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【第6回】学校をハックした軌跡(前編) | 居場所ルーム拒否からの逆転劇。味方を作るルート

入学前の面談時、不登校の子たちが通う「居場所ルーム」の存在を聞いた。

実は入学前に学校側と面談をしていた。当時は学校に毎日登校できるかわからない状況ではあったが、すでに足元は危うかった。幼稚園での3学期は、イジメにより1月末から不登園になったり、娘の特性が改めて明らかになっていった期間でもあったからだ。

幼稚園とも何回か面談とメールのやり取りを重ねた。当時、大人が知らない間にイジメがあったことに、私はブチ切れていた。自分に対しても怒っていたし、園に対しても同じくらい怒っていた。

なかなか意見の言えない私にしては、かなり本音で話したと思う。

大人が知らない間に起きていた理不尽な状況に対して、私は激しい怒りを感じていた。普段なら波風を立てないように黙っている私だったが、あの時は娘の尊厳を守るために、園に対して本音で、一歩も引かずにこちらの主張をぶちまけていた。
相手の子の家庭環境が悪いからといってその行為が許されるわけではない、と。

もちろん娘の状況についても話した。最後は私の生育歴にまでに及ぶことになった。

結局、卒園式も出ずに卒園した。私の腑が煮えくり返っていたからだ。そこに娘の意思はない。娘がなんと言おうと、いじめた子に二度と会わせたくなかった。

休んでいる間、幼稚園で子どもたちが「なんで◯◯ちゃんは来ないの?」と質問してきたらしい。「どう子どもたちに話せばいいか、一緒に考えましょう」みたいなことを園から言われた。一見、私たちの尊厳を守るような申し出だったが、私はその提案を無視した。

だって、残った子どもたちのケアは幼稚園の仕事だから。私の領分は、娘を守ることだけにある。他人の領域のケツ拭きまで、私が背負う必要はない。第4回で書いた「境界線」を、私はここでも必死に死守していたのだ。

そんな私の本気の覚悟が伝わったのか、なんだか園長先生は私を応援してくれるようになった。

そんな経緯もあり、園側の計らいで、当時の幼稚園の先生方が一緒に小学校へ面談に行ってくれた。今冷静に考えれば、幼稚園の先生たちが味方として一緒に面談に来るなんて「なんだこの親?!」と、小学校側も少しはざわついたかもしれない。

面談の最後に、園の先生は「このお母さんは賢いですよ。文章はさらにすごい。そして動きが早いですよ」と冗談っぽく私のことを紹介してくれた。


入学後、1週間の危うい状況を見て、その週末の金曜日に私は居場所ルームを見学したいと申し出た。娘も希望していた。

しかし、担任の先生からは「NO」が出た。

めちゃくちゃ悔しかった。娘が学校の中で安心できる場所を作りたかった。その可能性が居場所ルームにあるのか、確かめたかった。

本当に、マジで毎日毎日、気が狂いそうになるくらいしんどかった。進んでは倒れ、進んでは倒れを繰り返していた。私は決して、最初から強い母親だったわけではない。
「もう絶対に、これ以上は動けない」
倒れるたびにそう絶望した。

だけど不思議なことに、4月に入ってからの私は、3日もすれば勝手に起き上がって次の作戦を練り始めていた。3月までは、立ち直るのにもっと時間がかかっていたのに。「私、もう次の作戦考えてるわ……」と、必死すぎる自分に途中で笑えてきたくらいだ。サラッとやってのけたわけじゃない。ただ、娘の仕様を前にして、立ち止まっている暇なんてどこにもなかった。

その悔しさに拍車をかけられ、私は速攻で小児精神科を予約した。月曜日には、予約したことを病院名とともに担任の先生に伝えた。

4月末の小児精神科の受診前、担任の先生から「通級指導」というものを紹介された。ドクターは支援級には否定的であったが、通級指導については「やってもらったらいい」と背中を押してくれた。

私は支援級にねじ込むことばかりを考えていたが、ここに来て作戦を変更する必要が出てきた。

自分でも方針が定まらない中、翌々日にスクールカウンセラーとの面談があった。ひとまずドクターに書いた資料の中の「イジメの芽」の部分5枚は保留にして、娘の特性について書いた5枚にドクターの見解も交えて面談に臨んだ。

面談の始めに、スクールカウンセラーさんに資料を渡した。スクールカウンセラーさんは資料を読もうとしていたが、なんだか時間のロスな気がした。

「後で読んで頂ければと思います。かいつまんで話します。」

自然と言葉が出ていた。娘のトリセツとドクターの見立てを詰め込んだこのA4資料は、診察室では武器として持ち込んだが、今の私にとっては「お守り」に変化していた。お守りに縋る必要は、もうない。ドクターの見立てという伝家の宝刀を中心に、こちらのペースで一気にかいつまんで話した。

