもうすぐ思い知るでしょう、フランス人がまもなく、神が命じた偉大な仕事を成し遂げて、フランスのほぼ全土を揺るがすことを。今、これを言ったのは、それが起こった時に、私が言ったことを思い出してもらうためです」[789]

 しかし、ジャンヌはこの偉大な仕事がいつ成就するかを明言することができなかった。

 ジャン・ド・ラ・フォンテーヌは、ジャンヌの運命を左右する話題に戻った。

「あなたは教会の裁きに従うか?」

「私は、私を遣わした神と聖母マリア、そして天国にいるすべての聖人たちに訴えます。私の考えでは、神と教会は一体であり、区別されるべきではありません。それなのに、なぜあなたたちは、それらが一体ではないと主張しようとするのですか?」

 (ジャンヌの質問返しに対し)ジャン・ド・ラ・フォンテーヌに敬意を示そう。彼の返答の明快さを認めざるを得ない。

「勝利の教会(Church Triumphant:凱旋教会)がある。そこには神、聖人、天使、救われた魂がいる」

 彼は続けてこう言った。

「地上には、戦う教会(Church Militant:戦闘教会)がある。それは私たちの聖なる父、すなわち教皇で、地上における神の代理人だ。枢機卿、教会の高位聖職者と聖職者、すべての良きキリスト教徒とカトリック教徒が含まれる。そして、この教会は、その集会(裁判)において誤ることはない。なぜなら、聖霊に動かされているからだ。あなたは戦う教会に訴えるのか?」

「私は神から、聖母マリアと天国にいるすべての聖人たちから、そして『勝利の教会』から、彼らの命令によってフランス王のもとに来ました。私は、私がこれまでに行った、そしてこれから行うすべての善行をこの教会に委ねます。私が『戦う教会』に従うかどうかについては、今のところこれ以上の回答はしません」[790]

 ジャンヌは再びミサを聞くために女性の服を着るよう勧められたが、それを拒否した。

「女性の服については、主の御心があるまではまだ受け取りません。もし私が裁きを受けて、服を剥ぎ取られることになったら、教会の皆さんに、女性のスモック(農民が着る仕事着)と頭を覆う布を恵んでくれるようお願いします。神が私に命じたことを否定するくらいなら、死んだ方がましです。神は私をそんな風に貶めるようなことは絶対に許さないと固く信じています。すぐに神の助けが来て、奇跡が起こるでしょう」

 その後、次のような質問が投げかけられた。

「あなたは今日、妖精が悪霊だと信じていないか?」

「知りません」

「聖カタリナと聖マルガリータが、イングランド人を憎んでいるかどうかを知っているか?」

「彼女たちは神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎んでいます」

「神はイングランド人を憎んでいるのか?」

「神がイングランド人を愛しているのか憎んでいるのか、神が彼らの魂に何をするのか、私は何も知りません。ですが、フランスで死ぬ者を除いて、彼らは全員フランスから追い出され、神はフランス人に勝利を、イングランド人に敗北をもたらすことは知っています」

「イングランド人がフランスで繁栄していたとき、神はイングランドの味方だったのか?」

「神がフランス人を憎んでいたかどうかは知りません。ですが、もし彼らが罪を犯していたなら、その罪のために鞭打たれることを、神は許したのだと信じています」[791]

 ジャンヌは、彼女が天使を描かせたバナー旗についていくつかの質問を受け、「教会で天使が描かれているのを見た通りに描かせた」と答えた。[792]

12.11 密室裁判:3月17日(3)最後の尋問/教皇への上訴を要求

 この時点で尋問は延期された。
 牢獄での最後の尋問は夕食後に行われた。[793]
 ジャンヌは25日間で15回の尋問に耐えたが、その勇気は決して衰えなかった。
 この最後の尋問では、いつも以上に話題が多岐にわたり混乱していた。

 まず、異端審問官は天使の姿が描かれた軍旗(standard)に、どのような呪術や邪悪な行為によって、幸運と勝利がもたらされたのかを探ろうと試みた。

 次に、書記官が「ジャンヌの手紙にイエスとマリアの聖なる名前を記したのはなぜか」と尋ねた。[794]

 それから、次のような巧妙な質問が来た。

「もし結婚したら、あなたの『声』は届くと思うか?」

 ジャンヌが「処女であること」を非常に大切にしていたことはよく知られていた。彼女の言葉の中には、この処女性こそが幸運の源泉だと考えていると解釈できるものもあった。
 そのため、異端審問官たちは、巧妙にジャンヌに近づけば、結婚生活を軽蔑し、夫婦間の性交を非難するのではないかと知りたがっていた。そのような非難は、カタリ派の異端を思わせる重大な誤りとなるだろう。[795]

