我が子の経験から考える、東大生の習い事に「水泳」と「ピアノ」が多い納得の理由
「東大生の多くが子どもの頃に水泳やピアノを習っていた」
という話を耳にしたことがある保護者の方も多いのではないでしょうか。
東大生=勉強だけやってきたガリ勉集団の時代など、とっくに過去の話です。
私の子どもは東大生ではありませんが、4歳から水泳を習い始め、今もなお水泳部に入って泳いでいます。
きっかけはお風呂で足が床に触れただけで大泣きするほどに水が嫌いすぎて、このままだとプールの授業で困るというのが目に見えていたため、近所のスイミングスクールへ入れました。
そんな理由だったのでクロール25mが泳げるようになれば辞めてもいいか、と軽く考えていましたが、子どもは気がつけば水泳が好きになり、小学4年生から選手コースへ行き、中学・高校と水泳部で大会へ出場して結果を出しつつ、部長を務め、医学部に入った後も医学部の水泳部に入り、未だに大会に出場しつつ、先輩後輩と楽しくやっています。
子どもを見ていると水泳から本当に多くのことを学んでおり、スイミングスクールへ入れてよかったと思っています。
「やっぱり脳にいい影響があるの?」
「受験に有利になる基礎体力がつくから?」
「体育会系特有の上下関係を学べるから?」
など、さまざまな疑問が浮かぶと思いますが、それだけではありません。
この2つの習い事には単に
「泳げるようになる」
「楽器が弾けるようになる」
だけではない、学習面や精神面に直結する大きな価値があると確信しています。
なぜ東大生の習い事に水泳とピアノが多いのか、その本質的な理由を掘り下げてご紹介します。
「努力が必ず実るわけではない」という理不尽さを乗り越えるメンタルが鍛えられる
我が子を見ていると、これが一番大きいのではないか、と思っています。
勉強は正しい努力をすれば、自分とレベル感のあった塾に入ってコツコツ予習復習を行えば、ある程度までは偏差値が上がり、等しく平等に努力が反映されやすいと私は考えています。
しかし入試本番や、そしてこれからの社会は、悲しいかな「努力すれば100%報われる」という甘い場所ではありません。
入試本番では、どれだけ準備を重ねても、当日の体調や問題との相性、ほんのわずかな運の差で結果が変わる理不尽さがあります。
社会に至っては正しい努力をしても世の理不尽に跳ね返されるときだってあります。
水泳とピアノは、幼少期からこの
「思い通りにいかない現実」
「異次元なほど上には上がいる絶望感」
に直面し、それを乗り越えるタフなメンタル、折れにくい心を育む絶好の機会になります。
■どんなに泳いでもタイムが縮まらない時期がある
水泳では、毎日ハードな練習をこなしていても、突然タイムが完全に頭打ちになる「スランプ」が必ず訪れます。また、大会当日の一瞬のターンミスや、隣のレーンの選手の心理的なプレッシャーなど、自分の努力だけではコントロールできない要素で負ける悔しさも味わいます。
■本番の一発勝負で容赦なく崩れる怖さ
ピアノの発表会やコンクールも同様でしょう。何ヶ月も血のにじむような家庭練習を積み重ね、練習では完璧に仕上げたと思って舞台に上がっても、極度の緊張やプレッシャーから指がもつれたり、一瞬頭が真っ白になって音が飛んでしまったりすることがあります。「あんなに頑張ったのに」という挫折感や理不尽さは、幼い心には非常に大きなものです。
東大生をはじめとするタフな受験生は、こうした「努力が必ずしもストレートに結実しない厳しさ」を、習い事を通じて身をもって知っているのではないでしょうか。
だからこそ、模試の結果が悪かったときや、想定外の難問に出会ったときにも、絶望して投げ出すことなく、「じゃあ、ここからどう立て直すか」と冷静に次の手を考えられるメンタルの強さを持っているのです。
成功体験の積み重ねと五感への刺激
もちろん、理不尽さだけでなく「努力が実を結ぶ」という正の側面も同時に学べます。
スイミングスクールの明確な進級基準やピアノで数ヶ月かけて一曲を弾ききったときの達成感。これらは小さな目標を一つずつクリアしていく成功体験となり、子どもの自己肯定感を高めます。
「努力すればできるようになる」という原体験があるからこそ、受験勉強で行き詰まったときにも自分を信じ抜くことができるのです。
さらに、これらの習い事は身体の成長にも寄与します。水の抵抗を全身で感じて鍛えられる体幹は長時間の学習に耐えうる体力の基礎となり、指先を細かく動かすピアノは脳に心地よい刺激を与えます。
また音楽を通じて表現力を養うことは、文章の行間を読み解く力や、他者の意図を汲み取る力といった、国語力や記述力の基盤にも通じる部分がある研究結果もあるそうです。
すべての学習の土台となる「集中力」と「自己管理能力」
受験勉強において、もっとも差がつくのは「限られた時間の中でどれだけ深く集中できるか」という点です。水泳とピアノは、どちらもこの深い集中力を養うのに最適な環境を提供してくれます。
■水の中で自分と向き合う水泳
水泳は、周囲の音があまり聞こえない水の中で、自分の呼吸や体の動きだけに意識を向け続けるスポーツです。
余計な情報がシャットアウトされた空間で「どうすればもっときれいに、速く泳げるか」を考え続ける時間は、まさに高い集中力を維持する訓練そのものです。
■楽譜と指先に神経を研ぎ澄ますピアノ
ピアノは、目で楽譜を追い、両手を別々に動かし、足でペダルを踏み、耳で音を聴くという、複数の動作を同時に行う習い事です。ほんの少しの気の緩みがミスタッチにつながるため、練習中は極限の集中力が求められます。
また、ピアノは日々の家庭練習が欠かせません。「毎日15分は鍵盤に向かう」という習慣そのものが、後に「毎日机に向かって勉強する」という習慣へスムーズに移行するための強力な土台となるのではないでしょうか。
大切なのは「東大に入れるため」ではなく「生きる力を育むため」
ここまで理由をお話ししてきましたが、
一番大切なのは「東大生が多く習っていたから」という理由で、無理に子どもに習わせることではありません。
子ども自身が「楽しい」「もっと上手になりたい」と思えるかどうかが大前提です。当然、水泳とピアノを習えば東大に合格できる訳ではないので。
水泳もピアノも、共通しているのは「成長の喜び」と「思い通りにいかない厳しさ」の両方を教えてくれるという点です。
そしてどちらも基本的には個人競技なので、己次第、失敗しても他責ではなく自責になるということです。
この両極端な経験を幼少期に体得している子どもは、いざ受験勉強という大きな壁にぶつかったときにも、おごらず、諦めず、自分でコントロールできる部分に集中してコツコツと努力を継続することができます。
私は水泳とピアノ以外でも同様の効果が可能だと思っていますが、この2つは比較的お手軽な習い事の代表例だと考えています。剣道やバイオリンではダメということはないはずです。
習い事を通じて得られる「集中力」「継続力」、そして「理不尽に負けないしなやかな強さ」は、受験のみならず、その後の人生を支える大きな財産になります。
中学受験で塾に忙しく、習い事どころではないお子様も昨今多いと思いますが、心身ともに勉強以外の習い事から学べることは多く、勉強だけでのし上がる将来の危うさも考えるべきではないかと思います。
お子様の興味や関心に合わせて、まずは楽しく始められる環境を作ってみてはいかがでしょうか。
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最後までお読みいただきありがとうございます。