老化に寄り沿う介護~介護のための「身体図式」本論~
人間の身体、ADL等について、フランスの哲学者、メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908年~1961年)の「身体図式(schéma corporel)」という概念などを用いて、私たちの身体や老化、そして介護について考えてみたいと思います。

身体図式理論では、ADLやIADLの低下は、単なる筋力低下や機能不全ではなく、「身体と世界(環境)との間の密接不可分な関係性の変化」として説明できます。
以前、この「身体図式」という概念で「よそよそしい自分の身体」という記事を書いたことがりますが、今回は、もう少し介護に引き付けて考えていきたいと思います。
また、「身体図式」については以下のnoteをご参照ください。
よく「寄り添う介護」と言われますが、「寄り沿う介護」もアリだと思います。本来は「寄り添う」と書くのが正しいのでしょうが、ここではあえて「沿う」という表現を使いたいです。
「添う」は離れずにそばにいる状態を表し、「沿う」は並行して進むことを意味します。老化していく人の介護では、状態を示す「添う」よりも、老化の進行に「沿って」共に歩む方がふさわしいと思います。
1.老いの経験
身体図式とは「自分の体がどこにあり、どう動かせるかを、いちいち考えなくても把握している無意識のネットワーク」のことです。 私たちは自分の手を動かすとき、「まず肘を15度曲げて、次に指の筋肉を・・・」なんて考えません。考えなくてもそれができるのは、身体図式が常にバックグラウンドで働いているからです。
ざっくり言えば、身体図式とは、Windows、macOS、LinuxOS等と同じ身体のOS(オペレーティングシステム)のようなものです。
身体図式の観点では、ADL/IADLの低下は「身体が物理的な機械として劣化した」のではなく「世界と私の身体をつなぐ身体図式が縮小・硬化し、環境と身体がうまく循環しなくなった状態」と捉えられます。
この身体図式概念を基軸にして老化について考えてみます。
(1)老化は「習慣的身体」と「現在の身体」のズレ
年をとると、階段の昇り降りで足がもつれたり、段差のない場所でつまずいたりすることがあります。これは、幻肢の例で紹介した「習慣的身体」と「現在の身体(今の能力)」とのギャップが、老化でも起きていると考えられます。
簡単に言えば、身体図式が更新されず、「かつてのスピーディーな自分」という感覚で世界に反応しようとするため、現実の身体との間にズレが生じるのです。
極端に言えば、一種の「全身的な幻肢状態」とも言えるでしょう。
(2)重たい荷物に変わる身体
健康で若い頃、身体はまるで「透明な存在」です。
歩くときに足の筋肉を意識することもありません。しかし、年齢を重ねて身体図式がうまく機能しなくなると、身体は「透明なメディア」から「重たい荷物」へと変わってしまいます。つまり、ADLが低下すると身体はお荷物のように感じられるのです。
これまで無意識(身体図式で)に行っていた「歩く」「立ち上がる」といった動作も、「右足を上げて、次に左足に体重を乗せて…」と頭で考えながら、あるいは介護職員の声掛けに合わせて行わなければならなくなります。
身体図式的に言えば、世界に没入することが難しくなり、意識は痛みや不調、できないことなど自分の内側に向かうようになります。
さらに、思うように身体を使えず、自分の身体が客観的に観察する「物体」のように感じられることで、「面倒くさい」や「無理だ」という感覚が生じ、自発的な行動意欲が失われていくのです。
(3)空間の縮小
身体図式は「どこまで手が届くか」「どこまで歩けるか」といった世界の広がりを決めています。年齢を重ねると、この「広がり」はだんだん狭まっていきます。
身体の可動域が小さくなると、身体図式における「自分の世界」も縮まり、以前は「歩いて行ける」と感じていた場所が、心理的にも物理的にも「遠く」に変わります。身体図式が弱まることで、世界への働きかけが減り、その結果、世界自体が活力を失い、狭く感じられるようになるのです。