 ジャンヌは答えた。

「わかりません。神にゆだねます」[796]

**

 それから、ジャンヌのように心からシャルル王を愛する者にとって、さらに危険な質問が続いた。

「あなたは、あなたの王がブルゴーニュ公を殺害した、あるいは殺害させたことは正しかったと確信しているか?」

「それはフランス王国にとって非常に残念なことでした」[797]

***

 そして異端審問官は、重大な質問を投げかけた。

「あなたは、宗教と良心に関わることについて、神の代理人である教皇から尋ねられることすべてに対し、真実を答える義務があると考えるか?」

「私は彼(教皇)の前に連れて行かれることを求めます。そのとき、私は然るべき答えをします」[798]

 この発言は教皇への上訴を意味しており、それは合法だった。聖トマスは「宗教に関する疑わしい事柄については、常に教皇または公会議に訴えるべきだ」と述べている。

 この上訴が正式な司法手続きでなかったとしても、それは彼女の責任ではない。ジャンヌは法律に関する知識がなく、指導者も弁護士の助言も与えられていなかったのだから。ジャンヌは自分の知識の限りを尽くし、慣例と正義に従って、キリスト教徒の共通の父(教皇)に上訴を求めた。

 だが、博士と教授たちは黙殺した。
 こうして、被告(ジャンヌ)に残された唯一の救済の道は閉ざされた。
 ジャンヌは今や絶望的な状況に陥っていた。

 ジャンヌの裁判官たちはイングランド支持者であり、彼女の上訴権を無視したことに驚きはない。
 しかし、フランス陣営の博士と教授たち、そしてシャルル王に忠誠を誓う地方の書記官たちが全員一致で上訴に署名し、ポワティエでの審問官たちに「価値がある」と判断された乙女(ラ・ピュセル)を教皇と公会議の前に連れて行くよう要求しなかったことには驚かされる。

 ジャンヌの要求に答える代わりに、異端審問官たちは、大いに議論された魔法の指輪と悪魔の出現についてさらに質問した。[799]

「あなたは、聖カタリナと聖マルガリータにキスしたり、抱擁したりしたことがあるか?」

「私は二人を抱きしめました」

「甘い香りがしたか?」

「よく知っています。はい、香りは甘かったです」

「抱きしめたとき、温もりなど何か感じたか?」

「感じたり触れたりしないで抱きしめることはできません」

「どの部分にキスをした? 顔か、それとも足か?」

「顔よりも足にキスする方がふさわしいです」

「花冠を贈ったことはないか?」

「教会にある彼女たちの像に花を飾って敬意を表したことは何度もあります。ですが、私の前に現れた彼女たちには、覚えている限り、花を贈ったことはありません」

「妖精と交わる人たちについて何か知っているか?」

「私は一度も交わったことはありませんし、彼らについて何も知りません。ただ、木曜日に現れるという話を聞いたことがあります。ですが、私はそれを信じていません。私にはそれは魔術のように思えます」[800]

 それから、裁判官たちが魔法がかけられていると考えた軍旗(standard)に関する質問が投げかけられた。それは、ジャンヌが好んでいた警句的な返答を引き出した。

「なぜあなたの旗が、他の隊長たちの旗よりも先にランスの教会に持ち込まれたのか?」

「それは戦いに参加した旗です。なぜ勝利を分かち合ってはいけないのですか?」[801]

12.12 予備審理から通常審理へ、弁護人の申し出(3月27日)

 調査と尋問が終わり、「予備審理」が完了したと発表された。
 いわゆる「通常審理」は、聖枝祭の後の火曜日、3月27日に城の大広間に近い部屋で開廷した。[802]

⚠️聖枝祭(Palm Sunday):キリストがエルサレムに入城した記念日で、復活祭の一週間前の日曜日。キリスト教徒がもっとも大事にしている聖週間の初日。

 ボーヴェ司教は告発状の読み上げを命じる前に、ジャンヌに弁護士の援助を申し出た。[803]

 この申し出が現時点まで延期されていたとすれば、司教が「ジャンヌに援助(弁護)は必要ない」と考えていたからに違いない。

 異端者につく弁護人は、みずからが異端に染まる事態を避けるために、弁護方法を厳しく制限しなければならないことはよく知られている。

 予備審理の間に、弁護人は検察側の証人の名前を調べて、被告に知らせることに専念する。だが、もし異端者が有罪を認める場合は弁護人を立てても意味がなかった。[804]

