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【まとめ】 芥川賞50作品読んでみた感想(皆さんのおすすめも聞きたい)

みなさん、芥川賞作品読んだことありますか?
もしおすすめのものや印象深いものがあれば、コメントで一言おすすめしてもらえると嬉しいです。


これまで読んだ芥川賞作品

1冊目の記録が2023年1月で、現在2025年5月ですので、2年4ヶ月程度ここまでかかりました。数ヶ月読んでない時期とかもありましたが、平均するとひと月約1.8冊(50冊/28ヵ月)読んだ計算になります。

まだまだ道のりは長いですが、50冊でも傾向は掴めてきたなという感じがします。

一眼でわかるようにまとめてみました

トピックがはっきりしていて考えさせられる本を理性的、そうではないけど文章が綺麗でジーンと余韻を与えてくれるものを感性的としています。上に行くほど個人的におすすめです

もっと詳細に分けておすすめする記事を準備しています。上の図はてきとうに眺めてみてください。

詳しく紹介しながらテーマごとにオススメする記事を書きました

個々の作品はこちらにアーカイブしてます


ちょっとした分析


そもそも芥川賞ってなに

大正時代を代表する小説家の一人・芥川龍之介の業績を記念して、友人であった菊池寛1935年直木三十五賞(直木賞)とともに創設し以降年2回発表される。第二次世界大戦中の1945年から一時中断したが1949年に復活した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/芥川龍之介賞

なんで年に二回も決めんねんと思っています

戦後・戦前あたりで文体の変化が起こった?

まず賞自体が「結構古いんだなあ」と思いました。古い作品はまだ未読が多いですが、安岡章太郎や吉行淳之介(1950年年初期)あたりからは文体として読みやすい気がします。喪神は主題の時代背景がまず古く、文体も古さを感じます。戦後・戦前あたりで小説界に全体的な文体の変化が起こったのだろうかと気になりました

安部公房は思想に古さは感じませんし(むしろ奇特)、文体・文章は彼の独特さだと思っているので、文体の転換が戦争前後にあったのかは戦前の作品をもっと読んでみて確かめたいです。

経済成長と身体の消失

大江健三郎『飼育』や石原慎太郎の小説(1950年後期)には「自然」とつながった「身体」がテーマとして染み込んでいると感じました。それは中上健次『岬』や高木修三『榧の木祭り』(1977年)まで受け継がれていますが、これ以降同じ身体を描いた作品が失われたような気がします。

1950年代後半〜1970年後半は、敗戦からの復興を経た高度経済成長期と重なります。経済的に豊かになったことと引き換えに自然と身体のつながりが離れてしまった(断たれてしまった)ことが原因ではないでしょうか。


つながりの再建が叶わなかった焦りや空虚さが小説を書く原動力となる

つながりの再建が叶わなかった苛立ちや焦りが暴力へと転換されていく様を描いた代表作が『限りなく透明に近いブルー』でしょう。

三田の『僕って何』(1977年)は学生紛争という集団レベルに拡大した暴力性の中で生きる自分を見失った大学生を描いたものです。学生運動ではありませんが『杳子』にも繋がりを失い再建もできない女性が出てきます。

2000年以降も『蛇にピアス』や『土の中の子供』のようにやり場のない暴力性を描く作品はあるのですが、やはり振りかざした手は宙を切ります。

よって、振った手が何も捉えられないのならば、無駄な努力をやめようとその空虚感を描く作品が多くなります。早くは1987年池澤の『スティル・ライフ』から『ニムロッド』(2018年)まで虚無な作品は続きます。

この傾向はこれからもしばらくは続くと思われます。(なぜなら解決していないので)現在は、空虚さを正面から描くだけでなく、さまざまな方向へ手を伸ばすように方向性が探られているように感じられます。そこでも原動力となっているのは自然を失った身体が繋がりを再建しようとする心だと考えられます。


と、長々と書きましたが私が文学の素人ですので、誤解があれば教えていただきたいです。そのテーマならこの本もおすすめ!というコメントも歓迎です。芥川賞じゃなくても、小説でなくてもなんでも構いません。



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