(4)老化への適応:身体図式の「再構築」
老化はただ失われるだけではありません。身体図式は「再構築」が可能です。
①道具による再構築
例えば、杖や歩行器、眼鏡などを使うことで、低下した身体機能を補完し、身体図式をそれらの道具へと拡張します。「盲人の杖」のように、使い慣れた道具は「持っているモノ」から「自分の一部」へと統合されて行きます。
②新しい習慣の獲得
また、「ゆっくり歩く」や「手すりを使う」といった新しい動作が身体図式に取り入れられ、つまり新しい習慣として身につくことで、ズレが解消され、再び世界との調和(新たな安定)が生まれる可能性もあります。
(5)老化による変化
老化とは、「身体のイメージが変わっていくこと」や「世界とのやり取りのルールが書き換わっていく過程」と言えるかもしれません。
以下に、老化によって生じる身体イメージの変化を表にまとめてみます。

身体図式の視点から見ると、介護やリハビリテーションは「筋力を回復させる」だけでなく、「新しい身体で再び世界を信頼し直す(図式を更新する)」ためのサポートでもあると言えるでしょう。
2.身体図式の再生に向けた介護
メルロ=ポンティの身体図式の理論を介護に応用すれば、「機能を維持・改善し補うための介護」から「その人の世界をよみがえらせる介護」へと変える大きなヒントが得られます。
(1)「機能回復」から「意味の回復」へ
リハビリでは、単に「足を30度上げましょう」といった筋肉の動き(客観的な身体操作)だけでなく、「あそこにあるお茶を自分で取りに行こう」といった目的(世界への働きかけ)を重視する方が良いと思います。
なぜなら、身体図式は「私は〜ができる」という確信によって動き、解剖学的な動きよりも「〜したい」という意図を伴う動きの方が、脳と身体のネットワーク(図式)が再構築されやすいからです。つまり、リハビリでは「ただ動かす」のではなく、環境との相互作用を通して無意識的・習慣的な身体性を取り戻すアプローチが大切です。
(2)環境のアフォーダンス(Affordance)を整える
アフォーダンスとは、モノや場所などの環境が人や動物に与える「行動の可能性」や「行動を促す機能」のことです。
例えば、椅子は「座る」、取っ手は「つかむ」、床は「立つ」という行動を自然に促します。人は道具の形や特性から、その使い方を直感的に認識できるのです。
この考え方はユニバーサルデザインの「直感的な操作性」を支える手法でもあり、例えば、取っ手なら縦長のバーは「握って引く」、板状のプレートは「押す」という行動を促します。

このアフォーダンスの観点から、施設内の環境を、身体図式が「自然に反応できる」ように整えることが大切です。ようするに、介護施設の環境も、体が自然に反応できるよう整えることが大切と言うことです
手すりもただ設置するだけでなく、ふらついたときに自然と手が届く位置にあるかを確認する必要があります。
身体図式に「掴めるもの」として組み込まれれば、意識せずとも体が反応し、転倒予防にもつながります。
(3)福祉用具の身体化を支援する
車椅子や杖は、ただの「外部の道具」ではなく、「身体の一部(拡張された手足)」として馴染ませることが大切です。
杖は道具でありながら、身体の延長になり得るものであることを忘れてはいけません。杖を使う感覚が、単に「地面を突く」ではなく「地面の様子を探る指先」のように感じられるまで、ゆっくりと身体図式に組み込まれるよう支援することが重要です。
また、介助者が車椅子を急に動かすことは、その人の「身体の一部」を勝手に掴んで動かすのと同じだということも理解しなければなりません。福祉用具は利用者の拡張された身体の一部であるという理解は、介護においてとても大切なのです。
(4)習慣的身体へのリスペクト
認知症などで現在の状況がわからなくなっても、長年培われた「習慣的身体」は深く刻まれています。
元大工さんであれば、金槌を持つ動作によって身体図式が刺激され、普段は動かない手が自然に動くこともあります。
その人の人生に根付いた「習慣」を探り、かつて得意だった動作を日常に取り入れることで、途切れてしまった「今」と「昔」の身体をつなぎ直すことも大切です。
