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【連載小説】フルート五重奏 #6

 エアコンのない教室は、室内とは思えないほど、冷え込んでいた。私は、コートを着たまま、黙々と練習を続けた。

 吹奏楽部にとって、冬はアンサンブルの季節だ。年末年始に開催されるアンサンブルコンテストには、各校から二組まで出場できる。
 出場しない部員たちも、アンサンブルに取り組んでいる。部内でクリスマスコンサートを開き、全員が練習の成果を披露する予定だ。

 美月は、三年生の先輩たちが引退してから、一度も部活に来ていない。私は、美月と二人でフルート二重奏を吹く予定だった。だが、いつまで経っても部活に来ない美月に、樋口先生は見切りを付けた。その結果、私一人でフルートのソロを吹く運びになった。

 明るいポップソングGreeenの『キセキ』。フルートで吹こうとすると、難しい。リズムが取りにくく、メロディーも、楽譜に起こしてみると、音符が多い。テンポも速い。

 練習部屋を共有しているサックスパートは、今日は、音楽室で外部講師のレッスンを受けている。練習部屋には、私一人しかいない。
 教室の後方に陣取ると、メトロノームをテンポ六十に設定した。誰もいない教室に、カチカチとメトロノームの音が虚しく響いた。

『キセキ』のテンポは、九十。
 遅いテンポから練習を始めた。何度も練習していたため、テンポ六十は、大丈夫だ。次は、テンポ七十。吹ける。テンポ八十。少し速い。指は追い付いているが、サビの一つ一つの音が、おざなりになっている。
 もっと丁寧に。音符一個一個が、立体的になるように。
 練習して、気になった箇所を楽譜に書き込む。練習して、気になった箇所を、また書き込む。

 練習のループに一区切りが付くと、時計の秒針の音が、耳に入ってきた。
 今は何時だろう。五時三十分には、楽器を片付け始めないと、帰りのミーティングに間に合わなくなる。
「わあ!」
 教室の前の時計を見ようと、視線を楽譜から上げると、教室のドアの窓から、樋口先生が、私の練習風景を観察していた。
 樋口先生は苦笑しながら、教室に入ってきた。

「すごい集中力だね。いつまで経っても、気付かないんだから」
「あの、樋口先生。いつから教室を覗いていましたか」
「三十分くらい前から」
 全く気付いていなかった。頬が熱を帯びていった。
 樋口先生に返す言葉を探したが、混乱した脳は、適切な言葉を見つけられなかった。樋口先生が、凛とした声を出した。
「今の段階で、十分に吹けている。自信を持って、練習するように」
 反射的に、大声で「はい!」と返事をした。
 先生がお墨付きをくれた。初めてだ。
 今度こそ、時計を見た。五時二十分。残り十分は練習できる。

「篠原、ちゃんと休憩を取ってる?」
 最後に休憩を取った時刻を思い出そうとした。だが、思い出しようがなかった。個人練習が始まってから、一度も休憩を取っていなかった。
 樋口先生が、眉を寄せながら、慎重に言葉を紡いだ。
「もしかして、休憩を取らずに、ずっと練習をしていたの?」
「……まだまだなので。休憩を取っている余分な時間がないので」
 先生は呆れたように、視線をくるりと回した。
「もしかして、それが篠原にとっての普通なの?」
「……私は上手くないので、他の人より練習時間を長く取らなければいけないので」
「篠原は努力家なんだね」
 私が努力家?
 誰にも言われた経験のない言葉を、私の脳の回路は処理し切れなかった。頭の中で疑問符が飛び交った。
 樋口先生が、溜息交じりに、私に言葉を投げ掛けた。
「気付いていなかったの? ここまで練習に熱心に取り組める部員はなかなかいないよ」

 樋口先生は、手近な机に寄り掛かった。
「正直に言うと、最初、篠原の音が、あまりにも、酷かったから、パート分けし直そうかと迷いながら、観察していた。夏休み明けに、急に良い音を出し始めて、私が驚いたよ」
 周囲を冷気が漂っているにも拘わらず、私の額に汗が滲んだ。
 知らない間に、私は薄氷の上を歩いていた。
「今日も、当然のようにしている、篠原の一所懸命な努力の積み重ねが、私の予想を裏切ったんだね。篠原が努力家で良かったよ」
 樋口先生が、優しく私に微笑みかけた。(続く)

第1話

第2話

第3話

第4話

第5話

第7話

第8話

第9話(完)

使用した吹奏楽曲

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#エンタメ原作部門

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