【連載小説】フルート五重奏 #5
コンクールは、一週間前に終わった。結果は銀賞だった。先輩たちの悔し涙と共に、吹奏楽部は、一週間の夏休みが始まった。
先輩たちに負けたくない、美月のように吹けるようになりたい、と夏休み中も練習に明け暮れた。
だが、夏休みの半ばを過ぎると、神経の糸が切れた。寝坊して、だらだらして、また眠るという日々を送った。夏休み最終日は、明日からまた部活かと思うと憂鬱で、布団に潜り込んでも、なかなか眠りは訪れなかった。
自分の席に座り、フルートの先っぽの頭部菅だけで音出しを始めた。指揮台の向こう側に見える、サックスパートの舞子の顔色が変わった。舞子は、私を別人を見ているかのように、観察していた。
何か可笑しなことでもしただろうか。私は、おどろおどろしい顔でも、しているのだろうか。
音楽室のクーラーが、まだあまり効いていない。暑い時は、音程が高くなりやすい。頭部菅を主管に浅く差し込んだほうが、良さそうだ。
「おはよう、チューニングから始めよう」
樋口先生が、音楽室に現れ、指揮台に上がった。音楽室を揺らす勢いで、朝の挨拶を部員たちも返した。
隣の空っぽの椅子を見た。美月は、やっぱり来なかった。
三年生の先輩たちは、高校受験の勉強に専念するために、コンクールの後、引退した。次に、三年生の先輩たちと共に演奏する時季は、高校受験終了後だ。
美月が憧れる豊島先輩には、部活で会えなくなった。美月は、練習に来る動機を失ったんだろう。
「フルートから、音をちょうだい」
チューニングで出すフルートの音色は、私一人だけのものだ。合奏の時は、自分が原因ならば、むしろ自分一人だけを叱って欲しいとさえ思っていた。だが、実際に、一人になると心細かった。
樋口先生が電子ピアノの鍵盤を押した。腹に息を溜めて、息を楽器に吐き出した。
音が揺れないようにしなければいけない。腹筋に力を入れた。もう少し低く吹かなければならない。吹く息の角度を微妙に変えた。
音程が合った。
「はい、OK」
チューニングが終わった。体から力が抜け、一つ息を吐いた。
樋口先生は、クラリネットパートのチューニングに移ろうとしなかった。神妙な顔をした樋口先生は、私を見詰め続けた。
「もう一回、音を出してくれない?」
音がずれていたのかな。大丈夫だったはずだけど、やっぱり、私の音色に問題があるのかな。
憂鬱な気分で、再びリッププレートに唇を当てた。息を吐き出した。
ポ——————
今、いつもと音が違った。
「やっぱり、音が良くなったね。よく通るクリアな音になった」
樋口先生が、言葉を噛み締めた。
「篠原、よく頑張ったね。よく練習した」
樋口先生が、にかっと笑った。樋口先生が笑うと、えくぼができた。
体全体に温かい何かが巡った。目頭が熱くなった。
私の努力は実ったんだ。
「はい、次はクラリネット」
樋口先生の視線が、隣のクラリネットパートに映った。
入部してから初めて、歓喜を伴った涙が、私の頬を伝った。目の前の樋口先生にバレないように、目を伏せた。
やっとスタートラインに立てたんだ。
鼻をすすりながら、樋口先生に視線を戻すと、向こう側に座っているサックスパートの舞子が、私に微笑み掛けていた。
昼休みに入ると、舞子が私の席にやって来た。
「おめでとう」
何を言われているか分からず、楽器をクロスで磨いていた手が止まった。舞子は、母性を滲ませた笑みを浮かべていた。
「毎日、練習を頑張っていたでしょう? 練習部屋が同じだから、私にも分かるよ。本当に良かったね。どうしても、伝えたくて」
舞子のまっすぐな言葉が、私の胸を突いた。
「ありがとう」と返した私の声は、蚊の鳴くような声だった。再び目頭が熱くなった。涙が零れないように、目を大きくした。
「うん、午後も頑張ろうね」
舞子の笑顔は、太陽のようだった。
私は一人じゃなかったんだ。(続く)
第1話
第2話
第3話
第4話
第6話
第7話
第8話
第9話(完)
使用した吹奏楽曲