(5)間身体性で繋がる介護
メルロ=ポンティは、自分と他者の身体は互いに影響し合う「間身体性」があると考えています。つまり、自己と他者の身体は単なる物質的対象ではなく、相互的で循環的なつながりを持っているということです。
もともと身体は、触れると同時に触れられる存在(自己触知)であり、この仕組みは他者との関係にも当てはまります。他者の身体を見たり触れたりするとき、私と相手の身体は「肉:シェール」という共通の領域で結びついている、と彼は考えました。
介助者が「重い人を持ち上げる」ときに緊張していると、利用者の身体もこわばります。逆に、介助者が自分の身体を柔らかく使い、相手の動きの「リズム」に合わせると、利用者の身体図式も同調し、最小限の力で動けるようになります。移乗などの介助が上手な介護の達人は、この間身体性をうまく活かしているのでしょう。
(6)世界を再生する介護
若い頃の身体図式は「すぐ動ける」「バランスが取れる」という前提でできていますが、年を取って身体能力が落ちても、その図式はすぐには変わりません。そのため、思ったより足が上がらずに躓いたり、以前はできたことができなくなったりといった「ズレ」が生じます。これが私たちが「老化」を感じる原因なのです。
高齢期は「身体と世界の関係をもう一度調整すること」が求められる時期です。だからこそ、介護者は「本人が今どんなふうに世界を感じているのか」という視点を持つことが大切です。
身体図式の理論から見ると、介護は「お世話」ではなく、その人が再び「自分の身体の主」として世界と関わるための共同作業になります。
つまり、介護は単なる「作業としての介助」ではなく、「その人の世界を再び作り出すケア」なのです。

3.認知症と身体図式
認知症は一般に「記憶障害・理解力の低下・判断力の低下」に注目されがちですが、実は身体図式とも深く関係しています。
(1)身体図式が損なわれることで「世界のまとまり」が崩れる
身体図式とは、自分の体がどこにあり、どう動けるか、空間がどう成り立っているかといった、身体と世界をつなぐ基盤のことです。認知症になると、この身体図式が乱れ、その結果、さまざまな問題が起こります。
いつも通りの部屋にいても「ここはどこ?」と感じる
物との距離感をつかみにくい
自分がどの場所にどう立っているか不安
「次にどう動けばよいか」が直感的に分からない
台所での一連の動作(料理など)がうまく繋がらない
これは単なる記憶障害ではなく、「身体を通して得られる世界の体験の一貫性が崩れている状態」と考えることができます。
(2)記憶/時間構造の変質は「生活の連続性の断絶」として現れる
認知症では、見当識障害や時間感覚の変化によって「生活世界(記憶や文脈)」が分断され、身体が「今」の状況や「次の動き」とのつながりを失ってしまい、立ち止まったり、見当違いの行動をしたり、不自然な動作を繰り返すといった「身体的な流れの断絶」が起こります。
日常生活は「お茶を飲む」「入浴する」など、連続した動作の積み重ねでできていますが、その連続性が途切れると(今何をしているのか、なぜしているのかが分からなくなると)、身体は、次に何をすべきか分からなくなります。
例えば「服を脱ぐ→洗う→拭く→着る」という入浴の流れが分からなくなり、脱衣所で動けなくなったり、トイレに行こうとしてズボンを下ろす手順を忘れてしまったりします。中には排泄物を隠そうとして擦り付けるなど、行動に社会的な文脈が欠けてしまう場合もあります。
このように、認知症では生活世界の連続性が途切れてしまうのです。
(3)他者の動きの意図がわからなくなる
身体図式は、相手がどう動こうとしているかを無意識に読み取り理解するための基盤です。
これは自分の体の位置や動きを無意識に把握するマップであり、他者の動きを見たときに脳が自分の運動システムを使ってその動きを自分のマップに写し取ります。いわゆる「ミラーニューロンシステム」と連動してシミュレーションを行っているのです。