⚠️補足:弁護士は被告(異端容疑者)をむやみに擁護すると、自分自身が異端を疑われる危険があった。そのため、検察側の証人(被告を異端だと密告した人)を探し出して、その証言が正しいかどうかを調べる。証人・証言が信用できないと証明すれば、被告の異端容疑を晴らすことができる。

⚠️さらに補足:ただし、被告本人が異端を認めている場合は有罪確定なので、弁護士の擁護は無意味。

 さて、ボーヴェ司教は「ジャンヌに対する告発は、証人からの証言ではなく、被告の自白に基づいている」と主張した。これこそが、教義に関する通常審理が開廷する直前まで、ジャンヌに弁護人を提供しなかった理由だろう。

 ボーヴェ司教は「ジャンヌよ」と語りかけた。

「ここにいる者は全員、並外れた知識を持つ聖職者である。彼らの意志と意図は、復讐や肉体的懲罰を求めることではなく、ただ、あなたを教え導き、真理と救いの道へと立ち返らせるために、あらゆる敬虔さと優しさをもってあなたに臨むことにある。あなたは学識も教養もなく、これから議論する難しい問題について十分な知識を持っていないため、自分は何をすべきか、どう答えるべきかを判断できない。そこで私たちは、ここにいる者の中から、あなたが好きな弁護人を1人または何人か選ぶよう提案する。もし選ばないなら、私たちがあなたのために弁護人を1人任命し、あなたの言動について助言できるようにする……」[805]

 当時の裁判手続きを考えると、これは寛大な申し出だった。
 ボーヴェ司教は、彼自身が召喚した評議員や陪審員の中から選ぶよう条件をつけたとはいえ、被告(ジャンヌ)のために義務以上の配慮を見せた。

 本来、被告人に「弁護人を選ぶ権利」はなく、正直で誠実な人物を任命する義務を負う裁判官に属していた。もっといえば、教会の裁判官は、最後まで被告に弁護人を一切認めないことも許されていた。

 ニコラウス・エイメリクスは著書『判例集(Directorium)』の中で、「司教と異端審問官が共同で行動するならば、法の解釈に十分な権限を有し、弁護人の任命手続きや裁判のあらゆる付随物を省略し、非公式に、計画的に、審理手続きを進めることができる」と定めている。[806]

⚠️ニコラウス・エイメリクス(Nicolas Eymeric):14世紀後半、カタルーニャ出身の神学者で、アラゴン王国で異端審問官総長を務めた。異端審問の指針をまとめた著者として知られる。尋問より拷問を推奨し、アラゴン王フアン一世は彼を「悪魔の修道士」と呼び、二度にわたって追放した。

⚠️余談:アラゴン王フアン一世はヨランド・ダラゴン(シャルル七世の義母)の父で、二つ名は『不真面目王』。

 ボーヴェ司教は「被告人(ジャンヌ)は神と人に関する事柄について無知」という理由で弁護人の提供を申し出たが、ジャンヌの年齢を考慮してないことに注目すべきだ。

 他の法廷では、25歳未満の未成年者に対する訴訟は、弁護人の助けを受けていなければ法的に無効だった。[807]

 もしこの規則が、異端審問の手続きに拘束力を有していたなら、ボーヴェ司教は援助を申し出ることで規則違反を回避したかったのだろう。

 弁護人を選ぶ権利は司教に委ねられていたため、ボーヴェ司教はリスクを冒すことなくそうすることができた。

 ベルナール・ギーは「異端審問の手続き」と「ローマ法に準拠する他の教会裁判所の手続き」を比較した際、「私たちの正義は彼らの正義とは異なる」と正しく述べた。

⚠️ベルナール・ギー(Bernard Gui):13〜14世紀、フランス・リムーザン出身の修道士で、著書『異端審問の実務(Liber sententiarum)』で知られる。ウンベルト・エーコのベストセラー小説『薔薇の名前』では異端者をすぐに火炙りにする冷血漢だが史実は違うようで、自著のなかで拷問の廃止を訴え、自分が関わった裁判で無実と思われる人がいたと告白している。

 だが、ジャンヌはこの申し出を受け入れなかった。「まずはじめに」と彼女は言った。

「私のために、宗教上の事柄について助言してくださったことに感謝します。あなたとここに集まった皆さんにも感謝します。弁護人の申し出についても感謝しますが、私は神の助言から離れるつもりはありません。あなたが私に『誓ってほしい』と言っていることについては、あなたの訴訟に関するすべてのことにおいて、真実を語ることを誓う用意があります」[808]

