2025年下半期のベスト記事を振り返るよ!
ここ半年間で特に人気のあったnoteのまとめです。そろそろ年末年始のお休みに入る方も多いと思うので、ゆっくり読みたいタイトルがないか探してみてくださいね!
あらまし
書いた書いた! 2025年のシロイのnote、本日時点で1年分の公開済み記事数は合計98記事となりました。
さらに、年内に公開するつもりの記事があと2つあるので、今年の記事数はちょうど100記事になる見込みです。2024年の公開記事数は全部で92だったので、少しだけ増えたような形です。
ダッシュボードの年間表示はこんな感じになりました。

さて、半年ほど前に上半期(1月〜6月)のベスト記事の振り返りをやったので、今回は下半期である7月以降の記事に対して同じことをやってみようと思います。
ただし、12月中に書いた記事は最近すぎるので今回は除外して、代わりに上半期まとめに含められなかった6月終わり頃の記事を1つ含めることにしました。ちなみに上半期の記事はこちら。
下半期である今回は、カテゴリを「心理と生き方の話」「書くことの話」「趣味と生活の話」という3つに分けて、合計7記事を選出しています。
個人的に特によく書けていたかなと思う記事には、1位から3位までのメダルの絵文字(🥇🥈🥉)をつけています。では、いってみましょ〜!
心理と生き方の話 (2記事)
AIには業務でもやらせておけ、人間なら「自分はこう思う」ってちゃんと言え (8/14)
今年の3月に出した書籍「人生の意味のつくり方」では、「生きることの意味はそれぞれの主観としてしか存在できない」ということを中心的なメッセージに据えていました。
私がそこで「誤った根拠」として想定していたのは、世間に流通する「これこそが幸せだ」という先入観だとか、「こうでなくてはならない」という抑圧的な空気だとか、立派そうに見えたり成功しているように見えたりする他人の仕事論や人生論といったものでした。
しかし、去年から今年にかけて、思わぬ方向から別の誤った回答生成器が現れたような気がしています。それがChatGPTやGeminiに代表される生成AIのブームです。
文章生成AIというのは確率的にそれっぽい言葉を並べているだけで、その「それっぽさ」が「情報処理の道具としてそこそこ有効に機能している」ということ自体は驚くべき事実なのですが、それは確率的にそれっぽいだけなので、同時に驚くほどトンチンカンな受け答えとか、単純に誤った情報というものを頻繁に出力したりもします。技術が完全でないというのは当たり前のことなので、それは別にいいんです。そこを問題視しているわけではありません。
私は近年の生成AIブームに対して、さほど裕福でもないのにブランドものの小物に数十万円や何百万円も支払っている人を見たときに起こる感覚と同じようなモヤつきを覚えています。たぶん、それは道具としての質はそれなりにいいんでしょうけど、どうしてそのようなものに魔力とも呼べるような魅力を感じてしまうのか? ということが不思議なんですね。
AI生成物に関して言えば、なぜそんなものを「創作」と呼んでしまうのでしょうか。どうして機械的に生成された文字列なんかに「頼れる相棒」「相談相手」などという感情が湧いてしまうのでしょうか。個々の人間がどのようなものに価値を感じるかというのは自由なのですけど、私個人の感覚としては、そこに「謎すぎる」という感情がどうしても消えないわけです。
拙くても、頼りなくても、正しいという自信がなくても、「自分はこう思う」「自分でやりました」っていうことのほうがよほど大事なんじゃないかなあ。
お気持ちモンスターはなぜ暴れ続けるのか - 境界線とアサーション (11/20) 🥈
今期のよく書けた記事TOP3の第2位🥈。ネット上でよくあるいざこざの風景から始まって、境界線といった心理学的な用語の簡単な解説、そして「何か意見を持ちながら、誰も傷つけないでいることは不可能だ」という話に繋げています。
適当に揚げ足を取れば攻撃として成立する&バズったりもできる某ックスのような短文SNSと違って、noteって長い文章をきちんと書けないと発言に影響力を持てない世界なので、ネット上の空間としてはかなり治安のいい場所になっていますよね。ただ、この手の衝突もゼロというわけではなくて、ときどきフォロワーさんの話としても目にすることがあります。