そこから先は、本当に話がめちゃくちゃスムーズに進んだ。スクールカウンセラーさんは、通級指導と居場所ルームの活用を提案してくれ、学校も驚きの速さで対応してくれた。ゴールデンウィーク明けには、週に1回1時間の通級指導がはじまったのだ。

ゴールデンウィーク、娘はとてもののびのびしていた。短いけれど学校に行っていた時とは別人だった。

過剰適応でおかしくなっていた子が、かなり自己中心的な、裏付けのない自信を炸裂させて、大人顔負けのメタ認知を発揮していた。もうカオスだったのだが、「娘って本来、こういう子なんだ」とじんわり感動した。

その姿を見て、学校はカスタマイズして利用すればいい。娘の絶好調ありきで進んでいけばいい、と確信した。


私は晴れ晴れした気分だった。

しかし一方で、平日の昼間から娘とのんびり外を歩いていると、「不登校の、かわいそうな親子」に周りからは映ってしまう。

今住んでいる場所に引っ越してきて2年と少しになる。縁もゆかりもない場所だったけれど、今では少しご近所付き合いもある。私たちの姿を見て、みんな心配そうな、なんとも言えない顔になる。その反応を見て、「ああ、そうだ。世間では私たちはかわいそうなんだ!」ということを思い出す。

「心配しなくていいですよ!」という気持ちと、娘に「これでいいんだよ!」と背中で示したい気持ちから、私はそういう人たちに自分から事情を話すようにした。

この時にも、ドクターの「みんなが長距離走している中で、娘は100m全力疾走しては倒れてる」という表現が最高に使える。みんな「なるほど!」となる。長距離走を、100m走のスプリンターが同じペースで走り切れるわけがない、と。

私にとっては明るい話なので、明るく話す。だからか、みんなの反応は上々だった。中には不登校に関する話を聞きたくなくて遮る人もいたが…。

「わかってくれるお母さんでよかったね!」と、娘に笑顔を向けてくれる。
娘は時々、「ママのことが、無限に大がつくくらい好きなの!」と返す。

「学校に行かなくてもいいよ。好きなこといっぱいしたらいいよ」
そう言ってくれる人たちの心の中にも、「大変そう、かわいそう」と思っている部分はきっとある。

みんなに説明して回っているわけではないから、なんとなくそんな目で挨拶をされることだってある。

でも、これらの温かい言葉は、娘にとっては「学校に行っていない自分」を肯定的にとらえるための、何よりのガソリンになっているに違いない。

周囲の理解という名の地ならしをして、娘が安心して外の空気を吸える環境を、少しずつだけれど、私たちは自らの手で整えていっている最中だ。

病院、学校、幼稚園――と、この短期間にいろんな組織とかなり濃く関わり、ぶつかりまくった。

本文を読んで、組織の歯切れの悪さにモヤモヤした方も少なからずいるのではないだろうか。

誰も悪くないのだ。ドクターも、学校の先生も、幼稚園の先生も、そして私も、全員が「娘のために」と必死に動き、真面目にやっている。悪意を持った人間なんて、ここには一人も登場しない。

なのに、なぜか全員が苦しい。

あの診察室や面談室の空気に漂っていた、なんとも言えない「歯切れの悪さ」。それこそが現代の不登校を取り巻く、いびつな構造そのものだったのではないか。



次回は、その謎を探っていく。

【第7回】学校をハックした軌跡(後編) | 先生の「傷つき」を演算し、お互いの境界線を守るロジック に続く


▪️連載のラインナップ▪️

【第1回】「不登校という権利」の奪い方|周囲の同調圧力から自尊心を死守するサバイバル術

【第2回】WISC103」の罠|数値に現れない子どもの限界と脳のサバイバルモード

【第3回】病院をハッキングする方法|ドクターにA410枚の資料を叩きつけた理由

【第4回】子どもの牙を折らない育て方|ちまたのアンガーマネジメントが不登校児を追い詰める

【第5回】育児は最大の「自分を知るチャンス」 娘の全肯定が、過去の私の傷を救い出す

【第6回】学校をハックした軌跡(前編) | 居場所ルーム拒否からの逆転劇。味方を作るルート

【第7回】学校をハックした軌跡(後編) | 先生の「傷つき」を演算し、お互いの境界線を守るロジック

【第8回】学校のトラックを降りる日 | 100mスプリンターたちが広大な大地で生きる知恵

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