訳者のこぼれ話:ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の思い出

だいぶ昔、母が映画版『薔薇の名前』をレンタルで借りてきて一緒に見たものの、当時の私にはさっぱり理解できなかった。修道院で起きた殺人事件の真相を探るミステリーだが、ショーン・コネリーが主役だったことと画面が暗かったことしか覚えてない。聖書やキリスト教神学の知識があれば面白いらしいが、今なら多少は理解できるのだろうか…。

12.13 70箇条の起訴状、修正と削除(3月27日〜4月12日)

 陪席者のひとりトマ・ド・クールセルは、検事が70箇条にわたって作成した起訴状をフランス語で読み始めた。[809]

 この起訴状は、ジャンヌがすでに非難され、根拠なく自白し、正当に証明したとされる行為を順序立てて列挙していた。宗教と聖母教会に対して犯された恐ろしい犯罪行為として、70件におよぶ告発があった。

 各条項について質問されると、ジャンヌは英雄らしい率直さで以前の返答を繰り返した。

 この長々とした告発の退屈な読み上げは、翌日の水曜日、3月28日まで持ち越され、ようやく完了した。[810] ジャンヌはいつものように、いくつかの点について回答するために猶予を求めた。

 復活祭前夜の3月31日、与えられた猶予期限が満了すると、ボーヴェ司教は牢獄を訪れ、大学の博士や教授たちの前で、約束された返答をするよう要求した。

 ジャンヌの返答はほとんどすべてが、他のすべての告発を内包する唯一の告発、すなわち、すべての異端を含む異端、つまり「戦う教会(現世・地上の教会)への服従拒否」に触れていた。

⚠️わかりにくいので補足:ジャンヌに対する70箇条の告発は、突き詰めれば「根本的な問題」ひとつに集約される。根本的な問題とは「戦う教会への服従拒否」である。戦う教会とは、教皇を頂点とする聖職者と信徒で構成される現世・地上の教会組織のこと。こまごました罪はすべて「教会組織に従わない」という一点に集約される、そしてそれは「異端」とみなされる。

 最終的にジャンヌは、いかなる人間よりも主イエスに訴える決意を表明した。これは、教皇と公会議の権威を無視することを意味した。[811]

 パリ大学の博士と教授たちは、膨大な起訴状(検事論告)を要約して主要な論点を抽出し、70箇条の告発を大幅に削減すべきだと勧告した。[812]

 神学博士ニコラ・ミディがこの作業を行い、裁判官と陪席者に再提出した。[813] そのうちの一人がさらに修正を提案した。

 フランシスコ会の修道士ジャック・ド・トゥレーヌは、起訴状の最終稿を作成する責任者で、要求された修正のほとんどを認めた。[814]

 このようにして、裁判官たちが「被告の答弁から導き出された」と主張する罪——それは虚偽だが——、ジャンヌの有罪を立証する主張[815]は12箇条にまとめられた。[816]

 これらの12箇条は、ジャンヌには伝えられなかった。

**

 4月12日木曜日、21人の教授と博士が司教館の礼拝堂に集まり、12箇条の告発を検討してから協議を行った。

 結果は、被告(ジャンヌ)にとって不利なものだった。[817]
 彼らの言い分によれば——、

 ジャンヌが自慢していた幻影と啓示は神から来たものではなく、人間の作り話、あるいは悪霊の仕業であり、彼女はそれらを信じるに足る十分な兆候を受けていなかった。
 博士と教授たちは、この女に関して、虚偽、真実の欠如、軽率に与えられた信仰、迷信的な占い、スキャンダラスで不敬虔な行為、軽率で傲慢で自慢に満ちた発言、神と聖人たちに対する冒涜、この女が父母に対する振る舞いに敬虔さを欠き、隣人への愛に欠けていたこと、偶像崇拝にふけり、少なくとも虚偽の物語を創作(invention)し、教会の統一、権威、力を破壊する分裂主義的な会話に溺れていたこと、そして最後に、黒魔術に長け、異端に強く傾倒していることを明らかにした。[818]

 もし天の声、すなわち彼女自身の心の声に支えられ慰められていなければ、ジャンヌはこの恐ろしい試練(裁判)を最後まで耐え抜くことはできなかっただろう。

 教会の高位聖職者と軍の悪党たちによって同時に苦しめられていただけでなく、ジャンヌの肉体的・精神的な苦痛は、普通の人間には到底耐えられないほどのものだった。

 それでもジャンヌは、その不屈の精神、信仰、神聖な希望、そしてほとんど陽気さといえるような性質も決して衰えることなく、それらの苦しみに耐え抜いた。

 ついに彼女は屈した。勇気は尽きないが体力が尽き果てた。
 ジャンヌは致命的な病に侵された。終焉が間近に迫っているように見えた、いやむしろ、ああ! 解放が迫っているように見えたのである。[819]