しかし、認知症が進行すると、この身体図式による動きの読み取り機能は低下・変質し、うまく働かなくなる可能性が高まります。
介護現場では次のような行動が見られるようになります。
動作のぎこちなさ(失行):相手の動きを模倣したり、道具を上手く使うことができなくなります(相手がスプーンを出してくれても、どう受け取ればいいか分からない)。
他者への急な接近や衝突:相手との距離感(パーソナルスペース)が把握できず、急に近づいたり、ぶつかったりします。
相手の意図が読めない:介護者が「着替えよう」として服を差し出しても、その意図が理解できず、拒否や混乱を引き起こします。
「身の回り」に関する認識不足:自分の身体の一部や、手の届く範囲にある他者の動きを意識できなくなります。
これは、「他者の身体=意味ある行動」として受け取る力が不安定になっているためです。
4.身体図式に基づいた「認知症ケア」
(1)言葉より身体でコミュニケーションする
認知症の方は言葉による理解が難しくなりますが、身体的な世界はまだ残っているので、介護するときは、その身体性を生かし次の点に留意しては如何でしょうか。ユマニチュードの基本と同じですが、それはユマニチュードが身体図式を基盤にしているということなのだと思います。
ゆっくり近づく
視界に入りながら声をかける
手や肩に触れて存在を伝える
一緒に動作して「身体を合わせる」
認知症ケアでは、上記のような間身体性を基盤とした身体的共鳴を用いることが有効だと思われます。
身体的共鳴(響き合い)とは、他人のあくびや動作、表情などを目にすると、自分の体でもそれが自然と再現されたり反応が起こったりする現象のことです。これは、身体が単なる物質ではなく、知覚の主体として意味を生み出す能力(身体図式)を持つためです。
(2)空間と動線を単純化する
認知症の方は複雑な空間が苦手で、身体図式がうまく働かないと空間の意味を理解できません。だからこそ、次のような点に気をつけることが大切です。
部屋のレイアウトを変えすぎない
行動の動線を一本にする(例:トイレへの道を明確にする)
戸棚は透明な扉にする、または開けておく
必要な物は見える場所に置く
座る/立つ/移動への誘導を身体的にサポートする
環境整備は認知症ケアの大事なポイントです。先に触れた環境のアフォーダンスを整えることは、とても重要です。なぜなら、本人の身体図式が安定していなくても、環境が「外部の身体図式」として機能するようになるからです。
(3)一緒に動いて、身体的な連続性を取り戻す
認知症になると、身体図式が環境にうまく適応できず、自分の体と周囲との関係を正しくつかめなくなり、日常動作(ADLやIADL)がちぐはぐになりやすくなります。
つまり、動作がバラバラ(動作の断片化)になったり、順序がわからなくなったりします。そこで、介護者は「動作の流れや順序」を実際に体で示しながら、デモンストレーションや軽く触れて誘導するなどの支援が必要になります。
歯ブラシを手渡す → 手に添えて口元へ誘導
料理を一緒にすると作業がスムーズになる
お風呂で洗う順番を身体を使って誘導する
これは「失った身体図式を補っていく」ことです。
(4)認知症ケアにおける観察・考察ポイント
認知症を身体図式の視点から捉えると、次の点をじっくり観察し考察することが大切です。
自分の身体で世界をどう感じているか
どんな動きができると感じているか
日々の生活の流れや習慣が途切れていないか
他者の身体の意味を理解できているか。
以上の状況を踏まえ、介護においては次のような配慮が求められます。
• 言葉より身体の動きでコミュニケーションを図る
• 環境を外部の身体図式として整える(アフォーダンスを活用)
• 一緒に動作し、身体的連続性を支える
• 行動の背景を「世界の体験が変わること」として捉える
以上、介護、認知症ケアには科学的な基盤のみならず、身体図式等の現象学的な理解も必要だと思います。
特に、客観的事実、エビデンス、つまり、介護を三人称で語る科学的介護が隆盛を極めつつある現在、一人称で語る現象学的、実存論的介護も必要なのだと思います。
認知症に関しては以下のnoteもご参考にしてください。