この記事の結びの「他人はあなたの敵ではないよ」という言葉は、年明け後に出版する予定の「人間関係が苦手でもなんとかやっていくための本」でも何度か出てくる表現です。どうして私たちは他人を敵だと思ってしまうんでしょうねえ。
考え方と感じ方はみんな違っていて、誰かのそれに対して「嫌いだ」と思うことは別に問題ないんです。ネットの海には「唐揚げですら嫌いな人間はいるんだから、誰からも好かれるなんて無理」という出典不明の名言も存在しています。
ただ、そうした相手を自分を否定するもの、自己の正しさの証明として議論で打ち倒さなければならないものと考えてしまうと、お互いが不愉快になるだけで何も生み出さないバトルが開始されてしまうことになるんですよね。ほんと、そういうのって不毛だと感じます。
おれは納豆が嫌いだけど、君が納豆を食べるのを否定なんかしないから、君もおれの愛する唐揚げを攻撃しないでくれよ。
書くことの話 (3記事)
みなさんのnote、熱烈なファンがついている可能性が高いっぽいですよ! (9/12)
noteのデータ分析系の記事です。今年は「note人気ランキング」というページを7月に立ち上げたのですが、そこに機能追加や調整を加えてパワーアップさせていくのがなんだか妙に面白くて、その後「notelog」「みんなのnote通信簿」「note analyzer」といった派生サービスも立て続けにリリースしています。
今回の下半期まとめでも既に出てきているように、私は「主観的な価値や主観的な正しさというのが客観的なそれとは別にあって、実はそっちこそが大切なんだ」という話をよく書きます。その点で、この記事のデータに出ている「普通の人たちが普通に書いたnoteにも当たり前に固定ファンがいる」という事実は、「自分の感覚で何かを書けば、それはちゃんと他の人にも届く」ことの一種の証明になっているんじゃないかなと思います。
ちなみに、ヘッダ画像は今年の春に買ったM4のMacBook Airなんですけど、私も自分の書籍が売れてくれないとこんな高い買い物はそうそうできなくなってしまうので、主観的なメッセージが「お金を出してまで読みたい」という水準になるには他に何が必要なのか…みたいなこともたまに考えます。商売って難しいね〜。
文章の向こう側に愛を見せてほしいんだよって話 (10/10) 🥇
先頭の記事と同じく、AIブームへの違和感という視点から話が始まっていますが、こちらは「毎日毎日忙しいし疲れているにも関わらず、なぜ私たちはわざわざ何かを言ったり書いたりしようとするのか」に焦点を当てたものです。
自分として何かとても大切だと感じていることがあって、それに反するような風潮や意見がどこかに見られたら、私たちはそこに反論しようとしますね。反論を試みるというのは、自分の主張におかしなところがないかを点検することでもあるので、それはそれで意味のあることです。
ただ、議論に勝つとか、相手を否定するというのは本来の目的ではないでしょう。この点はさっきの唐揚げの話と同じです。
私たちが本当に行いたいこと、本当に行わなければならないことというのは、「自分が大切だと考えていることを他の人にもわかるように伝える」という対応なのだと思います。つまり、あなたにとって大切なAについて話したいのなら、BやCへの否定や批判に終始するのではなく、あくまでAの肯定的な面を示すために話を組み立てなければなりません。
私もnoteを書くときには「ここがおかしい」という問題の指摘から話を始めがちなのですが、なるべく最後には「肯定的な気づきを得られたね」という形になるように話をまとめるようにしています。それがないと、ただの悪口とさほど変わらないものになってしまうので。
その点で、この記事では「みんなにとって本当に大切なことを書こうよ」という結論をうまく示せたので、今期のいちばんよく書けた記事🥇はこれかなって思っています。
みんなも書籍の執筆で死にそうになってみてくれ、楽しいぞ (10/24) 🥉
これもさっきの金メダルの記事に似た話ですね。「それが大変だとしても、君にとって価値のあることをしようよ」とうまく伝えられたと思うので、今回の銅メダル🥉としました。
私がITエンジニア&会社員を辞めて本を書き始めた話は1年ちょっと前にも何度か書いていて、もう同じ話を繰り返す必要はないかなと思っていましたが、話の流れで久々にそのことにも触れています。10月の後半というと、夏場にず〜っと体調が悪かったのが少し持ち直してきた頃だったかな…?