12.14 獄中の病床における尋問(4月18日)

 4月18日の水曜日、ボーヴェ司教と副審問官はさまざまな博士や教授たちと共に病床のジャンヌのもとを訪れ、慈悲深い心で諭した。病気は依然として重篤だった。[820]

 ボーヴェ司教は、「ある難解な問題について高潔な人々から尋問された際、ジャンヌの発言の多くが宗教に反するものとして記録された」と彼女に伝えた。

 そこで、ジャンヌが無学な女であることを考慮し、彼女を指導する、学識があり誠実な人を紹介すると申し出た。

 司教は、同席していた博士たちに、ジャンヌに有益な助言を与えるよう依頼した。またジャンヌ自身にも、もし他にふさわしい人物を知っているなら必ず召喚すると約束して、その人物を指名するよう勧めた。

⚠️補足:ボーヴェ司教はここでもまた弁護士をつけるよう勧めている。親切心からではなく、おそらく「25歳未満の未成年に対する訴訟は弁護人の助けを受けていなければ法的に無効」と知り、異端審問が無効になる可能性に気づいたためだろう。

 さらに「教会は、立ち返ろうとする者に対して決して心を閉ざすことはない」と付け加えた。

 ジャンヌは、彼女の救済のために言ってくれたことに感謝すると答え、こう述べた。

「私が臥せっている病状を見るに、終わり(死)が近いようです。もしそうであれば、神が御心のままに私を処してくれますように。告解(懺悔)を許し、救い主の聖体を私に与えて、聖地に埋葬してくれますように」

 ボーヴェ司教は「もし聖体拝領を望むなら教会に従わなければならない」と伝えた。

「もし私の体が獄中で死んだら、聖地に埋葬してくれるようあなたに頼みます。もしそうしてくれないなら、私は神に訴えます」と彼女は答えた。[821] そして、神、聖ミカエル、聖カタリナ、聖マルガリータから受けた啓示の真実を激しく主張した。

 再び、彼女自身と彼女の行為を聖母教会にゆだねるかどうかを尋ねられて、こう答えた。

「私に何が起ころうとも、裁判ですでに述べたこと以外に何もしませんし、何も言いません」[822]

 博士と教授たちは口々に、聖母教会に服従するようジャンヌを説得した。
 彼らは聖書から数多くの聖句を引用した。もし服従するなら聖体拝領を許すと約束したが、ジャンヌは断固として態度を崩さなかった。

「この服従については、私はすでに述べたこと以外何も答えません。私は神を愛し、神に仕える、善良なキリスト教徒です。全力を尽くして聖なる教会を助け、支えたいと願っています」[823]

 非常に困難な事態に見舞われたときは、(宗教的な)行列をするのが頼みだった。

「もしあなたが今、良い状態にないのなら、あなたを良い状態に戻すために、立派で有名な行列で練り歩いて欲しいと思わないか?」

 ジャンヌは「教会とすべてのカトリック信者が私のために祈ってくれることを望みます」と答えた。[824]

12.15 永遠の炎と地上の炎、大天使ガブリエルの訪問(5月2日〜3日)

 相談を受けた博士の中には、ジャンヌに再び教えを説き、慈悲深く諭す(訓戒を与える)べきだと勧める者が多かった。

 5月2日水曜日、63人の敬虔な博士と教授たちが城の衣装室に集まった。[825]

 ジャンヌが連れてこられ、神学博士でエヴルーの助祭長(Archdeacon)を務めるジャン・ド・カスティヨン[826]が、ジャンヌが非難されている言動を6箇条にまとめた文書をフランス語で読み上げた。

 その後、多くの博士と教授たちが順番に訓戒と慈悲深い助言を与えた。
 彼らはジャンヌに、戦う普遍教会カトリック、教皇聖下、そして公会議に服従するよう強く勧めた。

 彼らは、「もし教会がジャンヌを見捨てれば、彼女の魂は『永遠の炎』の罰という大きな危険にさらされ、彼女の肉体は『地上の炎』で焼かれる可能性がある」こと、そしてそれは他の裁判官の判決によるものだと警告した。

 ジャンヌは以前と同じように答えた。[827]

 翌日の5月3日木曜日、聖十字架発見の日に大天使ガブリエルが彼女の前に現れた。

⚠️聖十字架発見の日(Invention of the Holy Cross):コンスタンティヌス大帝が母と共にエルサレムに巡礼した際、キリストの処刑に使用された十字架を発見したのを記念して作られた祝日。1960年までは5月3日と9月14日がその日だったが、祝日の重複を避けるために5月3日の祝日は廃止、9月14日のみが残った。

 ジャンヌは以前、ガブリエルを見たかどうか確信が持てなかった。
 しかし、今回は疑う余地はなかった。ジャンヌの「声」がそれはガブリエルであると告げ、彼女は大いに慰められた。

 同じ日、ジャンヌは「教会に服従し、聖職者たちの勧告に従うべきか」どうかを彼女の「声」に尋ねた。

「もし神からの助けを望むなら、あなたの行いのすべてを神に委ねなさい」

 ジャンヌはさらに、自分が火あぶりにされるかどうかを知りたがった。
 彼女の「声」はこう告げた。

「神に頼りなさい、そうすれば神があなたを助けてくれる」[828]

 この神秘的な助けは、ジャンヌの心を強くした。

 異端者や悪霊に取り憑かれた者たちの間で、ジャンヌのような頑固さは前例のないものではなかった。教会の裁判官たちは、悪魔に欺かれた女たちの頑固さ​​をよく知っていた。

 訓戒や勧告が効かない場合、彼女たちに真実を語らせるために拷問が用いられた。しかし、そのような手段でさえ必ずしも成功するとは限らなかった。

 これらの邪悪な女たち(mulierculæ)の多くは、人間の通常の力を超える不屈の精神で最も残酷な苦しみに耐えた。博士たちはそのような不屈の精神を自然なものとは信じず、悪魔の策略によるものだと考えた。

 悪魔は、教会の裁判官の手に落ちたとしても、自分のしもべを守ることができた。悪魔は、沈黙を貫いて拷問に耐える力を彼女たちに与えた。この力は「無言のギフト」と呼ばれた。[829]

12.16 慈悲深い拷問、慈悲なき拷問免除(5月9日)ジャンヌを拷問すべきか協議

 5月9日の水曜日、ジャンヌは城の大きな塔の上にある拷問室に連れて行かれた。

 そこでボーヴェ司教は、副審問官と9人の博士と教授たちの前で、ジャンヌがこれまで回答を拒否してきた条項を読み上げた。そして、「真実をすべて告白しなければ拷問にかける」と脅した。[830]

 拷問具が用意され、2人の処刑人、既婚の書記官モージェ・ルパルマンティエとその相棒がジャンヌのすぐそばで準備を整え、司教の命令を待っていた。

 6日前、ジャンヌは「声」から大きな慰めを受けていた。
 今、彼女は毅然と答えた。

「まことに(Verily、聖書に出てくる古語)、たとえあなたたちが私の手足をばらばらに引き裂き、私の魂を体から追い出したとしても、私は他に何も言いません。もし何か言ったとしても、後になってからずっと、あなたが力ずくで私からその言葉を引きずり出したのだと主張するでしょう」[831]

 ボーヴェ司教は、拷問を加えてもこれほど頑固な被疑者には効果がないと懸念し、延期することにした。[832]

 次の土曜日、ボーヴェ司教は自宅で副審問官と13人の博士・教授たちと協議したが、意見は分かれた。

 ラウル・ルーセルは「ジャンヌを拷問にかけるべきではない」と進言した。

 なぜなら、これほど慎重に進められている裁判に不満を抱く根拠を与えてしまう恐れがあるからだ。彼は、悪魔がジャンヌに「無言のギフト」を与え、それによって彼女が悪魔的な沈黙を貫いて異端審問の拷問に耐えると予想したようだ。

 一方、教会法学士であり、ルーアンの役人顧問で大聖堂参事会員でもあるオーベール・モレルと、トマ・ド・クールセルは「拷問にかけるのが適切である」と考えた。

 ルーアンの参事会員で芸術修士であるニコラ・ロワズルールは、聖カタリナとロレーヌの靴職人を演じるという形で、この裁判に深く関与していたが、拷問の可否について明確な意見を持っていなかった。しかし、「ジャンヌの魂の安寧のために、拷問にかけることは決して無駄ではない」と考えた。

 博士や教授たちの大多数は、「当面の間、彼女をこの試練にかける必要はない」という点で一致した。理由を述べない者もいれば、もう一度慈悲深く警告するべきだと主張する者もいた。

 神学博士のギヨーム・エラールは、「判決を下すのに十分な材料がすでにそろっている」と主張した。[833]

 ジャンヌへの拷問を免除した者たちの中には、最も《《慈悲の薄い》》者たちがいた。教会裁判の精神によると「被告人への拷問を拒否する」ことは、場合によっては「慈悲を拒否する」ことと同じだからだ。