メンバーシップや有料記事での収益化というのもやりがいのある話だとは思いますが、完成した紙の本を手にするっていう経験は格別だと思うので、noteを書くのが好きな人はぜひ挑戦してみてほしいなと思っています。ZINEのブーム、それからBOOTHみたいな各種プラットフォームの発展はちょうどいい追い風でしょう。
この記事にも書いたように、「やればできる」というのは精神論みたいな話じゃなくて、「作業として実行可能である」という意味です。noteを普通に書いている人にとっては、おそらくZINE作りというのも単なる実行可能な作業の組み合わせだと思うんですよね。
何かやりたいことがあって、実際にやることができるなら、それを実際にやらないなんてもったいないです。みんなも本出そうぜ!!
趣味と生活の話 (2記事)
「画家・河本絢香さんの描く『強くてかわいい』の世界 - NEW WAVE GALLERY 展示レポ」(6/21)
ブルスカでも仲良くしていただいている画家さん、河本絢香ピのご紹介記事です。私の書いた記事では、note編集部さんの「今日の注目記事」に選出されたのはこれが2回目でした。(ちなみに1回目は書籍出版の舞台裏の記事)
本文にもあるように、この春にヘッダ画像の作品を購入させていただいて、その少しあとに大阪の展示にお邪魔したときの話です。この記事については珍しく写真をたくさん載せたので、まずはページを開いて開いて! という感じですね〜。
絢香さんはつい先日の12月にも愛知にいらしていたのですが(タツコンへの出展と在廊)、私はそのときにも当日朝に「午後から行っていいですか!?」とLINEを入れて行ったんですよね…大阪行きもほんの数日前に突然決めたし、毎回いきなりすぎる…。ほんとにいつもありがとうございます。
この記事には「アートとか創作って、その人なりのやり方でこの世界を肯定することなのではないか」という視点が出てきています。みなさんがどう感じられるかはわかりませんけど、個人的には「言葉にしてみてかなり腑に落ちた」という感じがしています。私が本を書く理由もそうだもんな〜って思って。
年明け後にお届け予定の人間関係の本にも、成人後の友達作りという話題を扱った章に「ネットの可能性とその上手な付き合い方」みたいな話が含まれています。誰かと出会うたびにその人の世界の一部を受け取って、自分の世界も広がっていく…ということを本当に面白く感じるし、ありがたくも感じています。
別れた恋人のことをボロクソに言う人の気持ちがわかってしまった話 (7/12)
これ、私が過去に書いたnoteでいちばんプライベートな話じゃないかな? 7月ということは、まだ半年も経ってないのか…まあ、この話の中でどうでもいいと述べたことは本当にどうでもいいので、それはどうでもいいのですが…。
さっきの人間関係の話の続きなんですけど、親しい相手ってその人の世界の一部を分け与えてくれるんですよね。私は過去に関わった人々から、やさしさや思いやりの源泉とも呼べるような何かを受け取りました。
単なるノウハウや立派そうな教訓や人生論みたいなものじゃなくて、その人が実際にそのようにあるところを目の前で見せてくれる。この世が生きるに値しない場所ではなく、人間が信じるに値しないものではないということについて、これ以上の証拠を示すことってできますか?
それはそれとして、もう20代の若者でもないんだから、恋愛がどうこうとかほんとそろそろハッピーエンドで幕を引かせてくれ〜〜〜!!!!!(2回目)
おしまい!
というわけで、今回は2025年下半期のベストnoteを振り返ってみました。
カテゴリ分けにも表れているように、下半期は「書くことの意味」について考えた記事が多かったような気がします。私自身が本を書く理由についても書いたし、noteのフォロワーのみなさんにも「自分なりの理由を大切にしよう」という話をしていますね。
3月に出版できた本のタイトルもそのまま「人生の意味のつくり方」だったし、私にとっての2025年は「意味」について考えた年だったのかな? ということをふと思いました。
今年の振り返りとしては、シロイブックスの2025年の活動についても、除夜の鐘が聞こえる前には書き上げて公開するつもりです。本を書いている人は何を書きながらそれを頑張っているのか…ということが垣間見える内容になると思いますので、そちらも楽しんで読んでいただけたら幸いです。
では、今回の記事はこの辺で。既にお休みに入った方、月曜日を終えればお休みの方、年末年始も頑張る方などさまざまかと思いますが、どなた様もよい年末年始をお過ごしくださいね!
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