⚠️最後の部分がわかりにくいので補足:一見すると、拷問しないのは慈悲深い行為に見えるが実はそうではない。当時は、拷問は単なる罰ではなく、真実を明らかにするための手段と考えられていた。

🔸拷問の目的:当時の考えでは、被告が真実を語ることで、罪を認めて悔い改め、神の許しを得る機会を与えられる。つまり、拷問は被告の魂を救うための「慈悲」の一環だった。

🔸拷問の拒否:被告に真実を語らせて悔い改める機会を与えず、魂が救済されるチャンスを奪う。

ジャンヌの拷問を拒否した人たちは、拷問によって真実を語らせるよりも、むしろ彼女を異端者として断罪・処刑することを望んでいた。そのため、「拷問しない」は慈悲深さではなく、むしろ彼女を救済する機会を奪う、より残酷な行為と解釈できる。

12.17 12箇条の審査(1)パリ大学の意見書

 マルグリット・ラ・ポレートの裁判では、裁判官たちは専門家を法廷に召喚しなかった。[834] 立証したとみなされた告発に関して、パリ大学に書面による報告書を提出し、大学は告発の真実性以外のすべてについて意見を述べた。この留保は単なる形式的なもので、大学の決定は判決と同等の効力を持っていた。

 ジャンヌの裁判ではこの前例が引用された。

 (時系列をさかのぼり)4月21日、ジャン・ボーペール、ジャック・ド・トゥレーヌ、ニコラ・ミディがルーアンを出発し、道中で武装兵に襲われる危険を冒してパリへ向かい、12箇条の告発を大学の同僚に提出した。

 4月28日、パリ大学はサン・ベルナールで会議を開き、聖なる神学部と由緒ある法学部に12箇条の審査を命じた。[835]

 5月14日、両学部による審議の結果が厳粛な会議で全学部に提出・承認され、学部自身のものとなった。
 その後、パリ大学は審議結果をヘンリー王(ヘンリー六世)に送り、「王室は速やかに正義を実行し、この女(ジャンヌ)によって大いに憤慨している人たちが正しい教義と聖なる信仰に立ち返るように」と嘆願した。[836]

 副審問官が教皇の代理を務め、司教が王の代理を務める裁判において、「王の長女」に例えられる[837]パリ大学が、その特権の守護者であるフランス王に直接意見したことは注目に値する。

 聖なる神学部によれば、ジャンヌの幻影は虚偽であり、嘘であり、欺瞞であり、悪魔の導きによるものだった。国王に与えられたしるしは、天使の尊厳を貶める、傲慢で有害な嘘だった。

 大天使聖ミカエル、聖カタリナ、聖マルガリータの訪問をジャンヌが信じていたことは、軽率で有害な誤りだった。なぜなら、ジャンヌはそれを宗教の真実と同等のものとみなしていたからである。

 ジャンヌの予言は単なる迷信、無意味な占い、空虚な自慢に過ぎない。

 ジャンヌが「神の命令で男装している」という主張は、神への冒涜であり、神の法と教会の認可に違反し、秘跡を軽蔑し、偶像崇拝に染まっている。

 彼女が口述筆記した手紙の中で、ジャンヌは不誠実で、裏切り者で、残酷で、血なまぐさく、扇動的で、冒涜的で、暴政を支持しているように見える。

 フランスへ出発した際、彼女は父母を敬う戒律を破り、醜聞スキャンダルを巻き起こし、冒涜行為を犯し、信仰を捨てた。

 ボールヴォワールからの飛び降りでは、彼女は絶望と殺人に近い臆病さを示した。さらに、それは彼女に罪の赦しに関する軽率な発言と、自由意志に関する誤った発言をさせた。

 自分自身の救済に対する自信を宣言することで、彼女は傲慢で有害な嘘をついた。

 聖カタリナと聖マルガリータは英語を話さないと述べることで、彼女はこれらの聖人を冒涜し、「汝の隣人を愛せよ」という戒律に違反した。

 彼女がこれらの聖人に捧げた敬意は、単なる偶像崇拝と悪魔崇拝に他ならない。

 彼女が「みずからの行いを教会にゆだねる勧めを拒否」したことは、分裂的で、教会の統一と権威の否定、そして背教へとつながった。[838]

 神学部の博士たちは非常に博学だった。ジャンヌが妄想の中で大天使聖ミカエル、聖カタリナ、聖マルガリータだと思い込んだ3人の悪霊が誰であるかを彼らは知っていた。彼らはベリアル、サタン、ベヘモスだった。

 シドンの人々から崇拝されていたベリアルは、時には非常に美しい天使として表現される。彼は不服従の悪魔である。サタンは地獄の王であり、ベヘモスは鈍重で太った生き物で、牛のように干し草を食べる。[839]

 由緒ある法学部は、「この分裂主義者、この過ちを犯した女、この背教者、この嘘つき、この占い師に対し、有能な裁判官が慈悲深く諭し、適切な警告を与えるべきであり、それでもなお彼女が誤りを改めようとしないならば、世俗の権力に引き渡して、しかるべき懲罰を受けなければならない」と決定した。[840]

 これらが、尊きパリ大学が、審査と判決のために聖なる使徒座と聖なる公会議に提出した審議と決定だった。

12.18 12箇条の審査(2)筆者の疑問

 その間、フランスの聖職者たちはどこにいたのか?
 この件について、何も言うことがなかったのか?
 教皇と公会議に提出する決意をしなかったのか?

 なぜパリ大学の意見に反論し、自論を主張しなかったのか?
 なぜ沈黙を守っていたのか?

 ジャンヌはポワティエでの審理の記録を要求した。ポワティエの博士たちは、国王(シャルル七世)に乙女(ジャンヌ)を受け入れるよう勧め、乙女を拒絶すれば聖霊のギフトを拒否する恐れがあると進言した。なぜその記録をルーアンに送らなかったのか?[841]

 衰退しかけていたフランス陣営の大義を、ジャンヌがやってきて支持する前、ポワティエの博士と裁判官、パリから追放された大学教授、亡命した高等法院の弁護士や顧問たちは、背中に羽織るローブも、子供に履かせる靴も持っていなかった。

 しかし今や、乙女(ラ・ピュセル)のおかげで、彼らは日々新たな希望と活力を取り戻しつつあった。それなのに、彼らは、国王にあれほど気高く仕えた彼女を、異端者かつ堕落者として扱われるままに任せた。

 修道士パスケレル、修道士リシャール、そしてつい最近までフランスでジャンヌを取り囲み、ボヘミア人(フス派)やトルコ人(異教徒)と戦う十字軍にジャンヌとともに参加しようとしていた聖職者たちはどこに消えたのか?

 なぜ彼らは通行許可証を要求し、裁判で証言しに来なかったのか?
 少なくとも、なぜ証拠を送らなかったのか?

 つい最近まで国王に高潔な助言を与えていたアンブラン大司教(ジャック・ジェリュ)は、なぜルーアンの裁判官にジャンヌを擁護する手紙を送らなかったのか?

 王国の宰相であるランス大司教(ルニョー・ド・シャルトル)は「彼女は傲慢だが異端ではない」と述べていた。それなのに今、なぜ彼は、みずからの利益と名誉に反して、司教都市を取り戻すきっかけとなったジャンヌのために証言することを控えたのか?

 なぜ大司教としての権利を主張し、義務を果たし、不当な裁判を主導した(大司教からすれば)従属司教にすぎないボーヴェ司教ピエール・コーションを非難し、職務停止にしなかったのか?

 シャルル王がバーゼル公会議に派遣した高名な聖職者たちは、なぜジャンヌの訴訟を公会議に持ち込まなかったのか? そして最後に、なぜ王国の司祭や聖職者たちは、声をそろえて教皇への上訴を求めなかったのか?

 まるで驚きのあまり言葉を失ったかのように、彼らは皆、一斉に受け身で傍観し、沈黙していた。

 彼らは、すべてのキリスト教国が宗教問題について相談する、名高いパリ大学と教会という「太陽」が、ジャンヌの大義に厳しい光を当てることを恐れたのか?

 彼らは、フランスで聖人とみなされていたこの女性(ジャンヌ)が、結局のところ悪魔に操られているのではないかと疑ったのだろうか?

 しかし、もし彼らが、かつて信じていたことは今も真実であり、乙女が神から遣わされて、自分たちの国王を栄光ある戴冠式へと導いたと信じているならば、ジャンヌの受難の前夜に、神の娘を否定した聖職者と教会関係者たちをどう考えればいいのだろうか?

⚠️最後の部分がわかりにくいので補足
フランス陣営の聖職者たちが、かつて「ジャンヌが神から遣わされた」と信じていたことを、今も変わらず信じているなら、つまり「ジャンヌが神の意志によって王を戴冠式に導いた」と信じているなら、彼女が処刑される直前に、その神の使いを否定(=処刑を黙認)した聖職者たちは一体何なのか?
著者アナトール・フランスいわく、彼らの行動は矛盾しており、理解に苦しむ。

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